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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
人界編

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閑話 ―side.湊:血の意味①―

 一生のうち、転機は幾度もやってくる。大きいものから小さなものまで。人より長い妖の生ならば尚更だ。


 私の場合、大きなものが比較的近い時期にやってきた。


 一番大きかったのは、優梛様に出逢い、失ったこと。それに次ぐのが母の正体と血の力を知り、自分にも使えるとわかったこと。

 

 力を持つと余裕が生まれる。亀島の名を持ちながら、家の使用人よりも立場の低かった私がようやく得た力は、ある意味、何者にも勝るものだった。


 

 気づいたのは興味本位からだった。いつものように母に食事を与え、父の護衛役であったとうが母を外に連れ出したあとのこと。普段なら私一人その場に留まるのだが、何となくいつも戻りが遅い二人が気になりこっそりつけて出た。


 用をたすだけ、そう聞いていた。

 しかし、ついて行った先で見たのは、縛り上げられ抵抗できない母に覆いかぶさる燈とその下で着物を乱し逃れようとする母の姿だった。

 

 何をしていたかなど考えたくなかった。

 母に噛みついていたのか、燈の口元に血が滲んでいる。母の首筋にもだ。


 優梛様を失ってから最底辺の立場に戻りずっと溜め込んでいた不満、優梛様を奪った連中への憤り。それらが常に心の奥底で渦巻いていたからだろう。腕っぷしの強さなど関係なしに、頭に一気に血が上り、その勢いで、私は燈へ体当たりをして思い切り殴りつけていた。


 その時、自分が何と言ったのかは覚えていない。しかし、亀島家当主の護衛役を務める男が、ただの文官相手に抵抗もせず、ただただ大人しく殴られ続けているのは、普通では有りえないことだった。


 散々殴りつけたあとで我に返り、何故抵抗しないのかと問うと、燈は、


「貴方様に手を出すなと命じられたからです」


と言い出した。

 

 確かに、『母に手を出すな』という意味合いのことは言ったかもしれない。誰に、が抜けていた可能性もある。

 しかし、今まで私の言葉に従ったことのない父の護衛役が突然、見下すようにしていた私に従い始めたのは奇妙な光景だった。


 何故、急に私に従う気になったのか理由を尋ねると、燈からは驚くような答えが帰ってきた。


「御母上様の血には、男を魅了し、その言葉一つで御自身に従わせる力があるのです」

 

 燈はもともとその事を知っていて、父が母の声を奪ったのもそれが原因だったのだと、尋ねれば尋ねるほどベラベラと喋りだした。

 

 しかし燈はその事を失念し、先ほど母を押し倒した時に、怪我をした母の血をうっかり舐め取ってしまった。

 一度口にすれば欲しくて仕方がなくなるのが母の血の力らしい。さらなる血を求めて首筋に噛みつき血を吸い出したところへ私が遭遇した。


 不思議だったのは、母の血で母自身の言葉に従わせる力のはずが、燈は私にもしっかりと従い始めたことだった。


 母を元の場所に連れ帰ったあと、私は燈に協力をさせて、人や里の外の妖を捕らえては実験を繰り返した。燈以外にも私の命令が通じるのか、母の血にどんな力があるのか。

 

 母の体液には男を魅了し引き寄せる力がある。少量を服させれば、対象に心地良さを与え、少々の融通をきかせられた。量が過ぎれば、与えた血の分、禁断症状と畏れと支配を引き起こす。

 血の匂いも同様。甘く独特なその香りは、直接吸い込むと口にした時と似たような効果を引き起こす。ただし効果は低い。鼻の良し悪しにも違いがあった。 

 母の血を飲ませた対象は、他人が命じても動かすことはできない。それが出来るのは私だけ。ただし、私が誰かに従えと命じれば、その者に忠実に従った。私の命しかきかないのは、おそらく、母の血が私にも流れているためだろう。


 人や妖だけでなく、鬼も同様だった。鬼の討伐に駆り出される役目を担う武官に血を飲ませて実験用に鬼を捕らえさせたが、獣のように本能だけで動く鬼ならば、母の血で支配し従わせるのはそれ程難しくはなかった。

 流石に言葉を話し強い意志のある鬼にはそもそも母の血を飲ませることは難しいだろうが、人や妖と同じ様な効果を得られるかもしれない。

 


 燈を父に仕えさせつつ裏では私が操作する。一番身近で己を守る護衛役が私の配下になったのだ。知らず知らずのうちに、その首に常に刃が向けられている状態。

 それに、いざという時には母の血がある。父も兄も、いつでも支配できる。その感覚は、私の中に余裕を生んだ。

 私自身の身を動きやすくするには、父と兄の派手な行動はよい目隠しになる、そう思えるようになったのだ。


 だから、あえて放置した。邪魔になれば消せば良い。

 

 私はただ黙々と今まで通りに仕事をこなしていった。父や兄の行いもあり、ただそれだけで周囲の信用を得られていく。  

 その裏で、うまく使いたい者には母の血を口にさせ、それが叶わぬ時には蝋や油に混ぜて焚いて言うことを聞かせた。長く効果が続くものではないが、鼻の良い者は少々の香りだけで頼みを聞いてくれたので便利だった。

 

 使うのは父や拓眞兄上の配下の者や家の使用人達。二人に命じられて接する機会が多い分、私自身が近づきやすく、万が一何かあれば、あの二人に責任を押し付けられる。

 

 自分の手駒が増え、それによって自由が増えた。武官も文官も、自在に操ることができる。


 ああ、これならば、優梛様を奪ったあいつらに地獄を見せることができるかもしれない。

 そう思うのに、大した時間はかからなかった。


 

 里の二貴族家と日向家との間で三百年に一度の儀式の話し合いが行われたのはそんな頃のことだった。


 優梛様に抱かれて泣いていた柊士様は、いつの間にか身長が伸び、一端の若者になっていた。 


 儀式の対象は、齢50を下回る年であることと決まっている。人の体と精神が老いると転換の儀が上手くいかない、というのが大きな理由だと聞いた。40でも失敗例があり、なるべく若い者が選ばれるそうだ。


 その為、対象は柊士様、結、奏太様の三人に絞られた。そして、若すぎる奏太様が省かれ、柊士様か結の何れかが候補となった。

 

 しかし、誠悟は結を手放すことを徹底的に拒んだ。更に、代々当主の家系から対象者を出すのがしきたりだという主張を繰り返した。

 優梛様が亡くなった時に当主になる事を誠悟が固辞した理由はこれだったのかと、その話を聞いて理解した。


 父である榮はそもそも女である結を妖界の帝位につけるつもりも、日向の当主と仰ぐつもりもない。粟路は例外でもない限り、代々のしきたりを守るべきだろうという意見だった。


 それらの主張に日向当主といえど、たかが代理が強く出られるはずもなく、最終的に柊士様が儀式の第一候補に据えられた。


 全ては誠悟の思惑通りだった。

 優梛様を鬼界に置き去りにしたばかりか、優梛様が守ろうと為さった忘れ形見すら人界での生を終わらせ妖界に追いやるつもりかと、怒りで頭が沸騰しそうになった。


 誠悟にも亘にも、相応しい地獄を与えてやる、そう思っていたのに、気づけば自分の手駒を動かして、誠悟を事故に見せかけ殺していた。



 誠悟は死んだ。

 しかし、せっかく結を残したのに、それでも柊士様の妖界行きは変わらなかった。


 だから、結に変えざるを得ない状況を無理やり作った。鬼界の穴が開き、結が向かったのを確認して、実験のために捕らえていた鬼を放った。


 亘は生前の誠悟希望によって、結の護衛役に変わっていた。それに、幼い頃から知っているからだろう。亘は随分、結に入れ込んでいた。

 丁度いい。あの時、優梛様を見捨てて守った小娘を、鬼から守れず自分の手で殺して妖界に送れば良い。そう思った。

 

 事前の偵察にも引っかからなかった、居るはずのない鬼からの攻撃。

 多分、その後の衝撃で誰も覚えていないだろうが、本来、その渦は人と同じ体格の鬼がこちらに出てくるような大きさではなかった。せいぜい小鬼が通れる程度。屈めば通れないこともないが、通常は鬼の通過をそこまで警戒しない程度のものだった。

 だから、亘も汐も油断した。警戒が薄れ、突然現れた鬼に適切な反応ができないまま、結はあっけなく背を裂かれてその場に倒れた。


 あとは、結の命を救うため、などともっともらしい理由をつけて皆を誘導し、柊士様から結へ、妖界へ送る対象を変えさせれば良い。

 

 結をあちらに送ることを否定していた父本人には、警戒心が強すぎて母の血を盛る事ができなかったが、誘導し煽る役目を担う者を何名か作り出し、いくつか小細工をして手を尽くした。


 柊士様から結へ、転換の儀の対象が変わったあとの亘の反応、結の葬儀、いずれも、笑いを堪えるので必死だった。

 あれほど護りたがった娘が、結局鬼の手にかかり妖界に送られることになったのだ、さぞやあちらで誠悟も悔しがっている事だろう、そう、心の中で私は大いに笑った。

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