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結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚  作者: 御崎菟翔
妖界篇

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12. 鬼界の入口

 都合がいいのか悪いのか。

 たとえ成績が悪くても本家のせいにしてしまえばいいだろうという目論見は完全に外れ、何の音沙汰もないままきっちり二学期の期末テストが終わったある日の夜、汐が慌てたように部屋に飛び込んできた。


「鬼界の入口が開きました。お早くご準備を!」

「……え、鬼界……?」


 俺は最初の御役目の時のことを思い出し、ゾッとする。グチャグチャに何か喰い殺し、襲いかかってきた小鬼。あれが再び出るかもしれない場所。


 俺はぐっと奥歯を噛んだ。 


「鬼がこっちに出てきてるの?」

「いえ、それ程大きなものではないようです。けれど、少しずつ広がっているようです。早急な対応が必要です」

 

 穴が大きくなって、あちらから何かが入ってくれば、何が起こるかわからない。


 怖くないと言えば嘘になる。でも、放置しておいて良いものではない。


 実際に妖の被害に遭って友だちが危険に晒された今なら、結界の綻びを閉じることが急務なのはよくわかる。鬼界との間の綻びならば、尚の事。


「分かった。急ごう」

 

 

 俺はいつものように亘に乗って空を飛ぶ。

 亘の様子も、いつも以上に緊張しているように見えた。

 

 下降した場所は、鬱蒼とした茂みの手前。しかし、ただの茂みではない。何故かこの寒空の下、鬼灯が鈴生りに生い茂っている。


「なにこれ……」

「鬼界への入口が開くとき、あちらの瘴気のせいか、鬼灯が周囲に生え実をつけるのです。」

「最初に鬼界との綻びを見つけた時には、こんなのなかっただろ」


 一番最初の御役目で廃校にあった鬼界との結界の綻び。その時には、鬼灯なんて見た覚えがない。


「あの時は、周囲がコンクリートでしたから。でも、ほんの少しだけですが、出ていましたよ」


 汐に言われて思い出してみるが、全く記憶にない。


 ……まあ、それどころじゃなかったのもあるけど。

 

 それにしても、そんな謎な現象が起こることにも驚きだが、さすがにこれは生えすぎではなかろうか。季節はずれにこれだけもりもり茂っていると気味が悪い。

 さらに、何となく周囲が白くぼやけて、手に持つ懐中電灯の光を反射しているように見える。


「ねえ、これ霧……? 瘴気ってこんなふうに見えるの?」


 そう言っている間にも、霧は徐々に濃さを増していく。


「いえ、あの時もそうでしたが、通常はこのようにはなりません。少し様子が変ですね。これ以上霧が深くならないよう、手早く終わらせてしまったほうが良さそうです」


 汐は蝶の姿のまま、俺の背丈くらいまで伸びた鬼灯の上まで舞い上がる。

 小さいせいもあるが、夜の暗さと深い茂みと濃くなってきた霧のせいで姿が見えにくい。

 

 ひとまずそれについていこうと懐中電灯片手に茂みに分け入る。しばらくガサガサと鬱陶しい鬼灯を掻き分けながら歩いていくと、後ろから着いてきていたはずの亘の気配がいつの間にか消えていた。


「汐! 亘が居ないんだけど着いてきてる?」


 自分よりも少し前を飛んでいるはずの汐に声をかける。しかし、汐からも返事はない。


「汐! 亘!」


 鬼灯を掻き分ける音が煩くて、足を止めて周囲を伺う。でも、やっぱりどちらからも返事が戻ってこない。

 茂みに阻まれて進むのに苦労しているため、大した距離は進んでいない。それなのに、この短時間で逸れるようなことがあるだろうか。


 俺は知らずしらずの内にゴクリとつばを呑み込む。

 引き返したほうが良いだろうかと、一度背後を振り返った。しかし背後もまた、鬱蒼とした茂みに視界を阻まれている。


 ……いや、ここを抜けたこの先を二人も目指しているはずだ。変に戻らず先に進んで合流したほうがいいだろう。


 ガサガサと掻き分けようやく茂みを脱すると、奇妙に円形に開けた場所に出た。周囲を鬼灯に囲まれ、まるで人工的に作られたかのような空間だ。

 さっきまで立ち込めていた霧は、その円の中だけは嘘のようにきれいに晴れている。


 月明かりに照らされたその異様な空間の真ん中には、何故か少女が一人座り込んでいた。汐ではない。ワンピース姿の見たことのない子だ。


 思いもよらぬ遭遇に、背筋がゾッとする。

 俺がその場から動けずにいると、少女は不意に目元に手を当てて拭うような素振りを見せながら顔を上げた。

 見た目だけで言えば、小学一年生かそれ以下くらいだ。


 ……迷子か……妖か……


 迷子なら直ぐにでも保護すべきだが、妖なら安易に近づかない方がいい。


「……ど……どうしたの? こんなところで……」


 ひとまず探りを入れるために声をかける。

 しかし、少女はくすんくすん声を出して泣き始めてしまった。


「……君、何処から来たの? 名前は? 家はどこ?」

「……なまえは……ヒック、あ……あいり……。いえは……ヒっ、わかんなくなっちゃった……。いえに……ヒックっ……かえりたいよぉ……まま、ぱぱぁ……」


 少女は再び顔を伏せて泣き始める。


 今まで会った妖たちと比べると、服装といい言葉遣いといい、凄く今どきの子どもっぽい感じがする。

 たぶん、だけど、本物の人の子どもだと判断しても良さそうだ。


 俺はそう思い、少女に近づく。

 ここは危険だ。さっさと連れ出して警察につれていった方がいい。


「一緒にお巡りさんのところに行って、パパとママを探してもらおう」


 そう言って手を伸ばしたその瞬間だった。


「奏太様、離れて!」


という、汐の悲鳴のような声が聞こえた。


 驚いて振り返ると、その途端、物凄く強い力で腕をぐいっと少女が居た方に向かって引かれる。

 視線を戻すと、そこに居たはずの少女の姿は忽然と消えていて、代わりに黒い渦と中から焦げ茶色の毛むくじゃらの太い腕が片方出ているのが見えた。

 腕の太さも長さもまるでゴリラのように大きく筋肉質で、長く鋭い爪のついた手で俺の腕を掴んでいる。


「は!?」

「おお、食いそこねたあの娘がうまく役にたってくれたものだ。良い肉が釣れたぞ」


 ぐいっと穴の方に引き寄せられ、ギョロっとした目が向こう側から覗いた。獲物のように自分を見るその目に背筋が寒くなる。


「……は……放せ!」


 慌ててぐいっと体ごと引っ張るが、向こうはびくとも動かない。


 力づくで適うような相手じゃない。


 そう思っていると、人の体に羽を生やした亘がヒュッと勢いよく下降してきて、短刀を俺を掴む腕に思い切り突き立てた。

 ポタタと赤い血が地面に落ち、穴の向こうから地鳴りのようなうめき声と、ミシッ という大きな音が聞こえてくる。


 しかし、それでも毛むくじゃらの腕は俺を放してはくれない。それどころか、穴をこじ開けようとしているのか、もう片方の手が渦の端に内側からかけられた。


「おのれ、妖ごときが小賢しい!」


 もう一度、ミシっと音が聞こえる。


 まさか、結界の綻びを渦のところから無理やり広げようとしているのだろうか。


 再び、向こう側から強くぐいっと腕を引かれ始める。俺を穴の向こうに引きずり込むつもりだ。

 亘が毛むくじゃらの腕にしがみつき、必死に俺からその手を離させようとしている。俺も腰を低くして足を踏ん張り必死に抵抗する。

 しかし、毛むくじゃらはそれをものともしない。物凄い力だ。


「大人しくこちらへ来い! 小僧!」


 力を加えられる度に、爪が腕に突き刺さり、深く食い込んでいく。強い痛みにぐっと奥歯を噛む。

 でも痛いなどと言っていられない。さっきこの毛むくじゃらは、俺のことを肉と言ったのだ。向こうに引き摺り込まれたら、あっという間に餌にされてしまうだろう。


「亘、あのまま腕を切り落とせないの!?」

「無理だ、硬すぎてあれ以上はうごかぬ!」


 亘も俺も、必死に抵抗を続ける。

 しかし、その間にもじりじりと足元が音を立て、少しずつ引き寄せられていく。肩から腕が抜けそうだ。耐えていられる時間にも限度がある。


 何か、手は……


 そう思っていると、汐がふっと耳元にやってきた。


「奏太様、手を合わすことはできますか? このまま綻びを閉じましょう。鬼も陽の気には触れていられません!」

「そういうことは、もうちょっと早く言ってよ!」


 俺は叫ぶようにそう言うと、鬼に掴まれている方の手を広げ、何とかもう片方の手を合わせる。


「亘、離れて!」


 亘はその言葉にハっとしたように毛むくじゃらの手を放した。

 それと同時に体勢が崩れ足の踏ん張りが効かなくなり、更に亘の支えもなくなったせいで勢いよく渦に向かって引き寄せられていく。


「ハハハハ! てこずらせやがって!」


 ようやく向こう側に引きずりこめると思ったのか、毛むくじゃらが歓喜の声を上げた。

 それに思わず悲鳴を上げそうになる。しかしそれをぐっと堪えて、体を地面に擦りつけて抵抗しつつ頭に浮かび上がる祝詞に言葉を這わせた。


 徐々に光りの粒が掌から零れ出てくる。

 最初、引きずられる勢いで全くあらぬ方向に粒が流れていったが、黒の渦が目の前に迫るに連れて、だんだんと焦点が合い、きちんと光が渦に吸い込まれはじめた。

 それに合わせるように、毛むくじゃらの悲鳴が周囲に響く。


「何だ、これは!!」


 それと同時に、ぱっと腕から手が放された。


「やめろ! 何なんだ、この光は!」


 悲鳴は轟くような怒声に代わる。

 でも、光が黒の渦に届き始めればこちらのものだ。

 俺は地面に尻餅をついた状態のまま、次々と光の粒を注いでいく。


「クソが!!」


 殆ど閉じた黒い渦の向こうから、毛むくじゃらの悪態が聞こえたのを最後に、黒い渦はギュッと一点に縮まり消滅した。


「奏太様!」


 俺がほっと息を吐き出すと同時に、亘がこちらに駆け寄り汐が人の姿に戻る。二人は顔を青ざめさせて俺を覗き込んだ。


「奏太様、お怪我は?」

「腕だけ……痛いは痛いけど、そんなに心配しなくても、大丈夫だよ」


 今までの亘の飄々とした感じも無ければ、汐の冷静さも感じられない。なんだか二人らしくない反応だ。


 こんな怪我今までしたことないし、本気で痛いし、腕を抱えて呻きたいくらいだ。でも二人がそんな顔でこちらを見るから、大丈夫だよ、としか言えない。

 なんとか意識を逸らそうと、俺は先程まで黒い渦が巻いていたところに目を向けた。


「……あれ、何だったの?」

「鬼です。あやつらは、人や妖を喰うのだと言ったでしょう。あのまま引きずり込まれていたら、どうなっていたか……」


 亘が未だ、俺の様子を伺いながら眉尻を下げる。


 ……確かにそうは聞いていたけど……


 廃校で見た小鬼なんかとは、比べ物にならないくらいに、凶暴で圧倒的な存在だった。


「じゃあ、あの女の子は……?」

「鬼が見せていた幻でしょう。黒い渦を発見した者から、迷い込んだ人間の子どもを保護したと報告がありました。姿型が報告と似ていたので、その子どもの幻影を利用したのだと思います」


 汐は汐で、他に怪我はないか確認するように俺の周りをくるりと一周したあと、ほっと息を吐きながら答えた。


「鬼ってそんなこともできるの……?」

「妖でも出来るものはいますから、そういう種だったのでしょう。あまり完璧な幻影ではなかったので本来容易に見破れたはずなのですが、霧に阻まれ気づくのが遅れました。申し訳ありません」


 ……なるほど。

 

 御役目をいくつかこなして妖相手に慣れてきて、小鬼も以前に見たことがあったから、何となく同じような状況を想像していた。

 けれど、本物の鬼相手に見積もりが甘すぎたらしい。もう少し慎重に行動しなければならなかったのに。


「奏太様、腕を。亘、止血できそうなものを何か持っていない?」


 汐がそう言うと、亘が何処から出したのか、布切れを一枚汐に渡す。

 傷に目を向けると思っていた以上に深い傷になっていて、そこから溢れるように血が滴っている。これは痛いわけだ。

 汐が上腕部にギュッと布を縛り付けると、あまりの痛みにウゥッと呻き声が漏れる。


「本家に戻ったら、きちんと手当してもらいましょう」

「これ、病院で何ていうの? 熊に襲われたとか?」


 獣の爪が複数突き刺さったこの傷を説明する術を自分は持っていないし、親に説明するにも苦慮しそうだ。

 そう思っていると、汐が小さく首を横に振った。


「病院になど行きません。専属の医者がいますので、その方にお見せしましょう。本家に来てくださるはずですから」


 なるほど。そうやって今までも、説明のつかない怪我を手当してきたってわけか……


 ふと、生死に関わるような大怪我を負ったときに、その往診の医者だけで本当に大丈夫だろうかという思いが頭を過ぎったが、そんな事態に陥る可能性があることに思い至って身震いし、慌てて頭の片隅に追いやった。

 

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