プロローグ
ただ、生きているだけで、しんどい。
こんなに追い立てられるような毎日が一生続くのだろうか。
それだったら、僕たちは、一体何のために生きているのだろう。
ここじゃないどこかに行きたい・・・そう思いながら、学校に行くまでの上り坂をうつむきながら歩いていく。
クラスでは、混沌とした空間に笑い声が響く。誰も先生の話なんか聞いちゃいない。
だけど、孤独が怖い・・・・寂しい・・・誰かに認められたい、だから、群れの中にいて必死に笑顔をつくって周りに合わせる。
話は、いつもそこにいない誰かの陰口だとか愚痴ばかり。
その矢先は、僕にまで飛んでくる。
「コウスケ、お前ってちょっと空気読めないよな。変だよな。」
とみんなで笑う。
僕は、心にモヤモヤを抱えながらも、つられて笑う。不満そうな顔の一つでもできたらいいのだがどうしてもできない。
「空気を読み合う」関係。嫌われないように、馬鹿にされないように、批判されないように・・・自分自身のそのままを表現することを抑え込んでいるうちに、自分は本当は何がしたいのかということまで忘れてくるのだった。
それに付き合っているのも疲れてくるものだから、休み時間になると僕はいつも誰もいない木陰やトイレにいってたったひとりで時間を過ごす。
親も、先生も、友達も、だれも僕に興味など持ってくれる人なんていないのだ。
大人たちは「しなきゃいけないこと」と「してはいけないこと」だけを押し付けてくる。
毎日がただ、儀式のように繰り返されていくだけ。
牢獄のような四角い空間に閉じ込められて、じっとしていなきゃならない。
考え事をしてボーっとしていると、注意される。
「ほら、ぼさっとしてないで、ちゃんと動きなさい。みんな、頑張ってるんだから。あなたひとりだけよ、サボってるのは。」
誰かに叱られることから怯えるようにして、ただそのためだけに目的もなく生活している。
まるで自分の存在の意味が、巨大なシステムの一部の部品としてうまく機能するかしないかだけで測られているような気がしてきて、息が詰まりそうだ。
何か分からないものに押しつぶされて殺されそうになりながら毎日を暮らしている。
僕は、どこにも居場所がなくて、よく図書館の、それも誰も人が来ないような書架の奥の奥に行って一人で誰にも邪魔されず読書にいそしむのだった。
もしくは、絵。
絵を描いている時だけが落ち着く。
これは、好きとかそういうものじゃなくて、何か癖というか、ほとんど病気のようなものかもしれない。
いつも、カバンにはノートを持っておいて、時間があれば何かを描いていないと落ち着かないのだ。授業中や電車の中、家での勉強の合間などつい何かを描かずにはいられないのだ。
とはいっても、さして上手いというわけではないし、いつもワンパターンだ。上には上が山ほどいることも分かっている。素人の自己満足のようなものだ。そんな誰にも見せないゴミのような落書きはノートに二十冊以上もたまっただろうか・・・。
でも、心の中に抱えているなにか閉じ込められたものを何らかの仕方で表現しているときは、たとえそれが――問題の直接の解決にはならないにせよ――ひとつの癒しを感じるのだった。
押しつぶされるような日常の中で、たった独りだけ自分が自分であれるわずかな時間と場所。
それが、僕には必要なような気がしていた。
こうして、何かを積み上げていけば、いつかしあわせな世界が見えてくるかもしれない・・・
そんな祈りにも似た気持ちを込めて、描き続けていたが、それにももう疲れはてた。
答えと思ったものはすぐに否定され、出口のない自分の中を永遠に回り続けなければならならず、振り返ってみると、同じところを何度も何度も飛び上がっただけで結局何一つ変わることができていない自分に気が付いて、自己嫌悪に陥る。
「しあわせか・・・しあわせって何だろう。」
しあわせ・・・もう、そんな言葉を聞くたびうんざりする。
運動場かどこかから、楽しそうにボールを追いかける声が聞こえてくる。
僕には、そんなものはもはや手に入らない
むしろ、しあわせなどというものを甘いものだと遠ざけること、それがある種の矜持のようにも思えた。
「誰にも・・・誰にも認められなくていい。自分のことは、自分で分かっていればそれでいいのだ。」
「そして、僕のことを認めてくれない多くの感受性のない奴らとは違うのだ・・・僕は。
何が一番大切なことなのかを知っているのはこの僕だけなのだ。」
「誰も自分のことを分かってくれない」という想いと、
「誰かに自分のことを分かってほしい」という想いと、
「誰にも自分のことなど分かられてたまるか」という想いが交錯して、決して満足することができない。
「特別で・・・特別で、ありたい。」
そんな言葉を自分に言い聞かせるたび、何か自分の中である種の引っ掛かりを感じる。
「でも、寂しい。
寂しい・・・そして、僕は、自分のことが・・・嫌いだ。どうしても好きになれない。
何をしても、どこまで頑張っても、僕はしあわせにはなれないのだ。」
そんなことを考えながら、木陰で絵を描いていた時のことだった。
「うわあ、コウスケくん、絵、うまいのね!見せて!」
後ろから飛んできた声に、びくっとなった。
慌てて、ノートを胸に寄せて隠す。
「・・・ヒロミ・・・さん?」
同じクラスのヒロミだった。
彼女とは、あまり話したことがなかった。
ただ、覚えているのは、以前はうつむきがちで、どこか哀しそうな顔をしていたような気がする。僕と同じで、一人で図書館の隅で本を読んでいる。ある時期をきっかけにどことなく雰囲気が変わっていったことくらいだった。
変わったといっても、そちらの方が、彼女らしいというか・・・。彼女は、ありのままの自分を生き生きと表現するようになり、笑顔も素敵になったように、思う。そして、どことなく雰囲気もやさしく、どこか、軽いものになった。
彼女は、目を輝かせながら、絵を見せてくれるようにせがむ。
「どうせ、ダメ出しをされたり、馬鹿にされるんじゃないか・・・」
ドキドキしながら、流れに逆らえずに、見せてみる。