第六話 アストレア
――エスティレアの案内でたどり着いた、王都中心部にあるアストレア公爵家別邸。それはもはや別邸では無く本邸と呼べるほどの豪壮さを誇っていた。
これは、何も知らない人に国王一家の別邸だと言ったら何の疑いも無く信じるな。多分だが。
正門の前には親子と思しき三人が立っており、その左右には何人もの執事やメイドが一分の隙も無く控えていた。あの親子はもしや――
「ほっほっほ。ウォルディック様もレイラ様も、ようやく見つかったご自分の娘の練習相手、どの様なお方なのかいち早く確かめたかった様ですな」
やはりアストレア公爵とその家族だったか。
そういえば走っている途中、エスティレアが「連絡を取らせて頂きます」と言って暫く<念話>を使っていたが、相手は公爵かそれに近しい人だったようだな。
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到着すると、親子三人の内の父親、アストレア公爵が一歩前に出てきて俺に話し掛けてきた。
「クライネルト王レイド・フォン・クライネルトが臣、ウォルディック・アストレアだ。其方が、アルフ殿で宜しいかな」
ウォルディック・アストレア公爵は真紅の髪に紅い瞳を持った堂々たる偉丈夫で、身長は俺よりもかなり高い。ということは百九十センチ以上ありそうだ。四十歳らしいが――果たしてここまで迫力のある立ち姿の四十歳の男はこの世に何人いるだろうか。
「ああ。俺がアルフだ。無姓である所から察して貰えるとありがたいが、俺は礼儀作法には大きく欠けると思う。その辺りは勘弁願おうか」
流石に国の重鎮、公爵ともあろう人にこんなことを言ったらブチ切れられるだろうか? これでも個人的にはかなり丁寧にしたつもりだが。
そう思ったがアストレア公はじっと俺を見ると
「はあっはっはっはっは!」
いきなり呵々大笑した。
「いやはや、この私の前でそれを言うとは途轍もない胆力だな! 流石だ。まあ安心してくれ。此方も元より『剣神』エスティレアに匹敵する程の者にそんなどうでも良い事を強いようとは思っていない」
この言葉にエスティレアが反応した。
「ほっほっほ。ウォルディック様、それは少々違いますな。『私に匹敵する』のでは無く、『私よりも強い』のでございます。確かに攻撃魔法を禁止して戦った場合は私の全力を持ってすれば勝つことは出来るでしょう。ですが無制限にした場合、私が勝つのは難しいと存じます。更に言うのであれば、アルフ殿に完全なる本気を出された場合は攻撃魔法禁止でも勝てるか怪しいですな。――全盛期ならばあるいは、といったところでしょうか」
エスティレアは俺が力を封印していることに気付いていた様だ。そしてあの強さでもまだ全力では無かったらしい。つくづく化け物だと思う。
そんなエスティレアの言葉を聞いたアストレア公は目を見開き苦笑した。
「とんでもないな君は。エスティレアに対して負けを認めさせるとは……ああそうだ、私の家族をまだ紹介していなかったな。――紹介しよう、妻のレイラと娘のリディアだ」
アストレア公が紹介した妻と娘はどちらも誰が見ようと美人または美少女と称するであろう容姿だった。
妻のレイラ・アストレアはピンクゴールドの腰まで伸びた髪とアメジストの様な紫の瞳をした女性で、整った顔立ちにスラリとした体つきをしている。そして肌は白く艶のある若々しさを保っており、本当に十五歳の少女の母親なのか疑わしい程だ。
娘のリディア・アストレアはおそらく母親の血を色濃く受け継いだのだろう。レイラとよく似た顔立ちで、長い髪をツーサイドアップにしている。レイラとは違って少々気の強そうな瞳をしているが、それ以外はレイラが若返ったらこうなるのだろうと思わせる程そっくりな美貌だ。これは『炎華』と称されるのも頷ける。父親の血も受け継いでいる証として紅い髪色と同色の瞳をしているが――見た目上は三対七くらいで母親の血の勝利だな。
「ウォルディック・アストレアの妻のレイラ・アストレアです。リディアの戦いの練習相手になってくれるのよね? リディアはちょこっと我が儘な所があるかも知れないけど、頑張ってね?」
「そ、そんな所無いわよ! 揶揄わないでお母様!」
母親の言葉にリディアが顔を赤くし、パッと顔を向けて反論する。が、レイラはどこ吹く風で、アストレア公は「はっはっは!」と大笑いしている。どうやら親子の仲は良好らしい。良い事だ。
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暫くして気を取り直したリディアが話し掛けてくる。まだ若干顔は赤いがこれは指摘しない方が良さげだな。そっとしておこう。
「――リディア・アストレアよ。ところで、貴方エルレイド学院の入試の受付に居たということは入学希望者なのかしら?」
そう言えばあそこで俺を見つけたんだったな。
「ああ、そうだな」
「ふーん。まあよろしくね」
右手を差し出して来たので握手を交わす。瞬間、リディアの掌に魔法陣が描かれ、魔法が発動した。
「<爆破>」
「<防護>」
握手の瞬間掌で爆発が起き、爆風で俺達の衣服がたなびく。悪戯にしては威力が強すぎるな。俺が<防護>を発動したので双方無傷ではあるが。
「――ふむ、アストレアのお嬢様は随分とまあ危ない事をするもんだな。もし俺が防いでいなかったら掌どころか体が半分吹き飛んでいたぞ?」
「ふふっ! 貴方なら防げると思ったから。試してごめんなさい。でも貴方のその反応速度に魔法の完成度、これから面白くなりそうね!」
握手をしたまま実ににこやかに笑顔を浮かべるリディアに俺は苦笑を返す。
「ああ、面白くなりそうだ」
大変そうではあるが。
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アストレア公爵別邸でリディアの師匠擬きをするようになって早四ヶ月が経過した。本日は人歴6781年3月3日、エルレイド学院の入試の筆記試験日である。
俺はリディアと共に朝八時半にエルレイド学院に来ていた。やはり入学希望者が毎年二千人もいるだけあって、混雑しているな。一応午前九時半と午後三時半の二回に分けて試験は行われるらしいが。因みに実技試験は午前九時半の一回のみである。
今はリディアはとある人に会いに行っているらしく、別行動をしている。
どうせ外にいても暇だし試験会場に向かおうか――そんな風に考えていると、いきなり向こうから走って来た銀髪の少女に飛び付かれた。反射的に受けとめる。
………………。
ふむ、訳が分からんな。
何故俺はいきなりこの少女に抱きつかれたんだ?
俺は首を動かす事で、俺の首筋に顔を埋めて深く息を吸い込み「兄さんのにおい……しあわせぇ……」とか何とか言っている白色のワンピースを着た銀髪の少女を見る。
兄さん? 白色のワンピース? 銀髪?
まさか――
「シルヴィ、か?」
すると少女は、俺の首筋に埋めていた顔をゆっくりと上げてこちらを見ると、
「はい、兄さん」
含羞んだ様な笑みを浮かべた。
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何故ここにシルヴィアを管理する神である筈の我が妹が居るのか。
本人に聞いてみたところ、どうやら俺と会わないで一ヶ月程度経つと、幻聴や幻視などの症状が現れ始め、だんだん重症化し、しまいには何も手につかなくなってしまったのだそうだ。
――完全に薬物の中毒症状だな。俺はそんな物になった覚えは全く無いんだが、何故そんな症状が現れたのだろうか?
その症状は<治癒>等の魔法で回復させようとしても全く効果が無かったため、流石にまずいと思ったリストがこの世界に転生させ、シルヴィが<探知>の魔法を使って俺を見つけた、という事らしい。
一応力は抑えてあるし、転生特典もきちんと付けて俺と同じくリソースを生み出せるようにしたのでシルヴィが原因でこの世界が滅びるなどの問題は無い――とのことだ。
「兄さんはこの学院に入学するためにここに居るんですよね?」
俺に抱き付いたままのシルヴィが質問してきた。やたらと顔が近いので、シルヴィが何か喋る度に俺の顔に吐息がかかる。
「ああ、よく分かったな」
「一応リストさんから話は聞いていましたので。ああそれと私もこの学院の入試やります」
「いや入試の受付とかをしていないだろう」
俺の言葉に対してシルヴィはこともなげに答えた。
「その辺りはリストさんに頼んで神の力でちょこっと細工を。――見て下さい、<収納>」
シルヴィは右腕で俺に抱き付いたまま左腕を魔法陣に突っ込み、四百十六と書かれた紙を指に挟んで取り出してひらひらと左右に揺らす。
成る程。流石にこの世界の神ならばこの位朝飯前か。
因みにこの紙、偽装防止や盗難対策として、それ以外にも色々と魔法が掛けられているらしい。
「まあ来たいと言うなら止めはしないが――そろそろ降りてはくれないか? 少々周りの視線が痛いのでな」
端から見れば俺は銀髪色白美少女に抱き付かれている奴な訳で、周りの男達の嫉妬や羨望及び憎悪その他諸々の視線が刺さる刺さる。流石に居心地がよろしいとは言えない。針の筵という言葉の意味を身をもって知ることになるとは思わなかった。
シルヴィは抱き付いたままだというのに今気付いたのか、顔を真っ赤にして飛び降りた。
「す、すみません兄さん。久しぶりだったので少しだけ興奮してしまいました」
ふむ、『少しだけ』で『これ』か……
――と、そこに別行動をしていたリディアが戻って来た。