幕間 アルファード
よろしくお願いいたします。
――滅びた世界、アルファード。
周りの建物が原型を留めぬまでに朽ち果てている中、未だその形を保ち、堂々たる威容を誇る城があった。
――ギアラ城。
この城はかつてアルファードの最も広い大陸で覇を唱えた、ギアラ帝国の皇帝の居城であった物だ。俯瞰すると、五芒星の形をした星形要塞であったという事が見てとれる。
魔王によって帝国が滅ぼされる以前は、ギアラ帝国の鳳凰騎士団という騎士団が帝国とこの城を守護する任務を課せられていた。鳳凰騎士団の名は大陸を超えて世界中に轟き、帝国中の子供が必ず一度は入団を志すほどだった。
騎士団は十二ある騎士隊で構成されており、騎士団長自らが率いる一番隊は最も人数が少なく、三十人の精鋭のみを集めた部隊で皇帝の守護を担当していた。
滅多な事では戦わなかったがその強さは圧倒的で、『鳳凰騎士団一番隊の平の騎士一人は他国の兵士五十人に匹敵する』と言われ恐れられる程だった。平の騎士一人がこの強さなのだから、一番隊の隊長である騎士団長と副隊長を務める副騎士団長の強さは推して知るべしである。
一番隊以外の部隊はそれぞれ四百人の騎士が所属し、二番隊は城の五つの防御郭を敵から守る任務を、三番隊から九番隊は国の守護を、十番隊から十二番隊は他国や魔王軍への牽制、侵略をそれぞれ担当していた。彼らも第一隊には及ばないがかなりの強さを誇り、他国の騎士や兵士であったならエリートと呼ばれるであろう程だった。
そんな最強の騎士団を持つ帝国に暮らす人々は自分達が戦火に巻き込まれる事など微塵も想像せず、平穏な生活を営んでいた。
――ある日の昼過ぎ。帝国の東端、つまり大陸の東端に位置する、リアという港町で、魔王軍の動きを監視する任務に就いていた八番隊序列四十八位の男が、
「む? 何だあれは?」
遠くを飛んでいた『それ』を見た。『それ』はあまりにも遠すぎるため常人には空を飛ぶ黒い鳥のように見えただろう。しかし鳳凰騎士団の八番隊に所属し四十八位というかなり上位の騎士であるだけあって、男は一瞬光った『それ』の正体を正しく把握し聳動する。
「ま、まさか……おい、一大事だ!魔王が――」
しかし男の声は仲間に届くことは無かった。『それ』の正体である巨大な龍と、龍に乗った魔王グニエルが同時に放った魔法で港町諸共吹き飛ばされたのだ。
その日から、かつてリアと呼ばれた土地に本拠地を置き本腰を入れて侵略を開始した魔王軍によって帝国はゆっくりと、しかし着実に呑み込まれていった。
その間、鳳凰騎士団は何もしなかった訳では無い。むしろいち早く何度も対応を行った。だが出撃した三番隊から十二番隊の騎士達は、序列が三十位以上の者達を除き一度たりとも帰ってくることは無かった。
最も一度の損害が大きかったのは五回目に出撃した四番隊で、二十万匹以上の魔物を殺し千人以上の魔族を倒したものの、無尽蔵に湧き出てくる魔物や魔族達の数の暴力によって序列一桁の騎士以外は全滅し、四番隊隊長を含む残った者達も魔王グニエルに捕らえられて尋問を受けた後に龍たちの餌となった。
リアが吹き飛ばされてから二年後には魔王軍はギアラ城まで到達し、迎撃した二番隊の騎士達を鏖殺した。
その後玉座の間に攻め入った魔族達は一番隊によって倒されたものの、その一番隊の騎士達は自ら出撃した魔王によって蹴散らされた。『剣聖』と呼ばれた騎士団長は魔王と一対一で戦い渾身の一撃を喰らわせたが腕を一本斬り飛ばしたのみで、直後魔王が放った魔法により塵も残さず消し飛んだ。
魔王グニエルと鳳凰騎士団との戦いを喩えるならば、大人の象と爪楊枝を持った蟻数十匹の戦いが一番近かっただろうか。それ程までに一方的な戦いだった。蟻がいくら爪楊枝を象の皮膚に突き刺したとて、象は大した痛痒も感じないのだからそもそも戦いにすらなりようがない。踏み潰されて終わりである。
――そして今。ギアラ城の主の居ない筈の玉座に腰掛ける一人の男が居た。
男は痩身であり、際立った長身という訳でも無い。中肉中背の見た目は何の変哲も無さそうな男だ。強いて特徴を挙げるとするのであれば、蛇のような縦に長い瞳孔を持つことと、男の目の前には魔王グニエルを含めた魔族が所狭しと並び、男に額づいている所か。
その異常を当然のことだと感じさせるほど、男からは圧倒的な威圧感が漂っていた。
「ふん」
男が声を発する。もしこの場に人間が居たとしても、その音を聞き取り理解する事は敵わないだろう。その重たく響く声は殆どの者が聞き取るだけで死ぬ。それは魔族であっても例外では無い。
現に今も何人もの魔族が体中から血を吹き出し絶命する。孰れも鳳凰騎士団の一番隊の騎士に匹敵する様な実力者であった。そんな者達が声だけで死んだのだ。
外見は普通の男に見えるが、持つ力はどう考えても尋常では無い。
もしこの男が単身、滅ぼされる前のアルファードに居たとしたのならば、声だけで殆ど全ての人間を殺し、世界を滅ぼす事が出来たやも知れない。
――魔神イデア。
それがこの男の名前である。
他者を憎み、神を憎み、世界を憎み、全てを憎んだ男の成れの果てだ。
最初に何を憎んだのか、何が切っ掛けだったのかは幾星霜を生きるイデアの記憶からは既に消えている。しかし身を焦がすかの如き矯激な憎しみは未だ僅かにも減ってはいない。
そんなイデアの望みは唯一つ。それは全てを滅ぼし、それを見届けた後に自分をも滅ぼす事だ。その目的のために数多くの魔王を作り出して様々な世界に送り込み、時期が来たら一時的に力を与える事で数多の世界を滅ぼしてきた。
この世界もその一つだ。元々魔王グニエルは騎士団長と同程度の強さだったのだが、イデアに力を与えられた事で強さが劇的に上昇し、騎士団長を圧倒するほどになったのである。
「また一つ、俺の目的に近づいた。待っていろ、神ども。そして――」
イデアは口の端を歪めて小さく笑う。
クツクツというその小さな笑い声だけでもグニエルが城に張った結界にビキビキと罅が入り、グニエルの横顔に冷や汗が流れる。
――ふと何かに気付いて顔を上げたイデアが笑いを収めて思案に耽る。何事か考えた後、グニエルに向かって声を掛けた。
「おいお前」
「如何致しましたかイデア様」
「お前を別の世界に送り込む」
「は。承知致しました。して、どちらの世界なのでございますか」
「リストムだ」
帰って来た答えにグニエルは困惑する。
「畏れながら申し上げますが、その世界には既に他の魔王を送り込んだ後だったと記憶しておりますが」
「そうだな」
さらにグニエルは困惑した。イデアは魔王に力を与える事は出来る。しかし同じ世界に存在する複数の魔王に同時に分け与える事は出来ないため、今まで同じ世界に複数人の魔王を送り込んだ事は無かった。
確かにリストムは他の世界の何倍も入念に準備をして、ようやく魔王を送り込んだ世界ではあるのだが、何故今回初めてそれを覆すのか――とグニエルが考えていると、答えが返って来た。
「つい先程、リストムのリソースが急激に増加した。それが何故なのかをお前には探ってもらおう。もしその原因がお前の手に負えないと判断したのであれば、他の魔王と協力して俺を顕現させるための魔力かリソースを集めろ。良いな。かの世界は必ず――必ず滅ぼさねばならんのだ」
「偉大なるイデア様の御心のままに」
イデアはグニエルに手をかざす。次の瞬間、グニエルの姿がぼやけたかと思うとその姿は消えていた。
「ッ!」
突如、イデアの眉間にしわが寄る。痛みを堪える様に左手で手首を押さえた右手の甲には、血のような紅色で描かれた複雑な魔法陣が浮かび上がっていた。
これは過去にリストによって掛けられた魔法<神聖呪縛>である。
随分昔に不覚をとってこの魔法を掛けられて以来、イデアは長年苦しめられてきたのだが――イデアは顔を顰めながらも口の端を吊り上げた。
「ふん。この痛みももうすぐリスト、貴様の死をもって贖わせてやる」
その言葉には昏い意志が籠められていた。
ありがとうございました。