表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
隠し味には 愛情を  作者: 塩味 ひらまさ
1/2

-第一章 雲を駆けて、あの場所へ-

「わたくしが料理に興味を持ったのは、あの公園での出会いがきっかけでした。丘の上に位置する長い長い坂を上った先にある、わたくしのお気に入りの場所。 そこで出会った1人の男性は、おっとりしているようで意外と無遠慮。しかし彼のおかげで、わたくしの中にあった“美味しい”という感情は大きな変化を遂げたのです」


 彼女が語る物語。それは勇者やドラゴンは登場せず、かと言って宇宙へも飛び出したりはしない。とても普通な日常の延長線上。それは温かな料理のお話。美味しいってどういうことだろう? 何気なく口にするその言葉を、今一度考えるきっかけをくれた出会い。そして、ほんのちょっとだけ、成長の記録。



-第一章 雲を駆けて、あの場所へ-


 講義の終了を告げるチャイムが鳴り響く。途端に集中力が切れ、講堂内は安堵と喧騒に包まれた。明るい雰囲気とは裏腹に、教員はやれやれと苦笑いを浮かべながら教壇を後にした。昼食を摂りに行く者や帰宅をする者。それぞれが開放感を胸に、向かうべき場所へと動き出した。しかし一区画、まるで温度が下がっているのかと錯覚すら覚えるような静けさをまとい、1人の少女が何をする訳でも無く座っていた。その容姿は羞月閉花。目を惹くのは、流れるようにつややかな黒髪。 絹のようにきめ細やかな肌に覆われた、ふっくらと形の整った頬。しかし視線は力強く、小さくともきりりと結ばれた愛らしい唇が、意志の強さを物語っていた。 けれど不思議な事に、そのような整った容姿の彼女ではあったが、周囲に学友の姿は無い。講義の最初から今まで一言も発すること無く、たおやかな仕草でノートや筆記用具を片付けた後、足音高らかにその場を立ち去った。


「やっぱり美人だよなぁ……」

後姿を見送り、そう呟く男子。女子からもうっとりとした視線を集めてはいるものの、さも無関心のごとく突き進む。彼女が通った後は、皆つい足を止めてしまうほどだった。 しかし声をかける者はいない。それが普通でもう慣れた。彼女にとってはいつも通りの光景だった。だから自分もいつも通り。気にする事なんて無いんだから。


 夏の日差しよりも眩しいくらい純白の日傘をお供に、彼女は大学の門をくぐった。しかし帰宅する訳では無く、散歩に行く訳でも無い。ひとつの目的の下、 その長くしなやかな足は確かな足取りで歩き出す。季節は夏。ようやく梅雨も明け、青い空に立ち上る入道雲が似合う陽気へとなってきた。確かに暑いが、彼女はこの季節が好きだった。その天へと延びる雲を見上げると、より一層高く感じられる空。強い日差しでハイキー気味に広がる世界。そして夜の帳をひっそりと知らせる、ひぐらしの物悲しさ。 躍動的であり静寂の二面性を持つ夏が、毎年彼女の何かを刺激する。そして予感を感じさせる。大体は予感のままで終わってしまうが。


車通りも少なく、むしろ車の通れないような小路を迷い無く進んで行く。新緑をなみなみと湛えた樹木が意外と多く、彼女に日影を提供する。塀の影に伸びた顔馴染みの白ネコがニャンと一声挨拶してきた。ここはまるで彼女の庭。それもそのはず。この道は入学後に発見して以来、足しげく通っているからだ。曲がり、進み、また曲がり。まるで迷路のような住宅街を歩き続ける。途中見えてくる、もう錆びて表情の分からない飛び出し注意の看板。そこを過ぎたT字路で、進路を面舵いっぱい。すると眼前に待ち受ける、長い長い上り坂。真っ直ぐ上へと延びるその先には、もくもくと入道雲が待ち受ける。まるでその光景は、雲へと続く上り坂だと錯覚するほどに。見上げ、気合を入れ直し、彼女は一歩一歩空へと登り始めた。


 天への道と錯覚するほどの坂を登り切ると、そこにはこじんまりとした公園がある。しかしこの暑さのせいだろうか、それとも立地条件ゆえだろうか? 到着した時、彼女以外の人影は一切見受けられない。これも想定内。むしろ狙い。わざと静かな場所へと赴いたのだから。わき目も振らず、ずんずんと。ひまわりの咲く花壇を回り込み、レンガを敷き詰めた道を奥へ。その先に待っているのは、彼女の特等席。小高い丘の先端部に、ずっしりと静かに佇む一本の大木。その下へ寄り添うように設置された一基の白いベンチ。座れば眼前に広がる大パノラマ。高いビルが少ないため、遠くまで見渡せる街並み。その先で夏の日差を受け、キラキラと自己主張する海。そよそよとそよぐ風を木陰の中で受ければ、坂を登って流した汗もすっと引いていく心地良い空間。彼女はこの贅沢を独り占めするため、こんな人気の無い公園まで来ているのだった。


ミネラルウォーターで喉を潤したら、いよいよお待ちかねの時間だ。肩に下げていたトートバックから取り出したのは、見た目からして高級そうな弁当箱と対照的に可愛らしいピンクの水筒。弁当箱の蓋はしっとりとした光沢のある黒地であり、赤で描かれた一羽の鳳凰が美しい。そう、彼女はお昼ご飯を食べるためにこの場所へ通っているのだった。意外なほどに涼しく、目を見張るような絶景が、食事をより一層美味しくしてくれるような。シチュエーションも調味料といったところだろう。


 お箸を持ち、そっと蓋を開ける。しかし自分で行っているにも関わらず待ち切れないのか、横から中を覗きこんでみる。そこに待っているのは、色とりどりのワクワクとドキドキだ。小さいながらもぎっしりと詰まったご飯とおかず達。白米は冷めているにも関わらず、ツヤツヤと光沢を持ちとても美味しそうだ。その中心を飾る真紅の梅干しも食欲をそそる。今日のメインは、カレイの煮付け。肉厚な白身によく滲みた煮汁。広がる生姜の香りが上品だ。脇を固めるのは夏野菜の漬物。キュウリやナスはもちろん、オクラの星型が見た目も楽しい。実はオクラに含まれるβカロテンはレタスの3倍にもなり、抗発ガン作用や免疫賦活作用に期待ができる。また、高血圧予防によいカリウムや、豊富なカルシウムも魅力だ。そして黄色が見目麗しい出汁巻き卵。形も綺麗でとても厚い。口に含んだ際に溢れだす出汁を想像するだけで、お腹が早くと悲鳴を上げる。


両手を合わせ、ご飯に一礼。

「いただきます」

さぁ、これからが本番だ!


カレイを小さく切って口へと運ぶ。ひと噛みした途端に溢れる煮汁を楽しみつつ、同時に箸は白米へ。すかさずご飯を放り込む。煮汁と合わせる事により、口一杯に新たな調和が広がった。出汁巻き卵も忘れちゃいけない。弁当箱の一角で主張する黄色。ノールックで2つに分割。けれど繊細に。折角の出汁がこぼれてしまっては勿体無い。まるで宝石でも扱うかの如く卵を持ち上げ、思わずうっとりと眺めてしまう。美しい。ふんわりと香る出汁は昆布だろう。更には生地に練り込まれた、ひじきとの海藻コンピレーション。彼女にはお馴染み出汁の海を優雅に泳ぐカレイが見えている。頬張りつつも、思わず笑みがこぼれた。


しかしここで我に帰る。このままではペースが狂ってしまう。最高の食事には、最高の配分があるのだ。漬物で1度口をリセットし、がっと水筒のお茶を一杯あおった。実に男らしい。顔を上げ、箸を持ち直す。何処かで第二ラウンドのゴングが鳴り響くのだった。


最後の米一粒まで綺麗に平らげ、勢い良く手を合わせる。夏空へパンと軽快な音が響き、今回も感謝の一言。

「ご馳走様でした!」

気分は晴れ渡った空のように爽快。お腹は一杯、幸せも一杯。やはり食は素晴らしい。はふぅと一息ついて、後ろへ手をつく。木々の葉を透過する光を見上げ、ふと横を見る。すぐ近くに、地面に広げたレジャーシートに座った1人の男性。目が合うと、ニコニコ笑顔。

「……っ⁉︎」

先程吐いた息を呑む。声にならない悲鳴。握った水筒を振り上げ、フルスイング。ンゴン! と鈍い音を立てて、水筒は男性の額に着弾。落ちる水筒、後ろへ倒れる男性。そのままの笑顔が、やたら哀愁を漂わせている。世界はスローモーションのコマ送り。水筒が落ちる音と男性が倒れる音がシンクロした時、全てが始まった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ