表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
竜の赤ちゃん、拾いました。第一章~第三章  作者: 小川せり
第三章 悩める旅人
66/70

9. 絶望の檻の中で

9. 絶望(ぜつぼう)(おり)の中で



劣悪(れつあく)環境(かんきょう)一筋(ひとすじ)希望(きぼう)()()せない状況(じょうきょう)、生まれて初めて経験(けいけん)した愛のない生活。絶望(ぜつぼう)(おり)に閉じ込められたミュウは、それら全てに()(つぶ)されて、生きる希望(きぼう)(うしな)っていました。(かな)しみと絶望(ぜつぼう)からミュウの命が今にも消えようとしていたその時、一人の老婆(ろうば)番兵(ばんぺい)()れられてやってきました。

「おお、ひどい(にお)いだっ!」

老婆(ろうば)は入ってくるなり、そう言ってっ鼻を(おお)いました。ミュウは首をもたげて悲しそうに老婆の方を見ましたが、すぐに力なく頭を()れてしまいました。この頃には、与えられた(えさ)もほとんど(のど)(とお)らなくなっていたため、首をもたげていることさえ億劫(おっくう)だったのです。

牢は数か月間掃除(そうじ)されていなかったので、()まったままのミュウの排泄物(はいせつぶつ)強烈(きょうれつ)悪臭(あくしゅう)(はな)っていました。老婆(ろうば)悪臭(あくしゅう)()えかねた番兵たちが、(やと)()れた掃除女(そうじおんな)でした。彼女(かのじょ)身寄(みよ)りがなく、金に(こま)っていたため、誰もが(いや)がるこの仕事を、信じられないほど安い賃金(ちんぎん)で引き受けたのでした。また、老婆(ろうば)()いが進んでいた(ため)、目がほとんど見えなくなっていましたが、それも番兵たちにとっては好都合(こうつごう)でした。したがって、暗闇(くらやみ)の中に横たわるミュウの姿も、老婆には大きな石の(かたまり)ぐらいにしか見えていませんでした。

番兵は老婆(ろうば)(いし)(ろう)に押し込むと、さっさと(かぎ)をしめ、()(ごと)の続きをするためにどこかへ行ってしまいました。


「おお、ひどい(にお)いだ。」

小さな老婆(ろうば)先程(さきほど)と同じ言葉を(ふたた)(つぶや)きましたが、鼻が()れたのか、さほど(いや)がる様子(ようす)も見せず、黙々(もくもく)と(ろう)掃除(そうじ)を始めました。(こし)(えび)老のように曲がっているせいで、ずっと下を()いている老婆が、顔を上げることはないように思われました。しかし、ミュウは(まん)(いち)にも老婆が顔を上げて自分を見て、(おどろ)くことがないようにじっとしていました。


老婆(ろうば)(いし)(ろう)(すみ)から掃除(そうじ)を始めましたが、やがてミュウが横たわっている(あた)りにも(ちか)づいてきました。老婆の持っているブラシが足枷(あしかせ)(くさり)(から)まってガチャガチャと音と立てました。

「おや、こんなところに(くさり)が......」

老婆は何も考えずに(くさり)手繰(たぐ)()せました。(くさり)の先には重たくて(かた)い何かが(つな)がれています。老婆はそこでようやくそれが(ろう)(ぬし)ではないかと思い当たりました。しかし、(こわ)くはありませんでした。長年(ながねん)世間(せけん)から(しいた)げられてきた老婆は、自分の命などどうなってもいいと思っていたからです。(なが)()きをしても良い事などまったくありませんでした。

 老婆は手に持っていたブラシを、(ろう)(ぬし)に当ててみました。(かわ)いた音がしましたが、(かた)い中にも無機(むき)(しつ)にはない(やわ)らかさが感じられます。

「おや?」

老婆はもう一度、ブラシを当ててみました。やはり石とは違う音がします。

(ため)しに(くさり)()()ってみると、(ろう)(ぬし)は「()()らないで」とでもいうように老婆の方へと顔を近づけてきました。(なま)(あたた)かい鼻息(はないき)が老婆に()かり、老婆は目の前にいる相手が生き物であることを確信(かくしん)しました。

「これが(ろう)(ぬし)かい?」

老婆はブラシを(ゆか)()くと、今度は自分の手で(たし)かめようと、()()のような(うで)を伸ばしました。(かわ)いた手がミュウの背中(せなか)をそっと()でていきます。

()(にお)いがする......お(まえ)さん、怪我(けが)をしているね?それにひどく()せている。」

(いし)(ろう)に足を()()れた時は、糞尿(ふんにょう)(にお)いが強烈(きょうれつ)()かりませんでしたが、近くに()ってみると、(いし)(ろう)(ぬし)怪我(けが)をしているようでした。背骨(せぼね)もゴツゴツと()()ていて、極限(きょくげん)まで()せているのも()かります。


()(かよ)った人間の声を(ひさ)しぶりに聞いたミュウは、弱々(よわよわ)しく息を()くと、冷たい鼻先(はなさき)を老婆の手に()()てました。その仕草(しぐさ)に、老婆の中にあった少しばかりの恐怖(きょうふ)(しん)完全(かんぜん)()えてなくなり、その()わりにこの(おだ)やかで(あわ)れな生き物に対する強い同情(どうじょう)(しん)()いてきました。老婆の声は()らず()らずの内に(やさ)しくなっていました。

「おや、まあ。大きいこと。お(まえ)さんがこの(ろう)(ぬし)かい。どうりで(だれ)正体(しょうたい)を教えてくれなかったわけだ。」

番兵たちは老婆が逃げ出すことを(おそ)れて、ミュウの正体(しょうたい)を教えてくれませんでした。

(ろう)(ぬし)は老婆の()()けには反応(はんのう)しませんでしたが、その気配(けはい)から老婆の声にじっと耳を(かたむ)けていることは()かりました。

その日、老婆は(ろう)掃除(そうじ)(かん)(たん)()ませると、番兵が(むか)えにくるまでずっとミュウの身体(からだ)をさすっていました。


翌日(よくじつ)も同じ時間に老婆はやって()てると、(だま)って掃除(そうじ)を始めました。しかし、番兵がいなくなるとすぐに、老婆は()ぎはぎだらけのスカートのポケットから()(ぐすり)を取りだして、ミュウの傷口(きずぐち)()(はじ)めました。昨日(さくじつ)、番兵たちから(もら)ったお金で買ってきた軟膏(なんこう)です。

「少し()みるかもしれないけど、じっとしておいで。(あば)れるでないよ。お(まえ)さんがちょっと動いただけで、あたしの骨なんて簡単(かんたん)()れてしまうんだから。」

(ろう)(ぬし)は老婆の言葉を完全(かんぜん)理解(りかい)しているようで、(くすり)()ってもらっている間、少しも動かずにじっとしていました。

可哀想(かわいそう)にね。どうしてこんな目に()わされているんだか知らないけど、あいつらに(つか)まったのが(うん)()きさね。あいつらの残酷(ざんこく)なことと言ったら、知らない者がないくらいだよ。あいつら、あたしにも随分(ずいぶん)威張(いば)()らしていたよ。」

老婆は小さな声で話しながら、ミュウの傷の一つ一つを指で(さぐ)()て、薬を()っていきます。

「おや、これはなんだい。まるで(うろこ)みたいだね。おやまっ、(つばさ)もある!お(まえ)さん、もしかしたら、ドラゴンなのかい。ああっ、なんてこったい!あたしゃ、知らないうちにドラゴンの()(あな)(まよ)()んでしまったんだね。」

そう言いながらも、老婆が手を()めることはありませんでした。

「お前さん、こんなに()せているけど、(えさ)は食べていないのかい?まるで、()えて死のうとしているみたいじゃないか。だけど、動物が自殺(じさつ)するなんて聞いたことないねえ。自殺(じさつ)するのは人間だけかと思っていたよ。」

老婆はぶつぶつと(ひと)(ごと)のように(つぶ)きました。

「でも、こんな(ところ)で死んだら駄目(だめ)だよ。お(まえ)さんにだって家族(かぞく)はいるんだろう?お前さんが死んだら、(かな)しむ人もいるんじゃないのかい。」

(おも)いがけない老婆の言葉に、リューイたちと()らしていた(とき)記憶(きおく)(よみがえ)り、ミュウは泣きそうになるのをぐっと(こら)えました。老婆はゴツゴツしたミュウの背中を(やさ)しく()でました。

「こんなこと、あたしら人間が言うのも何なんだけど、こんな(おだ)やで大人(おとな)しい生き物に平気(へいき)(ひど)(こと)をするんだから、人間ってのはどうしようもない生き物だねえ。それでも、こんな(ところ)で死んだら駄目(だめ)だよ。」

そう言いながら、老婆はミュウの首をぎゅっと()きしめました。ミュウは(こら)えきれずに小さな嗚咽(おえつ)()らしながら、老婆にそっと顔をすり()せました。


その日以降(いこう)、老婆は毎日、番兵たちに見つからないようにミュウに食べ物を持ってくるようになりました。その中でもミュウの一番のお気に入りはリンゴでした。一瞬(いっしゅん)だけではありますが、リンゴの酸味(さんみ)(さわ)やかな(かお)りが陰鬱(いんうつ)気分(きぶん)()()ばし、リンゴの甘味(あまみ)(かなしみ)しみを(いや)してくれました。

日々(ひび)の()らしにも(こま)っている老婆が自分の食べる(ぶん)()らしてでも買った小さなリンゴは、あっという()にミュウのお(なか)の中に入ってしまうのですが、それでも老婆はミュウがリンゴを()(くだ)小気味(こきみ)()い音を聞くだけで満足(まんぞく)でした。


やがてミュウは老婆が(いし)(ろう)(おとず)れるのを心待(こころま)ちにするようになりました。老婆のほうもミュウに自分の境遇(きょうぐう)(かさ)()わせているのか、ミュウに強い共感(きょうかん)(あわ)れみを(しめ)すようになりました。

が気に入ったようで、昔、()っていた犬の話などをミュウに話して聞かせるようにもなりました。

「お前さんは昔、()っていた犬によく()ているよ。とっても大人(おとな)しくて良い子だった。(あと)にも(さき)にも犬の()ったのはその一回こっきりだったけどな。あまりにも()せていたから、可哀想(かわいそう)になって(ひろ)ってきたのさ。」

「グルルル~」

(ろう)(ぬし)は人間の言葉(ことば)完全(かんぜん)理解(りかい)しているようでした。かなり高い知能(ちのう)(ゆう)しているようで、人間の言葉こそ話せないものの、ちょっとした動きや(のど)()らす音のトーンを微妙(びみょう)()えるなどして、老婆の言葉を理解(りかい)していることを(つた)えてくるのでした。その(やさ)しさと熱心(ねっしん)に耳を(かたむ)けてくれる姿勢(しせい)は、孤独(こどく)な老婆にとって(ろう)(そと)にいる人間たちよりも(この)ましいものに(かん)じられました。


そうこうしている(うち)に冬は()ぎ、季節(きせつ)はいつの()にか春になろうとしていました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ