23. 野良ドラゴンも楽じゃない?!
23. 野良ドラゴンも楽じゃない?!
野外生活も3週間を超えると、ミュウは新しい環境にもかなり馴染んだようでした。ときどきどこかへ出掛けては、何日も帰ってこなくなりました。餌も自分で採っているようで、リューイたちが用意したイノンドやコエンドロには手をつけません。
「ミュウったら、すっかり野良ドラゴンになっちゃって…」
フューイを抱っこしたお母さんは、空っぽの庭を眺めながらポツリと呟きました。ミュウには散々(さんざん)、手を焼かされましたが、こうなると寂しいものです。
真夜中、ミュウは風の音で目を覚ましました。
――風が呼んでいる。
ミュウはゆっくりと目を開けました。
――行かなくては…でも、どこへ?
ここではない何処かへ
心の中でもう一つの声が答えます。
――そういえば、ユストは?ユストはどこ?
忘れかけていた記憶が蘇ります。旅の間、自分を懐に入れて守り、温めてくれた人はどこへ行ったのでしょう。
――飛ばなくては…空へ…
何かがミュウを急き立てます。
――どの空へ?
心がザワザワします。
――青い森と湖が見える空へ…
脳裏に青い森と湖の光景が広がります。青い森と湖なんて、どこで見たのでしょうか?
森と湖、優しく包み込み込んでくれた翼の温もり、揺りかごを揺らす白い手…それらを自分は良く知っているはずなのに、どうしても思い出せません。水面に浮かぶ泡末のように、いくつかの記憶が断片的に浮かび上がっては消えていきます。
飛び立つ時期が迫っていることを、本能が教えてくれました。
その頃からミュウは、日中はほとんど寝て過ごすようになりました。穴もいつの間にか掘らなくなりました。じっとしているミュウからは、生き物としての気配がほとんど感じられませんでした。
そんなふうでしたから、たまにミュウが動くと、何も知らない通りすがり人は、腰を抜かさんばかりに驚くのでした。
昼間はずっと寝ているミュウですが、リューイの足音だけはどんなに遠くても聞き取れました。リューイの足音が聞こえてくると、ミュウは目を覚まし、首をもたげてじっと耳を澄まします。
「ミュウ、ただいま!」
リューイが頭をなでてあげると、ミュウはフンッ、フンッと鼻から息を吹き出し、もっとなでてと言わんばかりに頭をリューイの手の平に押し付けてくるのでした。ミュウなりのお帰りの挨拶でした。しかし、お帰りの挨拶が済むと、すぐにまた目を閉じて寝てしまいます。ミュウの一番の大きな変化は、人との関わりを積極的に持とうとはしなくなった点かもしません。
一方、リューイもこの頃から学校の課題が増え始め、ミュウと遊ぶ時間が取れなくなってきました。キリキアでは子供たちは好きなときに学校へ行き、好きなときに休むことができましたが、登校してもしなくても、課題だけはちゃんとこなさなければなりませんでした。それに課題だけではなく、サッカーやゲームをする時間も必要でした。そんな訳で、ミュウと過ごす時間は減る一方でした。
リューイはミュウを放ったらかしにしていることに常に罪悪感を感じていましたが、ミュウ自身はリューイが思うほど、人間たちのことを気にしていないようでした。しかも、元々(もともと)、寒さに強い竜種であったため、慣れてしまえば野外生活も苦にはなりませんでした。いつの間にか生え揃った鱗も防寒具となり、キリキアの冬なら屋外でもほとんど問題なく乗り切れそうでした。
――スクエアードは寒い国だってユストが言ってたっけ。キリキアよりもいっぱい雪が降るんだろうな。それに、ミュウのお父さんはスクエアードよりももっと寒い国から来たとも言ってたし…
リューイはリビングから庭を眺めながら、そんなことを思い出していました。ミュウは大人になったらスクエアードに飛んで帰ってしまうのでしょうか。ミュウがそう望むなら、悲しいことではありますが、リューイにそれを止める権利はありません。しかし、リューイが知る限り、この地上にスクエアードという国は存在しないのです。ユストたちがどのようにしてキリキアに現れ、また、帰っていったのかわかりませんが、今のミュウを見ていると、ミュウにもそのようなことができるのではと思ってしまいます。
――ドラゴンは小さいうちはとても甘えん坊だけれど、大人になったら独りでいることを好む。
ユストはそう言っていました。図書館で借りた本にも同じような事が書いてありました。その言葉を聞いたときは、他のドラゴンならいざ知らず、ミュウは絶対、そんなふうにならないと思っていました。しかし、今となれば、ユストの言葉が正しかったことがよくわかります。ミュウは大人のドラゴンになりつつあるのです。独りでいたがることが何よりの証拠です。
――これが大人になるってことなのかな。なんだか寂しいけど、仕方がないのかな...
少し前まではミュウの考えていることが手に取るようにわかりましたが、最近ではほとんど読み取れなくなりました。孤独をじっと耐えていると思うときもあれば、自由を満喫していると思うときもあります。もしかしたらリューイと同じように、ミュウもまた、異なる種族との交流の難しさを感じ始めているのかもしれません。人間とドラゴンではあまりにも種が違い過ぎます。リューイだって、実を言えば、意思疎通ができなくなったミュウといるよりは、友達とサッカーをしたり、ゲームをしたりするほうがずっと楽しいのです。
そんなふうにして、ミュウの最初の冬は「おはよう」と「ただいま」以外、ほとんど会話もないまま過ぎていきました。
深夜、家の灯りがすべて消え、皆が寝静まった頃、闇に潜む三つの影がゆらりと立ち上がりました。ミュウはしばらく前から、闇に潜む者たちの存在に気が付いていましたが、それをリューイに伝える術を知りませんでした。
その者たちは非常に邪悪な何かを発していましたが、彼らのような人間にあったことのないミュウはどのように対処して良いかわかりませんでした。とりあえずは、寝たふりをしながら、様子を窺うことにしました。
三つの影は暗闇の中で何かを囁き合っていましたが、しばらくすると囁きも止んで、再び闇に同化しました。




