番外編 ゼリーの正しい食べ方
ユストが子供の頃の話になります。
ゼリーの正しい食べ方
青の森の中を、ユストは泣きながら歩いていました。傷心のユストに追い打ちをかけるように、雨まで降り始めました。
「あっ!」
気が付いたときは、ユストは顔から地面に思い切り叩きつけられていました。一瞬、意地悪な門番の子に後ろから突き飛ばされたのかと思いましたが、木の根につまずいただけのようでした。手のひらに小石がいくつかめり込み、膝からは血が出ています。
どうして、悪いことは重なるのでしょう。「泣きっ面に蜂」とはこのことです。ユストは手のひらにめり込んだ小石を指で押し出しながら、悲しくなりました。
ユストには孤児になる前の記憶が一切ありませんでした。養父のモルデカイは幼いユストのためにいろいろと心を砕いてくれました。忙しい仕事の合間に、ユストにスクエアード語を教えてもくれました。言葉が通じなくても善い人ということはわかるのですが、モルデカイは根っからの学者肌でちょっと変わったところがあるため、心の内を打ち明けられるほどには打ち解けられませんでした。
お城では、王様も女王様もそして幼い王女も優しくしてくれました。ユストがどこから来て、どんな事情で森の中の置き去りにされていたのかは誰も知りませんでしたが、元々(もともと)、良い家の子供だったのでしょう。見た目も良く、お行儀も良いユストは、女王の遊び相手として王様のお眼鏡にかないました。
しかし、国王一家に気に入られているユストを妬む者も少なくありませんでした。ユストに面と向かって「捨て子」と言う人もいました。その度にユストは深く傷付きましたが、誰にも心の内を打ち明けることはできませんでした。そのせいもあって、ユストは未だにスクエアードの言葉も習慣にも馴染めず、どこにも居場所がないように感じていました。
だから、ユストは泣きたくなるといつも青の森へ行きました。深い森に一人で入っても、不思議と怖いと思ったことは一度もありませんでした。まだ6歳の子供が泣くために森の中に入っていくとは、なんとも切ない話ですが、本人がそれを切ないと思っていないのがまた切ないではありませんか。
今日もユストがいつものように青の森で泣いていると、大きな虫が飛んで来てユストの頭にコツンと当たりました。コツンとぶつかった虫は、そのままストンと落ちてユストの肩にとまりました。さらにもう一匹、どこからともなく飛んで来て反対側の肩にとまりました。ユストは虫が好きではありませでしたが、すごく悲しくて、辛かったので、追い払う気にもなりませんでした。一瞬だけ泣き止みましたが、すぐにまたしくしくと泣き始めました。
「ねえ、なんで泣いているの?」
誰かが耳元で囁きました。女の子の声のようでした。ユストは泣き顔を見られるのが嫌で、膝に顔をぎゅっと押し付けると声が聞こえた来た方向とは逆の方向を向きました。
――僕に話しかけないで!
ユストは横を向いたまま、ひたすら女の子がどこかへ行くのを待っていましたが、女の子はじっとこちらを見ているようでした。
「ねえ、なんで泣いているの?」
今度は反対側からも声を掛けられました。ユストは慌てて顔の向きを変えると、さらにぎゅっと膝に顔を押し付けました。
「ねえ――」
――しつこいなあ!放っておいてよっ!
ユストはムッとして顔を上げましたが、そこには誰もいませんでした。
――あれ?さっき確かに誰かの声がしたのに......
後ろを振り返ってみましたが、そこにも誰もいませんでした。
――もしかして、森の奥に分け入り過ぎてしまったのかな?変な生き物がいたりして......
ユストはぞっとしました。誰にも会いたくないと思っていたので、人目を避けるように、森の奥へ、奥へと来てしまいましたが、急に森の中に一人でいることが怖くなりました。一刻も早くこの場から立ち去らなければなりません。ユストが立ち上がりかけると、またしても声が聞こえてきました。
「ねえ、ここよ、ここ!」
誰かがちょんちょんと頬を突いています。ユストはもう一度、後ろを振り返りましたが、やはり誰もいませんでした。
「ここだってば!ここ!」
クスクスと笑う声がして、ユストはキョロキョロと辺りを見回しましたが、やはり誰もいませんでした。恐ろしくなったユストは、走って逃げだそうとしました。
「おバカさんね。ここだってば!」
――どこっ!?
パニックになったユストは、先程までとは違う意味で泣きそうになりました。その瞬間、ちょんちょんと再び誰かに頬を突かれて、ユストは固まりました。ゆっくりと首を捻った視線の先には、奇妙な生き物がいました。
――えっ!?
いつの間にか、肩に小さな人間が乗っているではありませんか。
――小人っ!
地底には緑色の小人が棲む王国があると聞いたことがあります。青の森であれば、そのような地底王国と繋がっていても不思議ではありません。この小人たちは地底から湧いてきたのでしょうか。ユストが目まぐるしく頭を働かせていると、小さな人間はふわりと羽を広げてユストの肩から飛び立ちました。
――ちがうっ!小人じゃない!妖精だ!森に棲む妖精だっ!
ユストは興奮して立ち上がりました。妖精に遭えるなんて、何百人に一人の、いえ、何万人に一人ではないでしょうか。もしかしたら、自分はすごい強運の持ち主なのかもしれません!
「よ、よ、ようせいさんっ!?」
思わず、声が裏返ってしました。
「ふふふっ、そうよ、泣き虫さん。びっくりした?」
こくりと頷いたユストの手の上に、リンとキキはふわりと降り立ちました。
「泣かないのよ。男の子でしょ。」
「男の子でしょ。」
妖精たちに言われて、ユストは恥ずかしそうに俯きました。
はじめのうち、妖精たちはユストを放っておこうと思っていました。いつも泣いているユストのことが気にならないと言えば嘘になりますが、いかんせん人間の子供です。関わらないにこしたことはありません。幼い子供がいつも一人で泣いているのは可哀そうですが、二人は人間が苦手でした。というよりも、大嫌いでした。例え、子供であっても、遥か昔、自分たちの国を滅ぼした人間に手を差し伸べるつもりはありませんでした。
遡ること三百年、妖精たちは緑の谷に小さな王国を造り平和に暮らしていました。しかし、ある日、突然、緑の谷に人間たちが現れ、妖精たちの頭上で戦争を始めたのです。争いとは無縁の世界で生きてきた妖精たちは何が起こったのかわらないうちに、戦火に巻き込まれ、ある者は爆弾で吹き飛ばされ、ある者は人間や軍馬に踏み殺され、その多くが人間たちの戦争の巻き添えとなって死にました。たった一日の戦争で、何百人もの妖精が死んでしまったのです。戦闘が終わった後、人間たちは生き残った敵兵を炙り出すために、谷に火を放ちました。それによって、かろうじて生き残っていた妖精たちもすべて死んでしまいました。奇跡的に生き残ったのは、その日、たまたま、谷の外に出掛けていたリンとキキだけでした。二人が目にした光景は、あまりにも無残でした。焼け焦げた仲間たちと灰になった家々(いえいえ)。それ以外は何一つ残っていませんでした。
谷を後にしたリンとキキは心を失くし、生ける屍となって何年間も荒野を彷徨いました。
二人は人間を心の底から憎みました。妖精族だって喧嘩をすることはありますが、相手を殺すまで闘うことはしません。二人が知る限り、相手を殺すまで闘い合う生き物は人間だけでした。人間たちが行いを改めない限り、いつかはきっと、互いに殺し合ってこの地上からいなくなってしまうでしょう。そうなったとしても自業自得です。
二人は人間を一生、許さないつもりでしたし、近づくつもりもなかったのですが、泣いているユストを見ていると可哀想でいてもたってもいられなくなるのです。森の中でしばらく泣いた後、とぼとぼと町へ帰っていく痩せた小さな後ろ姿を見送る度に、二人の胸は痛くなりました。そして、とうとう今日、二人はユストに声を掛けてしまったのです。
「どうしていつも泣いているの?」
二人に訊ねられたユストは、ポツリポツリと身の上話を始めました。小さい頃、森の中でスクエアードの王様に拾われたこと、拾われる前のことはまったく覚えていないこと、毎日、「捨て子」と苛められていること、などなど。
最初のうち、妖精たちは真剣にユストの話に耳を傾けてくれていました。しかし、ユストが動く度にユストのポケットから甘い匂いが漂ってくるので、次第に二人は落ち着かなくなりました。
――ぐうぅ~
――キュルル~
甘い匂いに刺激されて、二人のお腹が盛大に鳴り始めました。
「妖精さん、お腹が減っているの?」
妖精たちのお腹の鳴る音があまりにも大きかったので、ユストは目をまん丸くしました。真面目な話を聴いている最中で、きまりが悪かったのでしょう。二人は顔を赤らめました。
「少しね。」
「そう、ちょっとだけ。」
ユストはポケットの中にお城で貰ったお菓子が入っていることを思い出しました。とても美味しかったので半分ほど食べて、あとはモルデカイに持って帰るつもりでした。
「......これ食べる?」
ユストはごそごそとお菓子の包みを引っ張り出しました。さっき、転んだせいでお菓子はボロボロに砕けていましたが、それでも二人にはとても美味しそうに見えました。アーモンドの粉を練り込んだこのお菓子は、スクエアードではとてもポピュラーなものでした。
妖精たちはすぐさまお菓子に飛び付くと、夢中で食べ始めました。ガツガツとお菓子を貪り喰らう二人を見て、ユストは「今度は泣くためではなく、この子たちにお菓子をあげるために森に来よう」と思いました。
二人がお菓子に夢中になり過ぎたため、ユストの「お悩み相談」は答えが出ぬままに終わってしまいましたが、「奇跡の出会い」のお蔭でユストの心は少しだけ軽くなりました。
次の日から、ユストは毎日、森に出掛けるようになりました。妖精たちとお菓子を分け合って食べたり、一緒に遊んだりするうちに、三人はあっという間に仲良くなりました。
ユストは妖精たちを自分と同じ年ぐらいだと思っていましたが、このとき、リンとキキは既に500歳を超えていました。しかし、妖精族というのは、いくつになっても子供っぽいところがありましたので、大人よりも子供と遊んでいるほうがずっと楽しいようでした。
二人を出会ってから知ったのですが、妖精たちは可愛らしい見た目に合わず、口が悪く、そして大食いでした。
――なんか、絵本に描かれている妖精と違うな~
妖精たちに会う度に、ユストの中の妖精のイメージは崩れていくのでした。
やがて、ユストのスクエアード語も上達し、近所の子供たちとも仲良く遊べるようになりましたが、時折、お菓子を持って妖精たちを訪ねることは忘れませんでした。もちろん、妖精たちの存在は誰にも明かしませんでした。
ある日、ユストが城で王女たちと遊んでいると、おやつにとても綺麗なゼリーが出されました。涼し気な透明の器に入ったゼリーは、二色の層になっていました。一番上は、サイダー味の透明のゼリー。真ん中には小さなミントの葉が添えられています。その下はブルーハワイ味の青いゼリーです。中には丸いピンク色の桃のゼリーや黄緑色のメロンゼリー、紫色のブドウゼリーが入っています。あまりにも綺麗だったので、ユストは妖精たちにも食べさせてあげたくなりました。
ユストが思い切って、若い給仕係りにゼリーを持って帰ってもよいかと訊ねると、給仕係りは微笑んですぐに許可してくれました。
若い給仕係りは、ユストがいつもモルデカイにお菓子を持って帰っていることを知っていたので、今回もそうだと思い、ゼリーを運びやすいように箱に入れて、さらに袋に入れてくれました。
自由に外に出られない王女は、町に帰るユストを羨ましそうにユストを見ていました。本当は町に帰るのではなく、これから森に行くのです。ユストは嘘を付いたことにほんの少し罪の意識を感じつつも、早速、森へと向かいました。
ゼリーを見た瞬間、妖精たちは歓声をあげました。
「うわぁ~、キレイっ!」
「すごいっ!こんなキレイな食べ物、見たことがないわっ!」
妖精たちは涎を垂らさんばかりにして、ゼリーを見ていました。
これだけ喜んでもらえれば、苦労して運んできた甲斐があるというものです。
しかし、二人は喜びつつも、中々(なかなか)、食べようとはしませんでした。
なぜかもじもじしています。
「どうしたの?食べないの?」
ユストが二人に声をかけると、二人は顔を見合わせて頷き合い、そして――
「あのね、実はわたしたち…」
「一度、やってみたいことがあるの。」
キキとリンはゼリーが入った器の縁に立ちました。
「きっと、ユストは気を悪くすると思うけど、怒らないでね。」
そう言うとキキは迷うことなくゼリーの海に飛び込みました。
ちゃぷっ
――あ”ーっ!
ユストは心の中で叫びましたが、止める間もありませんでした。
「きゃあっ!あたしもっ!」
ちゃぷっ
――あ”ーっ!
すかさず、リンも飛び込みました。これまた、止める間もありませんでした。
あっけにとられているユストの目の前で、二人は大きな口を開けてゼリーを食べながら、下へ下へと潜っていきます。
ユストが器を目の高さに持ち上げると、キキがちょうど器の底に達したところでした。キキはガラス越しにユストに手を振ると、今度は器の底を蹴って上へ上へと泳ぎ始めました。
――こんな食べ方ってあり!?
器を持ったまま、ユストは絶句しました。
「プハッ!」
「フウッ!」
ゼリーの海から顔を出した二人は、大きく息を吸い込むと、満面の笑みを浮かべました。こんなに楽しい気分になったのは、何百年振りでしょう。
「ユストっ!ありがとう!すご~く楽しかった!」
「あたしもっ!すご~楽しかったし、冷たくて気持ちが良かった!ありがとう!」
「ホントね、ゼリーがシュワシュワってして、気持ちが良かったわね!」
「シュワシュワっとした」というのは、サイダー味のゼリー部分でしょう。しかし、ユストとしては、そこは「楽しかった」とか「気持ちが良かった」ではなく、「美味しかった」と言ってもらいたいところです。でも、悪気のない笑顔を向けられると、そんな言葉も引っ込んでしまいます。
「ユスト、ゼリーを無駄にしちゃってごめんね。」
「全部、キレイに食べるからね。」
いつもは憎まれ口ばかりの二人ですが、今日はやけに素直です。
――もしかしたらこの子たち、そんなに悪い子じゃないかも......
ユストは思いました。
「ユストも一緒に泳げたらよかったのにね。」
「ホントね。ユストがもう少し小さかったらよかったのに。」
「フフフッ、そんなの無理だよ。」
二人の言葉に、ユストは思わず吹き出してしまいました。
――それに、もしも僕が君たちくらい小さかったとしても、そんなお行儀の悪いことはしないよ。
あっという間に穴だらけになってしまったゼリーを見て、ユストは苦笑しました。そんなユストの心の声を知ってか知らずか、大満足の二人は、顔や頭に着いたゼリーを葉っぱで拭きながら、羽を震わせて笑っていました。
二人のお行儀の悪さには呆れるばかりですが、ご機嫌な笑っている二人を見ていると、ちょっとだけ可愛いなんて思ってしまうから不思議です。
妖精たちは過去の恨みを越えて、人間に手を差し伸べたことで、新たな道(人間との共存)が開け、美味しいお菓子も手に入れられるようになりましたね。いつまでも過去に捕らわれていては何も変わりません。私達も妖精たちのように勇気を出して、一歩前に進む必要があるのかもしれません。
また、泣いてばかりのユストも、腹ペコの妖精さんたちを気に掛ける優しさを忘れませんでしたね。人はどんなに辛い状況でも、他人を思いやることができます。自分がいっぱい、いっぱいで他人のことなんて気にしていられないと思うような状況でも、その気になりさえすれば、他人のために何かをすることができます。そして、どんな状況でも他人を思いやることによって、自分のことばかり考えることを止め、視野が広がり、元気になり、結果的に自分も励まされることになるのではないでしょうか。最近、大きな地震がありましたが、辛い避難所生活でも周囲とのかかわり方によって、大きな違いが生まれるのはこのようなちょっとした点かもしれません。
避難所生活でも私たち現代人にとってはかなり辛いのに、ある日、突然、難民キャンプに放り込まれたらどうなるのでしょうか。周囲がユストのような人たちであることを祈るばかりです。




