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竜の赤ちゃん、拾いました。第一章~第三章  作者: 小川せり
第二章 幻を見る者
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番外編 青毛の馬

ユストと第一部の最後のほうに登場した黒馬ナミのお話です。

小さな皆さん、ごめんなさい。今回は難しい漢字が多くなってしまいました。わからない漢字があったら、お母さんやお父さんに教えてもらってくださいね。


青毛(あおげ)の馬



ユストが近づいていくと、馬は飼葉(かいば)(おけ)の中から顔を出して、じっとこちらを見つめました。

馬は肩の(くるま)(ぼね)の幅が広く、四足(しそく)(あさ)を立てたようにまっすぐでした。このように、足をまっすぐにして立てる馬は(まれ)でした。多くの馬は、(あし)が前後に少し(かたむ)いているものです。ユストはこの馬が(たぐい)(まれ)なる駿馬(しゅんめ)であることを一目で見てとれました。

馬の目は落ち着いた色を(たた)えながらも、強い光が宿(やど)し、この馬が(かん)()*でもなければ、臆病(おくびょう)な馬でもないことを証明(しょうめい)していました。


ナミを初めて見たときの衝撃(しょうげき)は、今でもはっきりと(おぼ)えています。あれは小雨(こさめ)が降る六月の午後のことでした。ユストは知人(ちじん)紹介(しょうかい)で、地方の豪族(ごうぞく)(いと)んでいる小さな牧場を訪れました。ユストも馬を一頭、所有していましたが、(すで)に10歳を超えており、戦場に出るには少し歳を取り過ぎていました。

しかし、新しい馬を急いで買うつもりはなく、時間を掛けて納得(なっとく)がいくまで探そうと思っていました。言い換えれば、馬というのはそれほど大きな買い物なのでした。

雨に(けむ)納屋(なや)の横を通りながら、ユストはぼんやりと良い馬がいるといいなと考えていました。


ユストたちが厩舎(きゅうしゃ)に入ると、あちこちからブルルルという鼻息が聞こえてきました。全部で十頭ほどいたでしょうか。厩舎(きゅうしゃ)の入口に立ったユストは、心が(おど)りました。一番、手前にいる馬でさえ、相当(そうとう)名馬(めいば)なのです。それが厩舎の奥にいくにしたがって、どんどんレベルが上がっていくのです。この状況で、目移(めうつ)りするなというのは無理な話です。

薄暗い厩舎(きゅうしゃ)の中を奥へ進んで行くと、一番奥に何か光るものがいました。それがナミでした。強い()、明るく()()きとした(ひとみ)光沢(こうたく)のある肌、(なめ)らかに(りゅう)()した筋肉、美しいたてがみ、それらのすべてが(あい)まって、誇張(こちょう)ではなく、ユストの目には本当にその馬が光を放っているように見えました。

ユストは(かみなり)に打たれたようにその場から動けなくなってしまいました。(まよ)いや逡巡(しゅんじゅん)は一瞬にしてどこかへ飛んでいきました。

――この馬が欲しい。この馬でなければ駄目(だめ)だ。

この機会を逃したら一生、後悔するかもしれないという予感が体を駆け巡りました。間違いなく、この馬は一生に一度、会えるか会えないかの駿馬(しゅんめ)です。

ユストがナミから目が離せなくなったように、ナミもまた、ユストをじっと見つめていました。

――何を考えているのだろう…

のちに、万人(ばんにん)をして人馬(じんば)一体(いったい)とまで言わしめるほどの一人と一頭でしたが、この時はまだ互いのことをよく知りませんでした。


ユストがそっと手を伸ばすと、馬はユストの手の平の匂いを()ぎ、少しだけ考える素振(そぶ)りを見せました。

――俺のことを気に入ってくれたようだ。まずは第一(だいいち)段階(だんかい)突破(とっぱ)か…

乗馬(じょうば)名手(めいしゅ)であるユストは、乗り手と馬の相性(あいしょう)がいかに重要であるかを痛いほど知っていました。

「ホホホホ。この馬がお()()されましたかな?さすがはユスト様、お目が高いですな。馬のほうも、貴方(あなた)を気に入ったようだ。」

ユストが振り返ると、少し離れたところから見守っていた牧場の(あるじ)が音もなく近づいてきました。()(えだ)のような老人は、まるで体重がないようで、歩くときもまったくといっていいほど音を立てませんでした。

「この馬をご(らん)なさい。まるで、やっと本当の主人に(めぐ)()えたとでもいうような顔をしておる。この馬も相当(そうとう)あなたを気に入っとりますぞ。」

いわば相思(そうし)相愛(そうあい)ですなと言って、老人はホホホホと笑いました。

「そうでしょうか?」

ユストが問いかけると、小柄(こがら)な老人は(うなず)きました。

「この馬は、非常に利口(りこう)な馬でしてね――」

老人が愛しそうに馬の鼻づらをなでると、馬は甘えるように顔をすり寄せました。老人は隠居後(いんきょご)の人生をすべて馬の育成(いくせい)(ささ)げてきましたが、その中でもこの馬は特別でした。手塩(てしお)にかけて育てた馬を手放すのは、大切な娘を嫁に出すようで辛いのですが――もっとも、この人には娘はおりませんでしたが――良い主人に巡り合えたとなれば喜んで送り出さねばなりません。

「この馬は子供や小さな生き物にはとても優しいのですが、大人(おとな)の男が相手ですと(きび)しい態度(たいど)をとることがあります。」

老人は苦笑(にがわら)いを浮かべると、こう続けました。

当家(とうけ)には三人の息子がおりますが、(すえ)の息子がとんでもない放蕩(ほうとう)息子(むすこ)でして。いやはや、まったく、私の教育が悪かったのでございますが…。年をとってからできた子でしたので、ついつい甘やかして育ててしまいました。」

老人は()(わけ)のように(つぶ)くと、目を細めました。

「その息子がこれに乗りますと、それはもう、(はた)で見ていても可笑(おか)しいくらい、嫌がるのでございます。それが、長男が乗りますというと――長男というのは真面目(まじめ)なだけが()()の男なのですが――急に大人しくなるのでございますから困ったものです。」

困ったと口では言いつつも、老人は少しも困ったふうもなく笑ってみせました。一事(いちじ)万事(ばんじ)、そんな調子でしたので、老人は「どれだけ金を積まれても、つまらない人間に売り渡したのであれば、この馬が可哀想(かわいそう)である。相応(そうおう)の買い手が現れなければ、一生、この馬を自分の手元(てもと)に置いておこう」と(ひそ)かに(おも)(さだ)めていました。そこへ、ユストが現れたのです。これを運命と言わずして、何と言いましょう。馬自身もユストに不満はないようですし、老人としてもユストが買い手であれば喜んで手放せる気がしました。

この人は、最下層(さいかそう)から()(おこ)こした人物なだけに、人を見る目は確かでした。老人の好意に(あふ)れる眼差(まなざ)しを受けて、ユストは(ひか)えめに微笑み返しました。

――そうであれば、本当に良いのだが......そうなると、あとは値段の問題だけだな。おお、神よ。どうか私に味方してください。

ユストは心の中でそう呟きました。






挿絵(By みてみん)






数十分後、がっくりと肩を落としたユストは、(なお)も馬の前から離れられずにいました。馬の値段はユストの予想を(はる)かに上回るものでした。しかも、老人は値引き交渉には一切(いっさい)、応じられないというのです。

――高いだろうとは思っていたが、まさかこれほどまでとは......

どうあがいてもユストの給料で買えるような額ではありません。このとき、ユストは二十二歳。実力で一万人(いちまんにん)(ちょう)にまで登りつめていましたが、スクエアードでは年功(ねんこう)序列(じょれつ)制度(せいど)根強(ねづよ)く残っていたため、若年(じゃくねん)のユストの年俸(ねんぽう)は微々(びび)たるものでした。


老人が値下げに応じなかった理由の一つは、老人がこの馬の価値を固く信じて疑わなかったことにあります。老人は「この馬は羊のようでもあり、獅子(しし)のようでもあるから」と言いました。ユストは老人の言葉の意味をすぐに理解しましたが、その意味を本当に理解するのはもっと(あと)のことになります。

これは余談(よだん)ですが、後日(ごじつ)、再び牧場を訪れたユストはこの馬を最初から(なん)なく乗りこなして、改めて老人を驚かせることになります。

そして老人が値下げを(こば)んだもう一つの理由は、ユストにどれくらい覚悟(かくご)があるか確かめるためでした。特別な馬を維持するには、特別な環境、世話、熱意、そして金が必要です。農耕(のうこう)()が小型のファミリーカーだとしたら、軍馬(ぐんば)はF1カーなみの維持費(いじひ)が掛かります。老人はユストにそれだけの犠牲(ぎせい)を払う覚悟(かくご)があるかどうかを(ため)したのでした。


その後も(しばら)くナミを見詰めていたユストは(うし)(がみ)を引かれる思いで、厩舎(きゅうしゃ)を後にしました。ユストの背中に向かって、馬は戻ってこいとでも言うようにカッ、カッと前脚で床を()りました。

――振り返るな。

ユストは自分にそう言い聞かせると、未練(みれん)を絶ち切るように足を早めました。

――俺には()ぎた馬だ......

立ち去るユストの後ろ姿を、黒い二つの瞳がずっと見詰めていました。

――人が馬を選ぶのではない。馬が人を選ぶのだ。

馬に背を向けて歩き去るユストは、馬の視線に足を(から)()られるような錯覚(さっかく)(おぼ)えました。

厩舎(きゅうしゃ)を出たユストは、蕭々(しょうしょう)と降り続く雨の中、胴震(どうぶる)いをしました。



その夜、ユストはベッドに入ってもなかなか寝付くことができませんでした。あの馬の姿が(まぶた)に焼き付いて離れないのです。何度か寝返りを打った後、ユストは溜息をつくと起き上がりました。

時計の針は0時を過ぎていました。しかし、ユストは先程からどうしても今、モルデカイに会うべきだと強く感じていました。モルデカイに相談したところでどうにかなるとは思えませんでしたが、話を聞いてもらえば少しは気が晴れるかもしれません。

少し躊躇(ためら)った後、ユストは服を着替えると、モルデカイの家へと向かいました。モルデカイの家は近衛兵(このえへい)宿舎(しゅくしゃ)から歩いて三十分ほどのところにありました。

宿舎には門限(もんげん)がありましたが、ユストは立場上、夜中に呼び出されることも多かったため、門番に(とが)められることはありませんでした。

モルデカイの家の玄関を遠慮(えんりょ)がちにノックすると、モルデカイはまだ読書をしていたらしく、気持ち良くユストを迎え入れてくれました。






挿絵(By みてみん)






ユストはモルデカイに今日、見てきたことを少しずつ話し始めました。とある牧場で素晴らしい馬を見つけたこと。しかし、値段が高くて手が出せないこと。頭では(あきら)めるべきだとわかっているのに、どうしても(あきら)()れないこと、等々(などなど)。

(だま)って聞いていたモルデカイはユストの話しが終わると、静かに立ち上がり、奥へと引っ込みました。そして、しばらくすると、黒い箱を手に戻ってきました。箱には何重(なんじゅう)にも(かぎ)が掛けられていました。

モルデカイは(ふところ)から(かぎ)(たば)を取り出すと、鍵を一つ一つ開けていきました。箱の中には何やら重そうな袋が入っています。モルデカイがゆっくりと袋を開けると、中には金貨がぎっしりと詰まっていました。

ユストは(おどろ)きを(かく)()れませんでした。貧乏だと思っていた養父(ようふ)がこのような大金を持っていようとは夢にも思っていなかったからです。


「息子よ。」

モルデカイに息子と呼ばれたのは、これが二度目でした。一度目は「モルデカイの跡をついで文官(ぶんかん)になるのではなく、軍人(ぐんじん)になりたい」と打ち明けたときでした。そして二度目が今日です。

「息子よ。(しょう)たる者は良い馬に乗らなければならない。良い馬に乗れば、それだけ生き残る確率が高くなるから。(しょう)の使命は兵を統率(とうそつ)することだけでなく、(へい)を生きて国に連れて帰ることだ。将が倒れてしまったら、残された兵はどうなると思うか。壊滅(かいめつ)するより(ほか)ないではないか。息子よ、よく聞くがよい。これはお前のために貸す金ではない。何千、何万という兵士たち、()いてはその兵士の家族のために貸す金である。」

ユストは(だま)って頭を下げました。この金貨はモルデカイが長年(ながねん)にわたってコツコツと()めてきたものに違いありません。モルデカイと一緒に暮らしてきたユストは、モルデカイが粗食(そしょく)(つね)とし、一年を通して夏服と冬服を二着ずつしか持っていないことを知っていました。ユストは何かを言おうとしましたが、胸が()まって言葉になりませんでした。


モルデカイはユストが子供の頃から(じん)()について何度も教えてきました。今日のことは、その教育の集大成(しゅうたいせい)とも言えるでしょう。

全財産を少しも躊躇(ためら)うことなく与えることで、モルデカイはユストに(しょう)として心構(こころがま)え、究極的(きゅうきょくてき)には人としてのあり方を示そうとしたのです。彼は文官(ぶんかん)でしたが、古今(ここん)東西(とうざい)の歴史書を()(あさ)り、ありとあらゆる戦法を研究していました。ユストもこれまでに何度かモルデカイの的確なアドバイスにより命を救われたことがあります。モルデカイに実戦(じっせん)経験(けいけん)がないことを(かんが)みると、これは驚くべきことでした。



ナミを得て以来、ユストとナミは常に一緒です。戦場でナミに命を助けられたことは(かず)()れず。ナミによって大勢の兵士の命が救われてきたことを言うまでもありません。ユストは身をもって、モルデカイの言葉の正しさを証明してきました。

ナミは平素(へいそ)(ひつじ)のように柔順(じゅうじゅん)でしたが、戦場では一変(いっぺん)獅子(しし)のように猛々(たけだけ)しくなりました。自分と主人に危害を加えようとする者に対しては容赦(ようしゃ)がなく、()(つぶ)すことも躊躇(ためら)いませんでした。

軍馬(ぐんば)()(えん)大砲(たいほう)阿鼻叫喚(あびきょうかん)にも(おじ)じけることがない気の強さがなければなりません。一方で、人間の命令に従う従順さも必要です。また、重い(よろい)を着た騎士を乗せて戦場を走り回れるだけの体の大きさと力も必要でした。馬が大きければ大きいほど、上の乗っている人間は戦いにおいて有利(ゆうり)になります。

ユストがナミを手に入れた頃から、「スクエアードに()(ゆう)(たん)(そな)えた名将(めいしょう)あり」との(うわさ)が広がり始めました。事実、黒馬に乗ったユストが戦場に姿を現すと、それを見ただけで敵兵は恐怖に震え上がり、(しお)が引くよう後退(こうたい)しました。モルデカイの深慮(しんりょ)によって、ユストはかけがえのない戦友を手に入れたのでした。




* (かん)():気質が荒くて制御しにくい馬。あばれ馬。あらうま。(広辞苑より)






モルデカイは質素な生活をしていましたが、王の相談役を務めていましたので、実際は高給取りでした。しかし、高価な本をたくさん買い漁ったために、あまり贅沢はできませんでした。それが子供だったユストの目には「貧乏」と映ったのでしょう。


歴史小説好きの方の中には既にお気づきになられた方もいらっしゃるかもしれませんが、モルデカイとユストのくだりは司馬遼太郎先生の「功名が辻」から着想を得ています。ご興味のある方は是非、お手にとってみてください。面白さは保証します!

「功名が辻」の主人公は武将の山之内一豊ではなく、妻の千代です。千代が内助の功を発揮して一豊に馬を買わせた話は、明治から昭和の初期にかけて、どの国語の教科書にも載っていたくらい有名な話だったらしいです。まな板も買えないくらい困窮していた筈なのに、ここぞという時には夫に惜しげもなく10両を渡す…千代は良妻賢母の鏡ですね。



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