16. ミュウとポテトチップ
16. ミュウとポテトチップ
パリ、パリ、パリ、パリ
ミュウは目を閉じたまま鼻をヒクヒクと動かしました。
――なにかすごく美味しそうな匂いがする。だけど、眠い…
ミュウが片目だけを開けて見ると、リューイがポテトチップを口に放り込むところでした。リューイはミュウのお腹に寄り掛かったまま、図書館から借りてきた本を熱心に読んでいます。物語は佳境に差し掛かり、今まさに勇者が悪い王を倒そうとしているところでした。
――読書なんて、珍しい…
と、ミュウが思ったかどうかはわかりませんが、ミュウはちらっと本とポテトチップスに目を遣ると、再びに前脚にアゴを乗せて目を閉じました。
「あら、読書なんて珍しい。」
気が付くと、いつの間にか二階に上がって来たお母さんが目の目に立っていました。腕にはフューイを抱っこしています。
「あ~う~」
フューイはお兄ちゃんに向かって持っていたおしゃぶりを振り回しました。フューイの唾液が飛んでくるのをかわしながら、リューイが抗議します。
「失礼しちゃうな~、珍しいなんて。僕だって本ぐらい読むよ!」
リューイが口を尖らせると、お母さんは笑いました。
「リューイの言う読書っていうのは、漫画でしょ。」
――たまにはこういうちゃんとした本も読めば、もう少し国語の成績も上がるのにねぇ。
喉元まで出掛かった言葉を、お母さんは飲み込みました。
「ちょっと買い物に行ってくるから、その間、フューイを見ていてね。」
お母さんは寝そべっていたリューイの横にフューイを下すと、すぐに下におりて言ってしまいました。リューイとフューイの二人に寄りかかられているミュウですが、今では胴も随分、太くなり、びくともしませんでした。
「珍しいだってよ。失礼しちゃうよね~」
なんとなく肩透かしをくらった気分になったリューイは、ブツブツと口の中で呟くとミュウを振り返りました。もちろん、ミュウから返事が返ってくることもありません。
フューイは早速、ハイハイをしてどこかへ行こうとしています。リューイは横着をして、フューイの足をむずと掴むと、ズズズッと自分のほうへ引き摺り寄せました。
「こらこら、どこへ行く?」
「アー」
引き摺り寄せられたフューイは、それが楽しかったのかキャッ、キャッと笑っています。しかし、リューイが手を離した途端、自由を求めてハイハイをし始めます。最近のフューイは目に付くものは手当たり次第、破ってしまうので油断できません。リューイの宿題や教科書なども、何度もビリビリに破られています。お母さんに訴えても、ミュウのいたずらよりはマシでしょと相手にしてもらえません。実際、このくらいの赤ちゃんには注意したところで言葉が理解できるわけもなく、周囲が気を付ける以外、方法がないのです。リューイに部屋には漫画やプラモデルなどフューイに壊されたくない物がたくさんありました。リューイは慌ててフューイの足を掴みました。
「こら~、フューイ!」
「アー」
何度かこのやり取りを繰り返すうちに、フューイはすっかりこの遊びが気に入ったようで、
ある程度の距離をハイハイすると、「さあ、引っ張れ」といわんばかりにリューイを振り返るようになりました。
「しょうがないなあ~」
リューイは呆れながらも、フューイのリクエストに応えて何度か足を引っ張ってあげました。同じ遊びを20回ほど繰り返したところで、いい加減飽きてきた兄は「や~」と言って逃げ回るフューイを捕まえると無理矢理、ミュウの前脚の間に座らせて、読書を再開しました。フューイの体から発せられるミルクの匂いが気になるのでしょうか。ミュウはフンフンと盛んにフューイの匂いを嗅いでいます。
さて、滅多に本を読まないリューイですが、今日に限って本を読んでいるのには理由がありました。ミュウが学校に行くようになってから二週間。キリキア第6小学校では、ミュウのお蔭で空前のドラゴン・ブームが起こっていました。必然的にリューイはみんなからドラゴンに関する質問を受けるようになりました。しかし、リューイはみんなの質問に何一つ満足に答えらなかったのです。リューイは改めて自分の勉強不足を思い知らされました。
意外なことに、みんなの質問に答えられなくて困っているリューイを助けてくれたのは、ウリルくんでした。いつも教室の隅っこでひっそりと本を読んでいたウリルくんは、とても物知りで、今では「ドラゴン博士」などと呼ばれてみんなから一目置かれる存在となっています。
困っているリューイに代わって、ウリルくんが答えてくれるのはありがたいのですが、それはそれでなんとなく面白くなく、加えて、このままではいけないという訳のわからない焦燥感もあって、リューイは珍しく図書室に足を運ぶと、ドラゴンが登場しそうな本を借りてきました。ドラゴン・ブームのせいで、図書館のドラゴン関係の本はすべて貸出中となっていましたが、一冊だけやたらと漢字の多い本が残っていました。リューイは漢字が多いせいでやたらと黒っぽく見える紙面を見ただけで読む気をなくしかけましたが、そんな自分を励ましつつ読み進めてみると、意外や意外、これが殊の外、面白いのです。意味のわからない言葉も多かったのですが、気が付けば、夢中になって読んでいました。
リューイはポテトチップの油で本を汚さないように慎重にページをめくりました。1ページ読み終わるごとに、ポテトチップを一枚。なんとなく、そんなルールができていました。1ページ読んでは、ポテトチップを一枚、口に放り込みます。
パラリ
パリ、パリ、パリ
「ん?」
至近距離からの強い視線を感じたリューイは、後ろを振り返りました。見ると、ミュウが大きな欠伸をしながらこちらを見ています。
ふと、いたずら心を起こしたリューイは、ポテトチップをミュウの口の中に放り込んでみました。
パリリッ
ポテトチップはあっという間に噛み砕かれて、ミュウの胃の中に消えていきました。ミュウはポテトチップの飲み下すと、紫色の舌で満足そうに口の周りをベロリと舐めました。
その後も、リューイは1ページ読み終わるごとに、自分とミュウの口にポテトチップスを放り込みました。1ページ、また1枚。しまいには、ミュウはージをめくる音を聞いただけで、口を開けるようになりました。フューイはミュウに寄りかかりながら寝てしまい、静かな部屋にはページをめくる音とポテトチップを噛み砕く音だけが響いていました。
「はぁ~」
リューイは溜息をつくと、パタンと本を閉じました。結局、ドラゴンは最後の頃にちょっとだけ登場し、あっという間に勇者に退治されてしまいました。どうして、人は竜をやっつけようとするのでしょう。竜はこんなにも賢くて穏やかな生き物なのに。リューイは起き上がると、ミュウを振り返りました。いつの間にか、ポテトチップの大袋は空になっていました。
「はぁ~。ミュウって、本当にのんきだよね。このままでいいのかな?もう少し危機感を持たないと…」
ミュウの鼻からは、スピスピと寝息が漏れています。リューイはミュウの規則正しく上下する丸いお腹を撫でながら、溜息をつきました。
――ンフッ♪
お腹を撫でられたミュウは、満足そうな吐息を漏らしながら、ニマッとしました。美味しいい物でも食べている夢を見ているのかもしれません。リューイはしばらくミュウのお腹をペチペチと叩いたり、鼻の穴を指で塞いだりして遊んでいましたが、やがて、自分も強烈な睡魔に襲われて、ウトウトとし始めました。
ところで、みなさんは寝ている竜からは強烈な「眠い眠いビーム」が発せられるという話しを耳にしたことはありませんか?これは単なる都市伝説ではなく、科学的にも証明されていることなのです。「眠い眠いいビーム」幼い竜ほど強くなります。このビームを浴びると、周囲にいる動物は人間も含めすべて魔法にかかったかのように深い眠りに落ちてしまうのです。ご多分に漏れず、寝ているミュウからもこの強烈な「眠い眠いビーム」が発せられていました。リューイが突然、強烈な睡魔に襲われたのもそのせいです。
グルルル~
ミュウの低い鳴き声が振動となって、胸郭から伝わってきます。
グルルル~
リューイは目を閉じたまま、さきほど読んだ本の内容を思い返していました。どうして人は昔から竜を退治しようとするのでしょうか?竜と人間が仲良く一緒に暮らす方法はないのでしょうか?もしも、誰かがミュウを襲ったら、ミュウはどうするのでしょうか?
グルルル~
――まあ、いいや。明日、考えよう。物語と現実は違うし。どうせ、そんなこと起こりっこない…
リューイは、考えることをあっさりと放棄すると本格的に寝る体勢に入りました。宿題がまだ終わっていないことが気にはなりましたが、この睡魔には勝てそうにありません。
翌日、リューイが目を覚ますとミュウの体中に赤い発疹ができていました。食欲もないし、なんとなくだるそうです。思い当たる原因はポテトチップスぐらいしかありません。リューイはお母さんから厳重注意を受けるとともに、ミュウを病院へ連れて行くように言い渡されました。
ミュウにとっては初めての動物病院です。はてさて、どうなることやら。次回を乞うご期待。




