1. 幻を見る者
1. 幻を見る者
あれからどれくらい経ったでしょうか。女王はじっと一点を見つめながら、自問自答を繰り返していました。
――あの時、どうすれば良かったのだろうか…
不当に批判され嘲られたにもかかわらず、戦わずに敵前から逃亡してしまいました。女王たるもの、どんなときでも毅然としていなければなりません。あの場に踏みとどまり、きちんと反論して叔父の間違いを正すべきでした。
――ただでさえ、女であり、若年であるがゆえに軽んじられているというのに、あんなふうに逃げ出しては統治者の器ではないことを自らが証明しているようなもの…
そのときです。
――女王様!
ユストの声が聞こえたような気がして、女王はハッと顔を上げました。表情は暗く、頬には涙の跡が残っていました。
両親を殺されて以来、彼女は誰のことも信用することができなくなっていました。たった一人の人を除いては。
そして、その人さえもいなくなった今、彼女はいかに自分が孤独であるか痛いほど感じていました。唯一の身内である叔父でさえ、味方とは思えません。
――家臣たちの前で、あんなことを言うなんて…
きっかけは叔父が女王の許可も得ずに、スクエアードの国家魔術師たちに黒魔術の習得を義務付ける法令を発布したことにありました。表向きの理由は「黒魔術に対する耐性を高めるため」となっていましたが、真の目的は他にあることは明らかでした。
父の弟であり、父亡き後は女王の後見人を務めている叔父は、現在は国務大臣の席に就いています。しかし、彼が国務大臣の地位に満足していないことは明らかで、徐々に女王を差し置いて、様々な政を行うようになってきました。昨日の法令改定もその一例でした。
――たしかに、スクエアードの白魔術師たちは黒魔術に対する耐性が低いけれど、だからって、黒魔術を習得させなくても…
黒魔術を習得すれば、実際に使ってみようとする人間が現れるかもしれません。
――叔父はこの国に黒魔術を広めようとしている…お父様はあんなにも黒魔術を嫌っていらっしゃったのに。
数少ない女王の味方からもたらされた情報によると、叔父はすでに何度も黒魔術師たちと接触をしているとのことでした。表向きの理由がどんなものであれ、穢れたものには近づくにはそれ相応の動機があるに違いありません。
恐らく叔父は黒魔術を使ってこの国の実権を握り、恐怖によって民を支配しようとしているのではないでしょうか。家臣の中には、すでに彼を王として扱う者たちさえ現れ始めました。
今日の午後、法令発布の知らせを受け取った女王は、叔父たちが占領している執務室に一人で乗り込み、法令の取り消しを迫りました。しかし、叔父は彼女の命令に従わないばかりが、彼女を「幻を見る者」と言って、皆の前で嘲りました。
「あなたは幻を見る人だ。あなたのように幻ばかり見ている人に、この国の政治は任せられない。」
家臣たちの中には、叔父の言葉に追従するように笑ってみせる者さえいました。
叔父とは父が亡くなる前も特に親しかったわけではありませんが、仲が悪いと思ったこともありませんでした。皆の前で嘲られて、蔑まれて、初めて自分がいかに憎まれているか気付きました。
生まれて初めて自分に向けられた激しい憎悪に、女王は立ち竦みました。蒼ざめた女王の横顔に、いくつもの不躾な視線が突き刺さります。
女王の父である前王は、「神様からいただいた天資を国民のために使うように」と言って、彼女の能力を褒めて伸ばしてくれました。女王自身も大人になったら、この能力を活かして父王を助けるつもりでいました。あんなことになるまでは…
父が生きていた頃は、叔父も彼女の特殊能力を少なからず認めてくれていたように思います。父が亡くなってから、叔父の態度が徐々に変わり、叔父の変化に合わせるように城内の雰囲気も変わってきました。しかし、それに気付いたとしても、両親のいない十九歳の少女に一体、何ができたでしょう。
――こんなときこそ、助け合ってこの国を支えていかなければならないのに、内輪で足を引っ張りあうなんてっ!
たった一人の肉親である叔父の裏切りに、女王の体は怒りで震えました。家臣たちが事の成り行きを興味津々で見守る中、女王は青ざめた唇を開いて何かを言おうとしました。明確な言葉が頭に浮かんだ訳ではありません。ただ、その場の雰囲気からこのまま黙っていては不利になると感じただけでした。しかし、強い感情に揺さぶられた声は震え、心の中の燃え上がるような怒りとは裏腹に酷く弱々しく聞こえました。
彼女の震える声を聞いた瞬間、誰もが、そして女王自身さえも、自分の負けを悟りました。
――ああ、こんなことで勝ち負けを競っても仕方がないのに…どうして、この人たちはもっと大切なことに目を向けないのだろうか。
勝ち誇ったような顔をした叔父を、女王は歯痒い思いで見つめました。
「思い知ったか、小娘めっ!」
叔父の心の声が聞こえたような気がしました。
人々の好奇の眼差しの中、拳を握りしめて立ち尽くしていた女王は、結局、一言も発しないまま踵を返して執務室を出てしまいました。
――これを機に叔父に与する者が増えるに違いない…
それがわかっていても、今の女王にはどうすることもできませんでした。
女王の部屋の美しく整えられ、大きな窓からは明るい午後の日差しが降り注いていました。しかし、今の彼女にはその明るささえも耐え難く感じられました。
――昨日も、今日も…そしてきっと明日も策略と陰謀ばかり。
毎日、必死で戦っているというのに、あの夜から一歩も前に進んでいないような気がします。女王とは名ばかりで、自分はただのお飾りに過ぎないのです。そう考えるとまた涙がこみ上げてきます。
不意に窓の外で誰かが動いたような気がしました。女王は立ち上がると、窓の外を睨みつけました。この頃は、常に誰かに見張れているような気がします。もしも、窓の外から女王の様子を窺っている者がいたとしたらは、今の自分の様子を見てきっと嬉しく思ったに違いありません。女王は身震いをすると、勢いよくカーテンを閉めました。
第二章はのっけから暗いスタートですみません。しばらくは女王の回想シーンが続きます。明るいお話を期待されていた方はもう少し我慢してください。
ミュウの家竜修行の話は、女王の回想シーンの後になります。すみません。




