17. 竜の契約者を訪ねて三千里
17. 竜の契約者を訪ねて三千里
「私たちは彼が生き延びられそうな場所を探して半年間旅をしました。そしてやっとこの国の一角に彼が生き延びられそうな場所を見つけました。ここには綺麗な水も豊富に湧き出ていますし、イノンドも自生しています。竜を食べようなどという野蛮な人種もいません。」
リューイはこくこくと頷きました。
「そこで私はこの森の小川に畔に彼を置いて、誰かが拾ってくれるのを待ちました。理由はよくわかりませんが、女王がそうするようにとおっしゃったからです。女王は夢を見る人でもありますので、恐らくは啓示か何かを受けたのでしょう。」
ユストの表情からは、女王に対する揺るぎない信頼が見てとれました。
女王が夢を見るようになってから、もう何年も経つでしょうか。スクエアード公国は女王の予知夢によって何度も危機から救われてきました。最初は半信半疑だった周りの人たちも、今では誰も女王の夢を疑っていませんでした。女王の夢が外れるとしたら、それは女王を信じない者が自分に都合に良いように解釈を捩じ曲げたり、疑いの気持ちから素直に従わないときだけでした。
「私は彼の周囲に結界を張り、悪者が近づいたらすぐにわかるようにしておきました。しかし、ちょっと目を離した隙に何者かがあっさりと結界内に侵入し、彼を連れ去ってしまったのです。ですから、あれがここに居ると知ったときは、どんなに安心したことか…」
ユストはそう言って胸を撫で下ろしました。
リューイは自分が結界内に簡単に浸入できたのは、赤ちゃん竜を助けたいという強い思いがあったからだと思いました。
「あれっ、そういえば、妖精さんたちがいないよ。」
ユストの話を聞いていたリューイは、そこで突然、妖精たちがいないことに気が付きました。
「ああ、キキとリンですか?あの二人なら、先程、猫に追いかけられて、隣の部屋に逃げて行きましたよ。」
ユストは何でもないことのように言いました。丁度その時です。キキとリンが二人の前を右から左へと逃げて行きました。
キャー
バタバタバタ
ベニーは二人を追い掛けながら、何度もジャンプしてはキキとリンを捕まえようとしています。
「ええっ!助けなくていいの?!」
驚いたリューイが思わず聞き返すと、ユストは平然とお茶を飲みながら
「彼女たちでしたら、心配ありません。」
と答えました。
キャー
バタバタバタ
今度は左から右へと、二人と一匹が移動していきます。
――なんだかなあ…
ユストは釈然としない様子のリューイを話に引き戻しました。
「それよりも、リューイくん」
「あなたに彼を託しますので、できれば彼を別の場所に移してください。奴等がこちらの世界まで追ってくるとしたら、まず初めにこの森を捜索するでしょう。奴等の目を欺くのです。私も国に帰る道すがら、至る所に目眩ましを仕掛けて奴等を混乱させるつもりです。」
「うん、わかった。僕、ちゃんとあの子を守ってみせるよ。」
リューイは強い瞳でユストを見詰めました。
「ありがとう、リューイ君。」
ユストも真っ直ぐにリューイを見詰め返しました。
――時間を稼いでいる間に、彼が少しでも成長して強くなるといいのだが…
「いざとなったら、俺もすぐに駆け付けるからな。」
そうは言ったものの、再びここに戻ってこられるという保証はありませんでした。そもそも、スクエアードに帰る方法さえわかっていないのです。それでもユストはこの国に赤ちゃん竜をおいていくつもりでした。
――それに未だ、奴等が必ずここに現れると決まった訳ではない…
パラレルワールドに飛ばれたことで、奴等から永遠に逃れられたという可能性もあります。――いや、それはないだろう。奴等のことだ。今頃はきっと…
「ねえ、ねえ。」
考え込んでいるユストの袖をリューイがくいくいと引っ張りました。
「なんですか、リューイ君。」
「あのさ…あの子ってしゃべれる?」
突然の質問にユストは戸惑いました。
「えっ?」
「あのね、ずっと気になっていたんだけど…あの子ってしゃべれる?」
「え、ええ…彼はしゃべれますよ。」
どうやらリューイはユストとは全く違うことを考えていたようです。
「話せるというよりも、正確には彼は人間とコミュニケーションをとることができます。人間の感情も読み取れますし、自分の感情を伝えることもできます。慣れてくれば、問題なく意志の疎通ができるでしょう。」
「やっぱりそうなんだ!」
ユストの言葉にリューイは思わず大きな声を上げました。
「だってさ、僕さ、あの子を小川で見つけたとき、拾ってくださいっていう声を聞いたんだよ!」
――この子が彼の契約者だ!
女王は契約者だけが彼と会話できると言っていました。女王は生まれながらにしての上級ドラゴンマスターだったため、どんな竜と難なく会話ができましたが、通常、竜と人間は意志の疎通がはかれませんでした。
――ということは、彼は自分の契約者をちゃんと見つけたのだ!
ユストの体に軽い電流が走りました。
「きっと彼はリューイくんに拾ってもらいたかったのですよ。リューイくんは彼に選ばれたのですから、自信を持ってください。」
ユストはリューイの手を握り締めました。
「そっかあ、ぼくは選ばれたのかぁ。なんだか、嬉しいな。」
リューイは照れくさそうに笑いました。
――私の直感は外れていなかった…
ユストは自分の判断が正しかったことを知り、ほっとしました。
「ところでさあ、あの子に名前はないの?」
リューイはユストに素朴な質問をぶつけました。
「名前はあります。彼が卵から孵ったときに、父親が彼に名前を付けました。しかし真名は命と同じくらい大切ですので、無闇に人に明かすことはできません。真名を知ってよいのは、彼の家族と女王だけです。」
「ふ~ん、そうなんだ。」
――なんかよくわからないけど、いろいろな決まりがあるんだね。
リューイは少し考えこみました。初めて聞くことばかりですし、よくわからない言葉も多くて頭が付いていきません。それにしても、名前がないのは困ります。
リューイが悩んでいると、ユストがこう提案しました。
「真名とは別の名前を彼に付けてみてはどうでしょうか?」
「えっ、いいの?!」
驚くリューイにユストは優しく頷きました。
「じゃあ、ミュウっていう名前はどうかな。ミュウ、ミュウって鳴くからミュウ。」
少し考えてから、リューイは少し自信なさそうに言いました。赤ちゃん竜のお父さんは、きっともっと長くてカッコいい名前を付けたに違いありません。
「いいと思いますよ。」
ユストは優しく微笑みました。
二人の会話が一段落ついたところで、おばあちゃんが口を挟みました。
「ユストさんのお話は本当にびっくりすることばかりですね。年寄りは目を回しそうですよ。」
本音を言えば、混乱しているのではなく、強い不安に捕らわれていたのですが、それは口にしませんでした。世の中の酸いも甘いも嚙み分けてきたおばあちゃんにとって、ユストの話には何一つ楽観できる要素がありませんでした。残念ながら、この世には自分の欲望のためには平気で人を傷付ける輩が大勢います。そういう手合いには、ユストたちが大切にしている「正義」や「弱者を助ける」といった精神は全く通用しないのです。
だからといって、おばあちゃんには赤ちゃん竜を放り出すという考えは全く浮かびませんでした。
――いざとなればなんとかなるわ。わたしだってまだまだやれますよ!
おばあちゃんは大丈夫というように、ユストに頷いてみせました。
――巻き込んでしまって申し訳ない…
ユストは黙っておばあちゃんに頭を下げました。罪悪感がないと言えば嘘になりますが、竜の子は既にリューイを選んでしまったのです。女王が見た夢も、リューイが結界内に易々(やすやす)と浸入できた事も、すべてがこの二人の不思議な縁を示していました。
また、今のスクエアードの政治情勢を鑑みても、彼をここに残していく他に選択肢はありませんでした。動き出した運命の歯車は、誰にも止められませんでした。
リューイたちにはまだ話していないことも沢山ありましたが、これ以上、話して徒に二人の不安を煽ることはユストの本意ではありませんでした。
先のことは誰にも――夢を見る女王でさえ――わからないのです。ユストはリューイと竜の子の未来が厳しいものにならないようにと祈らずにはいられませんでした。




