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ス イ シ ク ヨ ウ  作者: でうく
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Ⅷ.成り代わり

―――新しい御霊との共同生活が始った。

之迄相手をした中で、今回の御霊が最も天智彦(アチヒコ)の容貌と合っていた。頭も良く、理知的で、勉強が好きで読書家だった。天智彦が漢の令息である事を最大に利用して、書庫を積極的に出入し、総ての時間を読書に充てていた。之迄の霊がしていた様な、無闇矢鱈(やたら)な攻撃や自暴自棄的な自傷は全くせず、まるで天智彦に成り代った様であった。ウズメも含めた周囲の者は『天智彦に似た性格』で『天智彦の姿をした』者に対する違和感の無さに、迷ったり、馴染んだりした。

「そんなに書庫から本を持って来てるけれど、貴方漢字読めるの?」

「読めなければ読む事が出来るよう、勉強すれば良い」

・・・・・・異なる文化に対する姿勢も、天智彦と類似していた。

只、当然の事(ながら)どちらの方が気が回るかというと、無論其は青年の霊の方であった。天智彦の様に少女(おとめ)心や感情を無下にはしないし、何よりこの霊に特徴的だったのは、己や相手の事情だけでなく、他者の話をする事であった。


例えば



天智彦(これ)母国(くに)筑紫島(ここ)ではないのだな』



・・・・・・或る日、書庫から借りて来た分の書物を全て読み終えて休憩している時にその霊は(うつわ)を指さして、呟いた。

ウズメは瞳を大きくする。

『天智彦からそう聞いたの?』

『・・・いや。家系図を見た』

霊は実にあっさり否定した。

『そ、そう』

実に反応がし難い。天智彦の意識と会話をする時も、話題は違うが似た様なものだった。抑抑(そもそも)、天智彦は他者に関して余り語らないし己にとり憑く霊とも『対話』をしている様には思えなかった。己を怨む者に肉体を支配されている訳であるから、まぁそうで()ろうが。(しか)し、己の妹に関する話題まで、まるで避けているかの様に出てこないのは、流石(さすが)如何(どう)なのだろうとはウズメも思っている。


一方、この霊は


『―――天智彦(これ)に私から呼び掛ける事は、(たま)に在るのだが』


―――他者に対する好奇心を隠さなかった。

『・・・応じてくれないの?』

ウズメは怪訝な眼をして訊いた。霊は両手を上げ、さっぱりといった様にゆっくりと首を左右に振った。之はウズメの故郷では否定の意味を含んだジェスチャーであるが、ジェスチャーの文化を持たない天智彦は決してこういう事はしない。

「・・・・・・天智彦?」

ウズメは己から改めてという想いで天智彦の意識に呼び掛けた。併し、彼は応答しない。ウズメは少し、違和を感じた。

『私は、警戒されているみたいだ』

霊は『史記』の老子韓非列伝の頁を開いた侭、ニヒルに(わら)った。皮肉な事に、老子の虚無説は現実に生きる天智彦よりも、()うに肉体の朽ちて仕舞っている霊の方がより当て(はま)っている。

『そんな事無いわ。只―――ちょっと子供なのよね。昔から、身体を自分のものとして動かせなかったみたいだし』

ウズメは柔かな口調で云った。慰める様にも庇っている様にも聴こえる優しい口調だ。

・・・不思議な感覚である。之迄数有る同郷の霊を成仏させてきたが、この霊に限っては、もっと話をしていたい・もう少し長く此の世に留まってもよいのではないか。そう、想わされた。

天智彦と一対一で居る時よりも自分に対し、叉天智彦に対しても素直な評価をする事が出来る。之迄憎しみの()け口として寄り掛られ総てのつらさを受け留めてきた彼女を、大きな頭脳(うつわ)諦観(さと)り広い教養を身につけた霊が、彼女にとって初めてで唯ひとりの相談相手となっていた。

ウズメは頬を紅潮させて、天智彦に成り代れる度量をもった“大人”を見上げる。

『・・・・・・そうか』

霊は知的な笑みを浮べる。・・・・・・ウズメはこの時点で既に、霊に(ほだ)され、どちらが肉体の持主なのか区別がつかなくなっていたのかも知れない。




・・・夜中、天智彦は目を覚ました。むくりと起き上がり手を着いた。その手には、ウズメの(すべ)やかな腕が絡ませてある。

「―――・・・」

ウズメのもう一方の腕には、いつしか鈴鹿が控えめ(ながら)もくっついて、潜める様な寝息を立てていた。そんな鈴鹿に対しても、ウズメは寄り添う様にして眠る。

「★」

「ん・・・―――どうしたの、天智彦―――・・・?」

不意に持ち上がる漢服の袖に、ウズメは殆ど寝惚け眼で声を掛ける。天智彦の瞳は暗闇の中で、急激に冷たく愁いを帯びたものに変り

『・・・少し、厠所(バンヨゥ)へ』

・・・と、大人の笑みを湛えたのちに単独で部屋を出る。鈴鹿は気づく様子も無く、代りにウズメの腕を更に抱しめた。



〈―――淋しいのか〉

深夜問わず働く官吏や侍女を軽くあしらい、(ようや)く独りになれる部屋を見つけて、天智彦は内側から御簾を下ろした。

・・・指先に確実な力を感じる事が出来ぬ代りに、冷たい汗の感覚が指先まで伝わってくる。

己の意思では精精指一本動かせるか如何(どう)かであるという事は、産れた時からずっと心に刻まれてきた事だ。結局のところ、表面に出ているものが他者にとっての(すべ)てであるし、その饋還(フィードバック)があってこそ其が己であると認識が出来る。所詮は己の意思とは切り離された処で肉体が起している出来事など、他者が()っているに等しかった。だから、鈴鹿との兄妹仲が悪くなろうが其は興味の対象とはなり得なかったし、鈴鹿を虐めている時は度度(たびたび)残虐表現の出てくる母国の伝説の一節を読み返している様な心持であった。

―――ウズメが現れる迄は。


―――淋しい?


・・・不意に、ウズメを慕う鈴鹿の姿が意識の中で蘇る。鈴鹿は以前と比べると、部屋に滞在する時間が増えた。あの部屋にはウズメが常に控えているし、私も鈴鹿に対して残虐な行為を働かなくなった。・・・併し其も、肉体を乗っ取る御霊(みたま)がこの霊に替ったからだ。


―――そして叉、ウズメもこの貌に御霊の影を追う様になってきていた。


元元孤独(ひとり)だった者が、何が淋しく、また何故その理由で孤独になれる場処を探したりするものか。


(―――・・・天智彦)

・・・高木(たかぎ) 振麿(ふりまろ)が嫡男。その身分と高木家の地位さえあれば、その“中”が誰であっても構わない。

(―――御前は自分があはれである事に気づいていない)

御霊が勝手に御簾を上げる。意識が肉体から更に遠のく感覚に見舞われ、汗の感覚さえ薄らいでゆく。そろそろ丑三つの刻だ。

庭園には救われぬ魂達が、池を中心に肉体を喰らおうと口を開けて()っている。

―――嗚、結局は

(だから、少しだけ贅沢をさせてあげよう)

「―――天智彦!」

ウズメが完全に目を覚まして天智彦を追い駆けて来た。不意の出来事に一瞬天智彦の意識が表層に上ってきたが、霊が其をすぐ抑え込む。

『確かに()うのは忘れていたけれど、お願いだから夜更けに独りで出て往かないで。この肉体は霊媒体質だから、こんな霊の多い時刻に外に出たら、他の霊にとり憑かれて―――っ!?』


水面をうごめく霊達がウズメにも視えたのだろう、ウズメは顔を蒼くして思わず天智彦に飛びついた。御霊はウズメを抱き留めて遣る。他の霊達に追い出されずに肉体に宿り続ける強靭な御霊に、ウズメは益益(ますます)愕いて彼を見上げた。


『貴方―――・・・平気なの?』


独り蚊帳の外、精神の内に追い遣られた意識は、他の霊の肉体への侵入を赦さず、ウズメへの疎通の手段さえ断つ霊の強大な妨害の前に屈服した。

(天智彦)

・・・御霊は意識下で本来の肉体の主に語り掛ける。

(私は御前を、絶望させなければならない。こうすれば、御前は足掻くだろう?)

―――片や、一方では英雄めいた言葉をのたまいていた。


『―――・・・之は私の大事な器。他の誰に引き渡すものか』

『―――貴方が云うなら心強いわ』


ウズメは嬉しそうに云った。貴方が味方についたなら、天智彦も少しは外に出られる様になるかも知れないわね、と。

・・・・・・(いず)れ、彼女の口から『天智彦』という名を消して遣りたい。

(肩書にしか縋るものが無いあはれな御前(おまえ)に)

其が如何に哀しむべき事であるかを刻もう。

(おの)が己の肉体を自由に出来ぬ苦しみと、己を己として見て貰えぬ事の淋しさを)

そうしなければ、この絡繰(からく)り人形の心を折る事は出来ない。積み重ねてきたモノは切っ掛けがあってやっと崩れるものだ。

(―――そうして同じ様にあはれなこの娘を、天智彦から解放してあげよう)

・・・御霊はウズメの肩越しに誓う。

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