Ⅵ.宇受賣(ウズメ)
「何だって今更」
少女は手を後ろに組んで顔を近づけ、半ば皮肉めいた、半ば非難めいたからかい口調で天智彦に耳打をした。天智彦は鬱陶しそうな表情をしているが、恩義を感じている為か態度に関して文句は云わない。
「神となるには、黄泉を一度潜り抜けてくるから、成長に非常に時間が掛る。立ち、動き、言語を発する様になる迄、之でも最短の道程となる様努力はしてきたのだ。そこは勘弁して貰いたいな」
へぇ・・・。少女はくすくす笑う。天智彦は完全に澄ました表情を崩し、不本意な眼で少女を睨んだ。餓鬼扱いされていると気づいたのである。
「―――君は、気がついた時には既にあの祠(牢)に居たのかも知れないが、私はよく記憶している。私は、君が祠に収容されるに至った事件の日に、産土の式を受けた当時の赤子だ。改めて名を、天智彦と云う。以後宜しくしたい」
少女が顔を背けて吹き出す。天智彦は・・・おい。とツッコんだ。片眉を上げ呆れている様に少女を見上げるが、子供が拗ねている様にしか見えない。
「君はあの産土の式にて御霊に憑かれ、私を襲い、暗殺未遂であの祠に投獄された。君に罪を被せた者と、私の魂を喰らった者は同一であるからして」
「如何して貴方が、あたしの国の言葉を話せるのよ」
「私の話を聴き給え!!君が私を恨んでいる事は分っているから!!」
天智彦が怒鳴る。心なしか泣きたそうな表情になっている気もする。完全に彼自身の心が無くなっている訳ではない様だ。
「勉強したからに決っているだろう!君は祠に収容されてから現在に至る迄、こちらの言語を学んでいない。ボディ‐ラングアジという方法もあるが、君と私の置かれていた状態がそもそも特殊すぎて、共通概念というものが先ず存在しない。ならば、会話をする為には言語を共通の記号として、比較的自由度の大きかった私が君の言語を収得する方が正確で手っ取り早いだろう」
「解り難いわよ。全然手っ取り早くないわ」
今度は少女が天智彦にツッコむ。天智彦は実に子供らしく地団駄を踏んだ。之だから素養の無い者は!と思わず叫ぶと
ブチッ
「・・・・・・・・何かしら?」
・・・・・・次に彼が我々の前に現れた時には、尻を突き出して俯せに倒れ、鈴鹿と同じ位乱れ髪になった頭から何やら奇妙な煙が出ていた。
「君はあの時、同じく子供であり、より私と接触の多い玉祖を差し置いて御霊に憑かれた。其は、少なからず君が御霊に憑かれ易い体質である事を示している」
天智彦が片眼鏡を片手で押え、足早に前へと突き進んでゆく。さすが古代の貴族の邸、広くてなかなか目的地へ着かない。
武官に連れて来られた時は気づかなかったが、天智彦にとっての危険が廊下にはいっぱい潜んでいた。同族奴隷の浮遊霊が、廊下を無数に漂っているのである。明かに高木を怨んで成仏できない者達だ。
少女は余りの怨みの多さにぎょっとした。天智彦の霊感の強さに当てられ、己の内に眠る霊能力が開花した様だ。
「―――奴婢の御霊に依らば、君は故郷にて舞をばしていたそうではないか。而も鎮魂の儀にて」
―――憑かれ慣れているとそんな事が出来る様になるのか・・・・・・便利な能力ね。少女は毒づいた。天智彦が聡明に見える要因の一つであるその厖大な知識量は、記憶ではなく、否応無しに土足で踏み込んでくる霊達から得た情報であった。
「君が祓った奴婢の御霊が告げて呉れたのだろうな。今は誰も私に憑いてこない。私が私でいられるのは久久の事だ」
天智彦はこういう事があって、外へ出る事を少女ほどではないにしろ禁じられていた。引切り無しに霊が天智彦の肉体を出入し、周囲を傷つけ、時に自らをも死へ誘おうとするのだという。片眼鏡を掛けている側の眼は過去、自らの手に拠って傷つけられ、以来片眼鏡を掛けてはいるものの殆ど視えてはいないらしい。
―――少女は己で絞めた痕の未だ消えぬ天智彦の頸に目が行き、何故だか申し訳無い気持ちになるのであった。
「―――名前を教えて貰えまいか?」
天智彦が少女を見上げる。首筋の指の痕が彼の顔に隠れた―――よく見ると、左右で瞳孔の大きさが違う。
「―――教えて貰わなかったの?霊から」
少女が今更?という顔で、見縊る様な、からかう様な口調で尋ねる。すると、莫迦にされたと思った天智彦はムキになって
「本人が名乗りし名を呼ぶのが礼儀だと思っているのだ!」
と眉を吊り上げた。
「へぇ。・・・・・・あたしはウズメ。呼び捨てで其の侭ウズメと呼んでくれてよくてよ」
「では宇受賣!」
パ~ンチ★ウズメが即天智彦を殴る。如何やらウズメ、恨みの対象への新しい憂さ晴らし法としてこの遣り方に味を占めたらしい。
「勝手に受け売りさせるのではないわよ」
「我が国はこの時期漢字しか存在しないのだから仕方無いだろう!」
泣き喚く天智彦。之はもう齢相応以外の何ものでも無い。之が、高木家の誰もが未だ経験した事の無い束の間の平和であった事を、ウズメはまだ知る由も無かった。
「私と君は、最早運命共同体だ。先程も述べたが、君にとり憑き私を襲わせ投獄へ追い遣った黒幕と、私の魂を喰らい内乱を画策せし黒幕は同一である。真実が明かとなった以上、君をいつまでも繋ぎ留めておく訳にもいくまい。黒幕を捕え私の魂の断片も返して貰わねばなるまいしな」
「―――ならば、あたしを解放してくれるの!?」
ウズメは口から心臓が出ん愕きだった。何とか恩着せがましく貸しつけたのを拡大し、高木の御上に付け込むオバサン戦法でいく気満満だったのだが。天智彦は解放するとは明には云わず
「私の―――側近になる気は無いか?」
と、恃みにする様に訊いた。
「・・・・・・・・はい?」
ウズメは清清しい程にっこりした笑顔で間抜な声を発した。
「霊媒師の間違い?其とも摂政の間違いかしら??」
「奴隷解放しないぞ・・・・・・?」
歯を食い縛り、拳を作った手をプルプルと震わせる天智彦。冗談はそろそろ止めにしたがいいらしい。
「私は君が思っている以上に、今回の祓に対して高評価をしているのだ!君の舞踊と共感は、彼等に故郷を想い起させ、心に負った傷を癒し成仏を促す説得力を持つ。我が高木邸の内に侵入って来る御霊は大概が我等に怨みを懐く、君と同郷の奴婢だ。君が居ると助かる」
天智彦は澱みは無いが最後の方は投げっ放しで云い切った。雑念が常に侵入してくる為語彙は豊富だが、素面の情態で己の思いを伝える事は不慣れな様だった。無理も無い、彼の身体が彼のモノとして動く刻は非常に限られているのだから。
「君は私の傍に居て、御霊が私に憑いた時に相手をして遣るだけでいい。無理に祓う必要も無い。必要な事は周囲に影響を与えぬ事と嫡男が存命である事、其だけだ」
彼は彼でいる内に総てを伝え切る為に、難解で多義的な言葉を遣い、少少駆け足で話を終らせる。そうして確かにウズメが今後、立派な蚊帳の部屋で目覚める様になってから、天智彦と同定できし意識と出会うのはぴたりと無くなる事となる。
「君には之迄の償いも込めて、最上の待遇をさせて戴く。君が御霊に出任せで云った奴隷解放も、少しずつ乍努力しよう。―――御霊を怒らせれば後が恐いし、其が私の生きる動機にもなる」
「でも其は、貴方が勝手に決めていいこと―――?」
・・・・・・ウズメは、どこか諦めた様な天智彦の言葉が気になり乍も、冷静に尋ねた。併し気に留む必要も無く、次の瞬間には
「だから今こうして来たのだ」
と、粗小走りの動力で、廊下を曲り景色が全く先程と変らない蚊帳で仕切られた部屋に着いた。御簾を勢いよく捲り上げる。
そして第一声
「隠居為されよ高御産巣日神!!」




