Ⅴ.除霊
薄汚れた衣装に、奏でる楽器も無い。まさに実力勝負といったところか。
街中で踊り、多くの者を魅了した。街一番の踊り子として故郷では名が知れていた方だ。
「♪~~♪~♪~~・・・♪~~♪~♪~~」
―――澄んだ声が紡ぐハミングは、遠い故郷の子守唄。
絞める手を緩め顔を上げると、舟の形をした屋根や高床の家、粘土成分の多い道路等、故郷の街並が一瞬浮んで、消えた気がした。
『・・・・・・?』
天智彦の貌をした霊の表情が、戸惑いの色を見せる。
少女はしんみりとした旋律をその鼻で奏でる一方で、花弁の如く軽やかにその身を翻らせる。旋律が重なると軽やかな舞は儚さへと変り、風に依って翻弄されて仕舞う我が身の哀しさを表している様であった。
花弁や鳥の羽根が扉や椅子の脚の下に滑り込む様に、少女は風に乗って天智彦の肉体と鈴鹿の間に身体を割り込ませる。両手を広げ
『・・・本当に、あたしと同郷の者なのね』
と、故郷の言語で話し掛けた。・・・・・・すると
『・・・・・・サヤゥ(舞子さま)・・・・・・?』
・・・・・・天智彦の、暴力が治まった。其だけではない。少女を呆然と見つめると、涙が徐々に瞳に溢れ、顎迄伝わず頬から床へ散る。
・・・以来、少女が天智彦の涙を見るのは、他者の想いが具現化した瞬間のみとなる。
『あなたは屹度、故郷から千里も隔てたこの地でとても永い間、虐げられていたのね。・・・ごめん、故郷を同じくする家族なのに、死んだ後でさえ何もする事が出来なくて』
鈴鹿が激しく咳き込んで、少女の背の後ろで小さく身を屈め隠れる。霊は少女が鈴鹿の身を庇うさまを見て、絶望に近い動揺を示した。
『何故・・・その娘を・・・・その娘は、我々の領土を侵して此処へ連行して来た漢の・・・!』
『そうよ!でも、この娘は見た目で解ると思うけれど、あたし達に何もしていないわ。この娘は後継ぎでもないし・・・』
『そうだ・・・後継ぎはこの肉体。だから私は我々を脅かすこの一族を根絶やしにしようと・・・・・・!』
天智彦が、否彼にとり憑く霊が、己の首に手を懸けさせる。
『!!殺しちゃ、だめ!!』
少女は思わず天智彦に飛びついた。鈴鹿が見ている。『何故』と言われても分らない。身体が勝手に反応する。
霊が少女を突き飛ばす。・・・だめ、同胞と認識して貰っても話が全然通じない。異なる種族同士では猶更、憎み合う筈である。併し
『“サヤゥ(舞子さま)”が来られたという事は、我々の領土は、この一族所有のモノとなって仕舞ったのでしょう・・・・・・?』
・・・・・・相手が仮令敵であっても、罪無き者に、今の霊が見せた希望も何も無い虚無的な表情をさせたくはない。之は最早、本能だ。
『・・・・・・でも、生きている』
・・・・・・少女は俯いた視線の侭、ぼそりと呟いた。
鈴鹿が首を押えて少女を見上げた。
『―――あたし達の仲間は、散々働かされ乍も、皆一所懸命に生きてた。ホントよ。あなたみたいに死んでしまった者もいたけれど、この純粋な血はまだ全然絶える気配が無いもの。勝手に悲観してとばっちりを仲間に与える様な事をしないで』
少女は顔を上げてぴしゃりと言った。
『天智彦に、肉体を返して』
天智彦は、眼を見開く。
『・・・あたしが此処へ来たのは、捕虜という扱いが如何にかならないか、その天智彦と瓦智で勝負する為よ。あなたが天智彦に憑いていると、仲間はなかなか自由になれないわよ。・・・でも、あなたが憑いていてくれた御蔭で、天智彦はあたしを頼ってきて、その見返りは勿論仲間の解放に繋がる筈だわ。・・・有り難う』
―――こんなにボロボロな一張羅の状態で語っても、説得力は殆ど無いだろう。だが、天智彦に貸しを作った事は事実となった。
『・・・・・・だから、おやすみなさいよ』
この霊はとても使命感が強い。後継が霊感強く産れた事を好機と捉え、天智彦の肉体を使って内輪を混乱に落し込み、其に乗じた奴隷解放を企てたのだろう。死んだ自分だから出来る、最後の救いだと。
その悲願が垣間見えたからこそ、天智彦は自分に助けを求めたのだ。彼の家は富豪だ。そうで無ければ祈祷師でも雇って、無理矢理肉体から追い出すなり成仏なりさせて仕舞えばよい。
・・・・・・どちらも優しすぎるから、成仏を妨げる。
『後はあたしにお任せして。天智彦の代に全員引き揚げさせて遣るのだから。あたしを信じなさい?』
そして早く、幸せな来世を・・・・・
・・・・・天智彦の腕の力が弱まる。は・・・ ・・・・・・天智彦の荒く息を吸う声が聞えた。
腕がだらんと骨盤の辺りに落ち、足先まで長い緋い袂がその細い腕を百合の如く周囲から包み込む。疲弊し切った顔を上げ、天智彦は鈴鹿を見下した。正気に戻ったとは謂い難い、狐の様な鋭い視線だ。
「・・・・・・!」
少女が鈴鹿を包み込んだ。説得が効かなかったのか。尤も、説得して成仏するのなら、宿主が肉体を操れぬ程憑依はしていまい。
併し
「・・・・・・まるで真実の、姉妹みたいだな」
―――天智彦は僅かな咳を残し、無表情で呟いた。
「!あなた、正気に・・・・・・!?」
「狐目は元からだ。悪かったな」
あ、聴こえていたみたい。そして意外と気さくな話もイケる。少女はおほほほほ、と苦し紛れに笑い声を上げた。
「・・・・・・之迄受けた祓の中で、最も負担が少なかった。・・・・・・礼を述べる」
天智彦は其から、大怪我をしている妹・鈴鹿に一瞥も呉れる事無く背を向けた。御簾を開け、何事も無かったかの様に部屋を出て行く。
「ちょ・ちょっと・・・・この娘・・・」
少女は慌てて引き留める。併し天智彦は解さなかった。まるで感情は霊に委ねて、機能的な部分の処理のみを担当しているかの様に。
「―――鈴鹿には毎度、事の終りに呪術医が来る事となっている。放っておいて頂いて構わない」
――っ。少女は絶句した。脳に語り掛けてきた声以上に現実の天智彦は冷たかった。霊が憑いていたと納得できる程、あの興奮は、情熱の声は、彼とは遠いものであった。
「鈴鹿!」
天智彦と粗入れ違いに―――否、天智彦と擦れ違って、呪術医が部屋に駆け込んで来た。
・・・・・・高木家の皇子である天智彦を無視して。
「鈴鹿、大丈夫であるか」
呪術医が鈴鹿を抱え、心配そうに声を掛ける。・・・・・・そうして、離れて行く天智彦の後姿を恨みの籠ったじとりとした眼で睨みつけた。
「・・・・・・」
・・・・・・少女は何故だか、非常に遣る瀬無い気持ちにさせられるのであった。
「君」
遠くから声が聞える。天智彦が声帯を震わせて肉声を出したのであった。君とは・・・あたしの事?少女は反射的に顔を上げた。
天智彦は此方に顔を向けており、こくりと少女に肯いた。
「ついて来給え。―――君の無実を公然とする」
天智彦は再び歩き出す。少女は一瞬、きょとんと表情が固まったが、すぐに興奮の入り交じる顔となった。急いで天智彦の許へと走る。鈴鹿が虚ろな眼で少女を追う。その視線につられて、呪術医も駆け抜けてゆく少女の姿を、不思議そうな眼で見つめるのだった。




