Ⅰ.うぶすな
この時代から奴隷という制度は存在しており、この国でも他国から奴隷を連行していた事実を忘れてはならない。
その者達は父・夫を失くし居場処が無くなるが、海の向うから来た為産土を持たなかった。散々働かされた後、極僅かな食べ物を受け取って、寒空の下、火をくべる物も無く追放り出され、夜を明かす。夜が明くと再び召集され、叉追放り出される。
やがて、奴隷達は弱ってゆき、動かなくなって往く。路上に横たわる奴隷から魂が剥れてゆくのを知るは、同じ情況にある当事者くらいであった。
魂が剥れると、禍が発生する。禍が発生すると腐臭が伴った。只“神さま”の棲む山には禍が無いらしい。そうとは風の便りで聞いても防ぎようの無い彼等は、禍に中ると次々と自身が禍となって逝った。
最近になって、新たな奴隷が南の方から送られてきた。その内ひとりは異国的ながらも極東に近い貌立ちをした、見目宇流波志い少女だと云う。ある程度の舞が出来、唱を謡える、その地の代表となる踊子の家系の娘との事だ。どう云った経緯で奴隷となったかは知れずとも、家系を象徴する様に、媚びる生き方が出来ぬ不器用さがあった。
ざわざわ・・・
少女がこの地へ降り立って初日、筑紫島は騒がしく、布一枚と煌びやかに枝垂れる着物が入り乱れていた。奴隷が十ずつ一括りにされ曳かれてゆき、地面に額を擦りつけられる。少女は強い衝撃を受けた。
「高御産巣日さまの御成りだ・・・!」
「御子さまがお産れになった・・・!」
古くから居る奴隷達はその言ノ葉に自ら頭を垂れる。まるでトランス情態に引き込まれて仕舞ったかの様に。そうでない奴隷は、涙に地面を濡らし
「サヤゥ(舞子さま)・・・」
と声無く呟いて、少女の前で身を震わせていた。
黒い服を身に纏う集団が降りて来て、土下座する奴隷達の隣に跪く。彼等は少女達とは違い、皆大の男であったが、片眼しか無い者が圧倒的に多く、五体満足でない者が殆どであった。彼等は雲に乗って山を降り、地面に届くと倒れ込む様にして跪くのであった。
軈て奴隷を統率していた立派な衣服を着た男達も、片膝を立て長い袖を組み合わせて頭を垂れる。少女も背後から頭を掴まれて、無理矢理二礼をさせられた。
高官、奴隷、職人、障碍者・・・どれも関係無くその状態で二礼した。同じ拍子で皆二つ、柏手を打つ。再び礼をし顔を伏せると
「面をば挙げ給うあり」
張り詰めた声が皆の耳に聞き漏れる事届く。皆は顔を上げ、脚の有る者も無い者も正坐をし、眼の有る者も無い者も正面を向いた。
されど皆、視線を落している。
南から来た許の少女は、云われた言ノ葉を解さなかったが、極上の華服を纏った女性が金をあしらった絹織物に包まれる赤ん坊の姿から、この地域の偉い人が子供を産んだ事への祝いだと判った。
赤ん坊と眼が合う。
「・・・・・・・・・!?」
―――生れた許であるにも拘らず、赤ん坊の眼は確りと、射る様に少女を捉えていた。
前頭に掌を押しつけられ、少女の視界は突然暗くなった。後ろから前に押し出され、少女は躓きつんのめる。
「舞え」
高官は其だけを云った。少女は屈辱的な扱いに、高官を見据えて睨んだ。眼と眼がかち合う衝突を、この国の者は嫌う。
(あーあーあー・・・)
赤ん坊の取り上げに同席し、高官に交じって参列していた伊斯許理度売命は、少女にとっては異なる音を二つ組み合わせただけの余りに素気無く、表情の示唆も与えない対応で高官が少女との関係を険悪としているのを、目蓋をちらとだけ捲って視ていた。
(莫迦やねぇ・・・云っても解らんやろうけど、云わなくても解って貰える事はあるんに・・・やっぱり漢のお偉いさんは乙女心というんを解っとらんねー)
冷静に唯観察するだけの伊斯許理度売の向いの列で、突如動き出す神が在った。その神は、抵抗する少女を庇う様に、高官の前に立ち塞がると
「私に御任せください、大尉」
にこりと微笑んで振り返り、少女の目線に合わせて屈み込む。そして
「ーーーーー・・・」
―――神神にとっては、其は何らかの呪文にしか聴こえなかったかも知れない。結果として、あれ程彼等を敵視していた少女は
「・・・・・・Oo(解ったわよ)」
と、軟化の姿勢を見せた。
(流石コンちゃん)
伊斯許理度売はアフター‐ケアまで欠かさない神に感心した。その神と眼が合うと、ガッツ‐ポーズでかれを讃えた。
かれは微笑みで其を返す。其が天児屋命であった。
「・・・さぁて。あぁしもついて行こかねぇ。産婆さんも遣った事やし」
伊斯許理度売は大きく伸びをすると、涼しげな表情をして少女に其の侭同行する天児屋の傍に往った。新しく産れた赤ん坊は、之から産土神の祝福を受けに自らの産れた地に還る。初宮参りというものだ。
「どうぞどうぞ」
天児屋は上島がされる様な返し方をする。ぽん、と少女の両肩に手を置いた。
「我我天津麻羅は作業に戻らせて貰う」
鍛冶集団・天津麻羅の筆頭が神子誕生に興味を持たない様子で云う。天津麻羅の構成員はその言ノ葉を皮切りに次次と金色の雲に乗り込んで往った。
その中には、あの天目一箇神も居た。
「御前達も作業に戻るあり!」
高官は奴隷達を解放し、樹皮の鞭で惨刻な日常へと引き戻す。彼等は逃げる様に作業に従事し、荘厳な雰囲気は見事な迄に散ってゆく。
そんな中、立往生する独りの少年が在た。玉祖命だ。
玉祖は熊曾国の出身で、既に任に就いている来賓であった。親は在なく、伊斯許理度売から玉造の技術を学んでいた。
「たぁ~まちゃん♪」
伊斯許理度売が酔った様に天児屋の肩を組んで、玉祖に声を掛ける。
「たまちゃんも、往こぉ~♪」
「・・・うん」
玉祖が呆れた様に溜息を吐いて返事をすると、伊斯許理度売は天児屋から離れ、手を繋ごうと伸ばしてきた。
・・・乳母の様だ。
確りと手を繋ぐ。
「―――早く、奴国も落ち着くといーねーん」
筑紫島は太古の昔、中国大陸から神神が渡来し、軈て帰化した。その神神は本国に朝貢し、南の島から大量に生口を仕入れては其等を献上していたのである。
加え、当時は争いの絶えない時期であり、天照大御神が高天原を治める迄は、其こそ昼も夜をも感じられる状態ではなかった。
「・・・そう想う」
玉祖は哀しみを覚られぬよう、出来得る限り目を伏せて歩いた。
「・・・・・・!」
どくん。少女の胸が高鳴った。少女のみならず、天児屋も伊斯許理度売も、初宮参りに参列した神総てが息を呑む光景が、この島には広がっていた。
―――一本だけ、黒松の樹樹と壇状の白い砂丘が形づくった道が島の方から延び、彼等が本土から島へ入る事を許している。
・・・・・・不思議な事に、赤ん坊が通った後には潮が満ち、砂が青に溶け流れ道が沈むのであった。
「・・・わっ!」
「あ~あ~たまちゃん。だいじょぶ??」
「・・・・・・平気だっ」
潮が満ちるのはとても速く、渡り切らない内に水溜りに足が浸かって仕舞う。
・・・其以後は誰も往来できない。海の神がそうしているのだ。
この島に宿う産土神は海の神・綿津見と云い、この島を産土としない者には境内へ入る事を許可しない。
志賀島――――新しく産れた神の産土である。江戸時代には『漢委奴國王』と刻まれた金印が発見された、まさに本国に認められたという証が祀られる霊島・・・・・・開闢の神・高御産巣日の神子が祝福を受けるに相応しい場処だ。




