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ス イ シ ク ヨ ウ  作者: でうく
12/16

Ⅺ.復讐

高木の(やしき)を白い焔が包む。


天智彦(アチヒコ)は、無情に喰らうその白を無垢の帷子(かたびら)として引き()っていた。焔に熱さを感じないのは、之が火ではなく高木に強い怨念をもつ無数の人魂が寄り集まって来たものだからである。

「―――はぁ・・・っ」

天智彦は之迄に無い疲弊と矛盾をその心身で味わっていた。・・・倒れたい。一つ、足を地に着く(ごと)にドクッ、と心臓を突き貫ける様な衝撃が響いた。

「―――・・・っ・・・・・・!」

息が出来ずに喉元を強く掻き(むし)る。(しか)し足は止る事が無い。身体(みたま)の方は求めている。

高木の血を。殺戮を。


御簾(みす)を開き、寝間着姿の高御産巣日(タカミムスビ)神産巣日(カミムスビ)が無防備な状態で振り返ったのを見た時、指先が自らの意思に反しびくんっ、と跳ねた。天智彦は力の限り叫ぶ。



「外へ出られよ造化の神!!」



()い切れぬ内に物凄い風圧で壁が破壊され、天智彦と同じ真直ぐな黒い長髪が宙に舞った。今この状況にそぐわぬ程にふわりとゆっくり着地するその髪に持主は繋がっておらず、壁だけが音を立てて崩れ床を下敷きとするさまに天智彦は声を失う。

「・・・・・・!」


「その(ほう)もよもや如何様(いかよう)表情(かお)をする様になるとは。何の風の吹き回しか」


絶望に魂を抜かれた様に立ち尽していると、背後からやけに澄まし込んだ危機感の読み取れぬ声が聞えてきた。天智彦は振り向き・・・否、振り向かされ、声の方向を見る。


美豆良(みずら)の片方を失った高御産巣日が、ざんばら髪の神産巣日を抱き寄せ結界を張っていた。


ふっ・・・ 神産巣日が自らの掌に息を吹きかけ、結界の外に手を差し出した。崩れていた壁が修復し、邸が(すべ)て元通りになる。

「・・・・・・」

傀儡(みたま)に護って貰えず飛び散った破片に晒された天智彦の身体も、瞬く間に傷が塞がり治ってゆく。母・神産巣日の再生の霊力だ。

天智彦は己の完全に綺麗な身体を見ると、不意に泣きそうな表情になった。

「・・・・ん・・・・・・」

・・・神産巣日と遠く離れた場処で、天智彦に()された鈴鹿も目覚めた。刻みつけられた身体の傷が消え、植えつけられた恐怖も痛みも凡てが只の悪い夢であったかの様に記憶が曖昧で、感覚も薄い。鈴鹿は虚ろな表情で、遠くから注ぐ母の愛情を己の掌を介して見つめた。


高御産巣日が結界を解き、懐から八卦鏡を取り出して



『存 思』



と唱える。天智彦の肉体は高御産巣日の術の干渉をも受け、ぎしぎしと悲鳴を上げた。



『葬は生気に乗り、古人は之を(あつ)めて散せしめず、之を往かせて止るを有らしむ。故に之を風水と云う。葬は、左を青龍とし、右を白虎とし、前を朱雀とし後を玄武とする。()って四神黄龍(おうりゅう)よ、葬者の在るべき方角に鎮座し、葬者の力を封じ込め』



高御産巣日が鏡を手放すと、鏡は宙に浮んだ侭ひとりでに盤の回転を始める。(やが)て盤に画かれた(しん)の形が天智彦に向けられ、同時に



『 行 気 』



高御産巣日が再び唱え



『 導 引 』



と呪文を続けると、天智彦に拠って削ぎ落された彼の髪がまるで生きているかの様に舞う。主との繋がりを絶たれても(なお)輝きを失わぬ髪は天智彦の背後に()る葬られるべき者を決して逃さず、その漆黒で以て存在を明かにしてみせる。




「・・・・・・その方。あの時の我等の子か」




―――視えた。天智彦の肉体を操るものが。


赤子の実体迄は視えなくも、天智彦の肉体は何千本もの髪の毛程の細い糸に縛られ、思うが侭に動かされていたのが判る。


「・・・・・・!」

己を縛めるものの正体に、天智彦自身も愕きを隠せない。


導引の呪文、そして死者を葬るべき方位に八卦鏡を合わせた事に()って、天智彦の肉体を行使する権利は高御産巣日の方に移っていた。絡みついている糸を其の侭使って肉体の暴走を食い止める。天智彦の肉体は猶も動かされようとし、ぐぐ・・・と全身を震わせる。



「・・・・・・(いず)れ、この日が来る事は予測していた」



高御産巣日の科白(せりふ)が誰に対するものであるのか、天智彦は困惑した。何せ、自身の眼に視線を合わせた侭、自身に向かって話し掛ける。赤子の姿が視えぬからかも知れないが、父神は之迄自身がどれ程御霊の暴走に見舞われようとも、情報が彼の元へはまるで届いていないかの様に安穏とした空気を自身の前で崩した事は無かった。



“僕がこう()って此処へ来るのを、()っていたのかい。アチヒコとスズカはその囮だったとでも”



天智彦を操っていた糸が一本、叉一本と少しずつ切れ、段段と縛めも緩くなってくる。赤子の力が弱まったのか。天智彦は身体の自由を取り戻し始めるも、今度は意識の方が混濁し、溺れる様な感覚に侵された。


「その方が狙うはこの高御産巣日、並び後継天智彦である事はその方が天智彦の魂を喰ろうた時から(わこ)うていた。当主(まろ)と天智彦の身を引き裂き、高木の総てを吸い上げようとするが、その方の目的であろう、我が子よ」


併し、天智彦の精神的な異状には気づいていない様で、一歩前に出て天智彦に近づく。無理も無い。(もと)が視えない体質なのだ。

天智彦は警告しようとしたが、出入を赦された霊達が意識を喰らう。


当主(まろ)にその方を成仏させる力が無かった事は謝るとしよう・・・併し、天智彦と鈴鹿はその方の弟妹(ていまい)でもある。弟妹の幸福と倭に於ける高木の更なる発展をその方からも願い、肉体を天智彦に返し、嫡男の坐を譲渡する気は無いか」


高御産巣日の求めるところは実に明快で、其以上も以下も無かった。死んだ(かつ)ての我が子とは謂え妥協はしないし、代りに其以外の要求も無い。取引こそすれ駆け引きの一切が無い中国からの渡来人らしからぬ極めて事務的な応対は、この神在ってこそ将来の思兼神(オモヒカネノカミ)を想わせる。

「其が叶えばその方には、僵尸(キョンシー)としてこの高木邸を動き回る事を赦そう。如何か。之では・・・」

「―――高御産巣日神―――っ!!」

天智彦は朧げな自我でやっとの思いで叫んだ。だが刻既に遅い。高御産巣日は己の胸に視線を()てると、口から血を流し、ゆっくりと天智彦のすぐ手前で倒れていった。



「す・・・っ・・・・・・鈴鹿・・・・・・・・・!!」



神産巣日が口に手を当て、ガタガタと肩を震わせた。



―――鈴鹿が家宝の刀剣を手にし、貫いた高御産巣日の身体から其を引き抜く。

己の父の返り血を衣服に受ける中で、鈴鹿は嗤っていた。彼女が之迄殆ど使わなかった表情筋を無理に上げ、ぎこちなくなりつつも。



『―――いい様だね。貴方がこうなる事を、僕はずっと望んでいたよ』



神産巣日が治癒の霊術を使おうとする。併し鈴鹿が掌を向けて広げると、彼女は壁に思い切り叩きつけられ、物凄い衝撃音がした。

「かは―――っ・・・・・・!!」

ごほっごほ・・・!!と暫くの間激しい咳を繰り返し、身体を震わせ悶え苦しんでいたが、(やが)て意識を手放して仕舞ったらしい。

ぴくりとも動かなくなる妻に絶望的な表情を浮べていると、鈴鹿が高御産巣日の髪を引っ張り無理矢理引き起した。

「き・・・・・・さ、ま―――・・・・」

―――当初は娘に裏切られたのかと思いショックを隠せずにいた父神だったが、表情・態度・所作の変貌に娘が御霊に憑かれている事を知る。・・・逃げたのだ、天智彦から。何故。力を封じた筈なのに。天智彦の肉体に魂を繋ぎ留めた筈なのに。

「何故―――鈴鹿に・・・・・・」

『―――解らないのかい?残念だよ御父上。貴方の中で僕という存在は、本当に無いものとされて仕舞っているんだね』

くっくっ・・・と鈴鹿の幼い顔が冷たく歪む。(わら)いの中に要素として在る怨嗟と失望に、高御産巣日は何がこの子を狂わせたのか、終ぞ理解できる事は無かった。



『八卦はね、産れた順番・身体の部位に縁って吉凶の方位があるんだよ。貴方の八卦鏡は長男に天智彦を(えら)び、(しん)の向きを(あて)がったみたいだけど―――震の方位は北東、鬼門だよ。之で僕は魂の出入が自由に出来るし、他の霊も流水の如く天智彦の肉体を出入する』



天智彦の兄とも姉とも知れぬ霊は容赦無く弟を繋ぐ糸を切る。其は、弟の意識を彼の肉体に繋ぎ留める為の糸でもあった。

糸を断たれているにも(かかわ)らずその肉体は、大量の霊の侵入で筋肉の緊張と弛緩が同時に起り、小刻みな律動で踊らされ倒れない。心臓に開けられた穴を血流が圧し拡げる様な断末魔に、天智彦は意識も無く胸を掻き毟り、絶叫を上げた。



『・・・残念だよ、おちちうえ。僕を長子だと認める気があったのなら、高木の家が潰れても、罪深い貴方や産れる筈の無かったこの子に生きる権利を与えて遣ってもいいと思っていたんだけど、


とてもそんな気は失せた』



―――自分が流産(しん)だからこそ産れる偶然に恵まれた子。自分が無事に産れていれば、受精の機会さえ無い時期に出来た子。

本来ならば自分が総て与えられる筈だった家督・将来・親による無償の愛。たった一つの居処であった屋根のある産土(いえ)さえも、嫡男である只其だけの理由でこの“弟”に奪われた。

自分が死に体と気づく迄は、自分は産れた事を歓迎されていないのだと想っていた。だが、死んだと知って、元は総て自分のものだという意識に目覚めるとその怨みは以前に()して濃くなった。

結局跡目に継げる程度の健康な者なれば誰でも良かったのではないか。天智彦が産れた事で自分の幻想さえも捨て()かれた様に、天智彦が壊れて仕舞えば約束された総てのものは無効化されるのではないかと。

・・・どちらに転んでも良かった。只、(ため)して遣ろうと思った。併し最も望んでいない答えが、赤子に突きつけられようとしていた。



『―――・・・スズカが男に産れていたら、高木は天智彦を捨てたんだろうね―――?』



―――高御産巣日が中途半端な位置に顔を浮かせた侭、瞠目(どうもく)する。この父神のおっとりとした・・・さめざめとした女女しく危機感の足りない所作は、見ていて反吐が出る様だった。

見ていて反吐が出る程に―――・・・仮令(たとえ)無事に産れていても、自分が家督を継げる自信が揺らぎ始めている。


―――赤子は鈴鹿(おのれ)の首筋に、父の血に染まった刀剣を突きつけた。


「鈴鹿―――・・・・・・!!」

高御産巣日は娘の身を案ずる。赤子は刃先を妹の頸に触れさせ

『―――動いたらスズカは死ぬよ。・・・・・・暴走した長男の手に拠って、黙って殺されるといい。タカミムスビ』

―――高木を怨む霊の集合が、当主の首を奪ろうと近づいて来る。完全に精神の自由を失くした天智彦が高御産巣日に迫った。

父が息子を凝視する。息子は焦点の定まらぬ白眼で、父を視界に入れてはいなかったが、その眼には水膜が張っていた。



“滅べ、高木よ”

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