密着!悪役令嬢プロジェクト!
ロンダル王国の王都にある貴族街。
同国の四大公爵の一家である、モンフォール家の庭先にて。
麗らかな陽気の春の昼下がり。
大きな日除けのパラソルの下にある、円形のテーブルと二脚のチェアー。
向かい合うようにして置かれた、その片方に座っている私はリポーターだ。
また、私の斜め右後ろではカメラマンがカメラを構えている。
音声係と照明係の二人も、集音マイクとレフ板を各々に構えている。
リーダーのディレクターもまた、私の視線に気づいて頷き返してきた。
五人からなる少数精鋭の取材班の準備は万端だ。
「では、そろそろ始めましょうか」
私の対面に座っている美少女が言った。
彼女は綺麗な所作でもってカップを持ち上げ、口をつける。
ほのかに湯気を立たせている紅茶は、後ろにはべらせている彼女のメイドがいれたものだ。
いかにも勝気そうな顔立ち。
派手な金髪と、両サイドに縦ロールを作った髪形。
魅惑的な体つきを惜しげもなくさらす、紫色のマーメイドドレス姿。
齢十六歳にして完成された美を誇る彼女の名は、レティシア・モンフォールという。
彼女はモンフォール公爵家の令嬢にして、日本生まれの転生者。
そして、我々を日本からこの世界に招いた召喚者でもある。
◆
遡ること三十分前。
いま話題の新鋭女優に密着しようとしていた我々は、突如として転移させられた。
気づいたときにはモンフォール公爵家の庭先にいたのだ。
そうして、いまと同じようにティータイムのひとときを過ごしていたレティシアと出会ったのである。
戸惑う我々を、なんらかの魔法でもって強制的に落ち着けたレティシア。
彼女いわく、ここは「フォエバー・エターナル・ラブ」という名の乙女ゲームの世界らしい。
フエラブの愛称で親しまれている、知る人ぞ知る隠れた名作ゲームの世界へ、我々は招かれたのであった。
フエラブのストーリーに関しては、乙女ゲームらしく恋愛で成り立っている。
ヒロインの主人公は平民ながらに、貴族たちが通う王立学園に入学。
そこで、第一王子を始めとする魅力的な攻略対象たちとの恋に落ちていく。
そんな使い尽くされたような、ごくありきたりな設定において。
旧名鈴木良子こと、レティシア・モンフォールは悪役令嬢の役割をもっているのだとか。
では、なぜレティシアが我々を召喚したのか。
その理由は、テレビの密着取材を受けるのが、彼女の密かな夢であったからである。
いつか私もこんな風に密着されたい。
そのような夢を、レティシアは幼いころから抱いていたらしい。
前世の素性こそ詳しく教えてもらえなかったが、昔からずっと密着取材に憧れていたことを熱く語られた。
また、我々の生殺与奪権を握っているのだとも、レティシアは伝えてきた。
要するに脅迫だ。
彼女の密着取材をしなければ、日本へは帰らせてくれない。
日本に帰りたければ、彼女の密着取材をするよりほかなかったのである。
かくして、我々取材班はレティシアに密着取材することになった。
もはや是非もなく、拒否権はない。
彼女が納得するまで密着取材をこなし、彼女が満足するだけのVTRを作り上げなければならないのだ。
◆
「なぜ悪役令嬢を務めようと思ったのですか?」
「なぜ? そうねぇ……」
私からの質問に、レティシアは小首を可愛らしく傾げてみせた。
精神年齢が気になるものの、仕草は非常に様になっている。
ゲームのシナリオにおいて、悪役令嬢の行き着く先は断罪だ。
三年間の学園生活を過ごしたのち、卒業を祝うパーティーにて。
レティシアは、己の婚約者である第一王子から婚約破棄を言い渡されてしまうらしい。
たとえヒロインがどの攻略対象とくっついても、レティシアは婚約破棄を免れない。
さらに婚約を破棄されたあとは、僻地の修道院送りにされ、修道女として寂しい余生を送るのだという。
彼女から受けた説明を聞くかぎりでは、お先真っ暗といっても過言ではないだろう。
だからこそ、私は聞かなければならない。
なぜ悪役令嬢を務めるのかと。
いまならまだ間に合う。
ゲームの知識をもつレティシアにとって、筋書きを変えることなど容易くすらあるはず。
なにも絶望の未来を甘んじて待つ必要はない。
幸福な未来を掴むため、手を尽くしてしかるべきではなかろうかと、私は思ったのだ。
「それは、私がレティシア・モンフォールだからよ」
「レティシア・モンフォールだから、ですか?」
「ええ。私はあくまでもフエラブの登場人物にすぎないの。ヒロインの障害となって彼女の恋を成就させる、引き立て役にして踏み台。それが私、レティシア・モンフォールの生き方であり、そう生きるべきだと私は思っているわ」
そう語ったレティシアの目は決意に満ちている。
めらめらと熱い炎が灯っているようにすら、私には見えた。
完璧なロールプレイをしてみせる。
冷めた紅茶を飲みつつ、そう誓うレティシアの横顔はどこまでも美しい。
◆
「あら? もしかして貴方、平民の方でいらして?」
王立学園の入学式の初日。
校門の前でヒロインと鉢合わせたレティシアは、開口一番にそう言った。
「えっ? あ、はい、そうですけど……」
「まぁ、やっぱり! どおりで貧乏臭い雰囲気をしていると思ったわ! 今年入学する平民の特待生って貴方だったのねぇ」
ピンクの髪色が特徴的な、可愛らしい見た目をしたヒロイン。
誰かのお下がりであろう、中古の制服を着たヒロインを、レティシアは値踏みするように不躾にもじろじろと眺めている。
「ねぇ、お願いだから私たちに迷惑をかけないでね? 本当は同じ場所に立つのも、同じ空気を吸うのも虫唾が走るの。わかるでしょ? 卑しい卑しい、平民生まれのお嬢さん」
「――あ、あんまりですっ!」
ヒロインは目に涙を浮かべ、逃げるようにして走り去っていく。
透明化の魔法をレティシアによって施されていた我々取材班は、彼女の姿が校舎裏へと消えていくのを見送った。
まさか、ここまでの差別発言をしてみせるとは。
レティシアから事前に聞いていた展開ではあるが、少々言いすぎではないだろうか。
そんな非難めいた気持ちを抱きつつ、見やった先。
ふんすと、とても満足げに鼻息を鳴らしているレティシアの姿があった。
「ふふ、完璧に原作どおりよ。一言一句、間違えなかったわ!」
「よかったですね」
「ええ。この調子で頑張りますわ」
にんまりと微笑んでみせるレティシア。
彼女は弾むような足取りでもって校舎裏へと向かっていく。
ヒロインと第一王子が出会うイベントを見学に行くのだろう。
今日という本番を迎えるまで、レティシアは準備を怠らなかった。
メイド相手に、何度も何度もセリフ合わせを繰り返していた姿を、我々はカメラに収めている。
初めが肝心と、連日連夜に及んだ練習だ。
本番での成功は、たゆまぬ努力が生んだ当然の結果であった
このシーン、見たかったのよね。
木の陰からイベントを盗み見つつ、そう呟いたレティシアの横顔は本当に嬉しそうだ。
◆
「あらあら、泥塗れの姿が本当にお似合いねぇ」
雨上がりの昼休み。
王立学園の校舎裏の隅にて。
人気のない場所でレティシアは、雨でぬかるんだ地面にうずくまるヒロインを見下ろしていた。
「でもちょっと可哀相ね。皆さん、彼女になにか拭くものを用意して差し上げて」
「「「はぁい」」」
レティシアの取巻きである三人組が揃って返事をする。
彼女たちはヒロインを突き飛ばして転ばせるに飽き足らず、その体にばらばらに切り裂いたヒロインの教科書を投げつけた。
どちらもレティシアの指示ではあるが、三人ともに嗜虐的な笑みを浮かべている。
「どうして……? どうしてこんな酷いことをするんですか……?」
「どうして、ですって? まさかお忘れなの? 私の婚約者であるミハエル様に色目を使ったことを。本当、卑しい身分の方は物覚えが悪いのねぇ」
レティシアが笑い、取巻き三人組も続いて笑い声を上げる。
下卑た嘲笑の声は校舎裏にあってよく響いた。
少しして、ヒロインはのそりと立ち上がり、とぼとぼと立ち去っていく。
存在希薄化の魔法をレティシアによって施されていた我々取材班は、彼女の姿が校舎横の手洗い場へと消えていくのを見送った。
はたしてここまでする必要があるのだろうか。
そう疑問に思ってしまうほど、ヒロインの悲しそうな背には胸を締めつけられるものがあった。
いくらシナリオどおりとはいえ、さすがにやりすぎなのではないかと。
「イベント、あるんですよね? 見にいかないんですか?」
「今日はやめておくわ……」
先んじて教室へと戻っていく取巻きのあとに、レティシアが遅れて続いていく。
私の問いかけに小声で答えた彼女に、ロールプレイをこなした喜びは見られなかった。
ロールプレイといえども、心を痛めないわけではない。
メイド相手にした練習のときでさえ、辛そうに顔を歪めていた彼女だ。
本番で受けた心痛は、やはり計り知れないものがあるのかもしれない。
辛いのはヒロインのほうなのにね。
視線を落としつつ、そうこぼしたレティシアの横顔にいつもの笑みはなかった。
◆
「レティシア・モンフォール! 私は貴様との婚約を破棄する!」
月日は過ぎ、やがて迎えた最後のイベント。
卒業を祝うパーティーにて。
華やかな会場の中央で、レティシアは第一王子のミハエルと対峙していた。
彼のすぐ横にはヒロインの姿と、ほかの攻略対象たちの姿もある。
「そんな……ミハエル様、一体どうしてですか!?」
「どうして、だと? ふざけるな! 貴様が彼女にした数々の仕打ちを忘れたのか!? 人の心を踏みにじるような真似を、何度も何度も繰り返してきたことを、まさか忘れたとでもいうつもりか!?」
端正な顔に怒りをあらわに、これでもかと声を張り上げるミハエル。
ヒロインはレティシアを恐れてか震えており、攻略対象者たちに優しく宥められている。
パーティーの参加者たちもまた、発言こそせずとも、レティシアを非難する目で見ている。
かつてともにヒロインをいじめていた、あの取巻き三人組でさえもだ。
「どうして……? どうして貴族の私ではなく、その平民をお選びになるのですか……?」
「貴様に貴族を名乗る資格はない! 貴様が犯した罪の数々は皆が認めるところ! 貴様の両親はもちろん、国王陛下からも断罪の許可をいただいている!」
「そ、そんなっ……!?」
レティシアがよろよろと後ずさる。
そうして、助けを求めようと周りを見回しても、返ってくるのは敵意ばかり。
庇ってくれるものは誰一人としていなかった。
「衛兵! レティシアを捕らえよ!」
「嫌っ! やめて! 嫌よぉ! お願いだからやめてぇ!」
衛兵の手によって、レティシアは捕縛された。
彼女がみっともなく泣き喚こうが、救いの手を差し伸べるものはいない。
哀れなんて生易しいものではない。
髪を振り乱し、涙を鼻水を垂らし、金切り声を上げて抵抗する醜い姿。
そのあまりに無様な姿は見るに耐えず、公衆からも酷い嘲笑を受けている。
かつて、レティシアがヒロインに向けていた目を、誰もが彼女に向けていた。
衛兵に引きずられるようにして、レティシアが会場の外に連れ出されていく。
誤認識の魔法をレティシアによって施されていた我々取材班は、彼女の姿が扉の向こう側へと消えていくのを見送った。
お願いだから誰か助けて。
レティシアが必死にあげた叫び声は誰にも届かず、その横顔はここからは見えなかった。
◆
「これにて悪役令嬢プロジェクト完了ね!」
あれから三カ月後。
いつかと同じような、よく晴れた日の昼下がり。
僻地の修道院にて。
修道女の格好をしたレティシアは、清々しい顔でもって旅支度を整えていた。
「あの、レティシアさん。あの人たちは大丈夫なんですか?」
「ああ、大丈夫大丈夫。ちょっと頭の中をいじくっただけだから」
私の問いに、レティシアがなんでもないといった様子で答えた。
少し先には、へのへのもへじの顔をした不細工な案山子に、親しげに話しかけている修道女たちがいる。
どうも案山子をレティシアだと誤認識しているようだ。
傍から見たら異様な光景でしかなく、心配で仕方がない。
「それで、これからどうするんですか?」
「旅に出るわ! 広い世界を巡り巡る、血沸き肉踊る大冒険の旅に出るのよ!」
レティシアは荷物を詰めこんだ鞄を手に、修道院の外へ出る。
するとそこには、メイドが用意した一台の馬車が待ち構えていた。
メイド服姿の彼女は御者を務め、レティシアの旅に同行するのだという。
仲睦まじくてよろしいことだ。
「じゃ、いままで密着取材してくれてありがとう。日本に帰すわね」
「えっ? VTRは見なくていいんですか?」
「ええ。私はもう十分に満足したから大丈夫。さようなら!」
こんなにあっさりとした別れがあるのだろうか。
長々と三年間も付き合わせておいて。
そう呆然としていた我々の視界は歪んでいき、やがて懐かしい景色に落ち着いた。
日本へ、転移する直前にいた場所へと帰ってきたのだ。
日時もあのときのままで変わってはいない。
「さて、どうしたものか……」
そして、我々取材班は、山ほどあるビデオテープを前に頭を悩ませていた。
もとは数本しかなかったビデオテープも、レティシアの複製魔法によって大量にコピー。
延々と、三年間の記録を収め続けてきたというのだから、動画の本数はそれはもうとてつもないことになっている。
ノートパソコンがあれば現地で随時編集できていたのだが、不運にも鞄に入れ忘れていたことが本当に悔やまれてならない。
「ま、いっちょやりますか」
私の活躍が皆の目に届くのが楽しみで仕方ないわ。
ビデオテープを複製しつつ、そう笑ったレティシアの横顔が鮮明に思い出される。
ディレクターがGOサインを出し、皆で大急ぎで編集に取りかかる。
レティシアと過ごした日々を形にしなければならない。
そう、「密着! 悪役令嬢プロジェクト!」をこの世に送り出す義務が、我々にはあるのだから――
◆
「こんなのボツに決まってんだろ。なに勝手にクソみたいなVTR作ってんだ。殺すぞ」
プロデューサーからの一喝。
我々取材班一行は平謝りし、いま話題の新鋭女優のもとへと大慌てで向かう。
一週間ぶっ通しで続けた徹夜作業の努力は、儚くも水の泡と消えたのであった。
レティシア。
本当にすまないが、君のVTRはお蔵入りだ。
お読みいただきありがとうございます!