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ありきたりのピロートーク

作者: 淀川十三

アホみたいに寒い朝だった。


おれは二歳年下の恋人とベッドの中でガタガタ震えていた。


「窓開いてるやんけ、閉めてくれよ」


「あんたが閉めてよ」


「そっちの方がベランダに近いねんからユキちゃんが閉めてえや」


とおれはおやつををねだる子供みたいな声で言った。


「嫌や」ユキは布団の中に隠れた。


やれやれ、まったく近頃の女は、、、なんて言いたかったが、ユキは優しくてかわいい女だ。おれは心穏やかに、フリチンのままベッドを這い出てベランダの窓を閉めて、再びベッドに戻った。


股間に手をやるときんたまがびっくりするぐらい萎んでいた。


ユキの住む部屋は、ベッドとテーブルを置いたらほとんどスペースが埋まってしまう、東京ではよくあるワンルームマンションだった。この部屋で、おれたちはほとんどベッドの上で過ごした。


おそらく東京の若者たちのほとんどは、似たり寄ったりこんな感じだろうと思う。


ユキとは、今年の夏に、映画の撮影現場で知り合った。おれは助監督の下っ端で、ユキはその時、エキストラで参加した女子大生だった。


その日は恵比寿の街中でのロケで、おれは通行人役のユキの横に立って、ユキが歩き出すタイミングを合図することになっていた。


おれとユキは建物の陰に、カメラに映らないように隠れて、おれが付けるシーバーに送られる合図でユキが歩き出すことになっていた。


本当にくだらない、しょうもない、何故こんな作品をいま作る意味があるのかと思うほど退屈な、東宝系の映画の撮影だった。ありきたりなヤクザもので「セーラー服と機関銃」を下敷きに中学生が書いたようなクソみたいなシナリオだった。


だいたい、今のご時世に映画館で観るべき映画なんてほとんどない。少なくとも21世紀以降に作られた映画の95パーセントは火曜日の燃えるゴミの日に生ゴミと一緒に捨ててしまいたいくらい、つまらない作品だ。いまどき1800円払って映画を観る人間の気が知れない。おれはもっぱら家でレンタルしたDVDを観ている。映画館は名画座しか行かない。


主演の女優は、グラビアから女優に転身したおっぱいが大きい女だけが取り柄の俳優だ。演技はおれのアル中の母親がやった方がよっぽどマシに思えた。相手役の男優も顔だけは無駄に整っている大根役者。歩きながら2、3のセリフを交わすだけなのに1時間もかかっていた。


おれはこの1時間で、ユキから聞けるだけの情報を聞き出した。彼女は奈良から上京してきた21歳の女子大生で、国際系の勉強をしており、スチュワーデスになるのが夢だった。しかし去年、交換留学でニューヨークに1年間滞在して、そこで舞台の芝居やミュージカルに触れて刺激を受けたことで女優を目指すことを決意。2週間前に帰国して、まずはエキストラから始めることにしたらしい。


そんな訳でおれとユキはこうして恵比寿のビルディングの隅で二人きりになっている。おれは、ユキが中野で一人暮らししていること、ボーイフレンドがいないこと、ビリーワイルダーが好きなことも知ることができた。


撮影後におれは「次はあなたにセリフのある役をしてもらいたいので連絡先を教えてください」と言ってユキから電話番号を聞き出した。


ちなみに普通は、助監督の下っ端にそんな権限はない。


翌日は撮休(文字通り撮影が休みの日)なのでおれはユキを飲みに誘い出した。


アメリカ映画の魅力を、知っている限りの役者名や監督名を引き出して熱く語った。時には観たことのない映画を何回も観たように話し、架空の役者名もでっち上げて言ったりした。ユキは熱心におれの話を聴いてくれた。


おれは酒には割と強いほうで、そこまで酔っていなかったが、このときは酔ったふりをして、ユキに近づいて、彼女の家に泊めてもらった。おれを悪い男だと思わないでほしい。この一ヶ月間ほとんど休みもなくて自家発電をする余裕もなく性欲が爆発しそうだったのだ。昨今労働基準法が見直されているが映画業界でそれが改善されるのはまだまだ先だろう。おれは時代に取り残された悲しき奴隷なのだ。


ユキの部屋で二人でベッドに寝転がり、ビリーワイルダー監督の「7年目の浮気」をDVDで観ていた。


ユキはアメリカからこっそりとマリファナを持ってきていたらしく、二人で吸いながら映画を観た。連日の疲労と酒で疲労困ぱいしていたおれは葉っぱの効きが早く、マリリンモンローが次第に何人も見えた。


「あれ、マリリンモンローが何人もおるで」


「くっくっく、何言ってんの」


「いや、だって、ほら!」


「くっくっくっくっく」ユキはキマるとよく笑う。


「マリリンがいっぱいおらはるでえぇ」おれはラリって眠ってしまった。


その夜、嫌な夢を見た。主役のおっぱいが大きい女優にライフルを持って追いかけられるおれ、主役の後ろには助監督やカメラマンをはじめ数多のスタッフが走っておれを追いかけ回す。必死で走って逃げたおれ。「こんなおもろない映画なんかやってられるか!」そう叫んだが声は誰にも届かない。おれは暗闇の中にどんどん突っ込んでいった。


翌朝、ユキが台所に立ってなんや調理している音で目が覚めた。撮影には間に合う時間だったが、おれは出勤を拒絶した。


「きょう撮影ちゃうんですか?」ユキはフライパンの柄をトントン叩きながら言った。オムレツを作っているらしい。


「いや、もうええねん」おれは言った。


「どうせ、人は足りてるから、やめても問題ないわ」


半分嘘だった。たしかに助監督はおれを合わせて4人いてるが、大作にもなると撮影は4人でもギリギリだ。


スケジュールの調整、エキストラの手配、衣装の確認、小道具の準備、カチンコ 、etc。


とにかく一般の人は想像つかないかもしれないが、助監督は本当に多くの仕事をこなさなければならない。だからおれが抜けると他の助監督の仕事が増えることになるのだが、残りの撮影は1週間ほど、しかもスタジオで簡単な撮影をするだけだった。おれが抜けてもそないに打撃はないだろう。


三年前に大阪から上京して、高円寺にアパートを借りていた。風呂なしでエアコンもなく、夏はクソ暑くて冬は死ぬほど寒かった。おまけに離れに住む大家のおばはんの声がやたら大きくてうるさいから、早く出たいと思っていたのだ。おれはこの日からユキの部屋に転がり込んだ。


ユキはガールズバーでアルバイトをしながら大学に行き、その合間で映画のエキストラや舞台の稽古をしていた。家賃はユキの親が払ってくれているものの、さすがにそろそろおれも働きに出ねばならなければ。おれはプータロー同然だった。


おれはユキが主演の脚本を書きはじめた。『ララランド』みたいな楽しくてちょっぴり切ないミュージカル映画だ。しかし脚本はなかなか書き進まず、夏が終わり、秋がきて、冬がきた。




そして、おれはいま、師走の寒さにガタガタ震えながらベッドの中におる。電気代節約のためにエアコンもロクに付けられなかった。そんなシベリヤみたいな部屋の中、ユキが布団から顔を出して話し始めた。


「ねえ、今日で世界が終わるとしたら何がしたい?」


「どしたん急に」


「いいから、答えてよ」


「せやなあ」おれは言った。


「マクドナルドで大量にハンバーガーとポテトとナゲット買ってきて、『マッドマックス怒りのデスロード』を観ながら、マリファナ吸って死にたいなあ」


「しょうもな」とユキは笑った。


「わたしは地元に戻って家族や友達に会いに行く」


「へえ」と言ったおれの声は悲しげだったに違いない。


「地元でみんなに会ったら、東京に戻ってあんたに抱かれて死にたい」


なんていいオンナなんだ。おれにはもったいない。おれはユキをぎゅっと抱きしめた。おもろい映画つくろう、そしてユキをカンヌ映画祭で最優秀女優にしてやろう、おれは本気でそう思った。


「なんてね」


「へっ?」


「こう言うたらあんた本気出して頑張るかなと思って」


「なんやとお!」


おれはユキの耳にかじりついた。


冬の曇り空から小さな日の光が部屋に差し込んできた。


これからどうなるのかおれにもさっぱり分からん。


おれはタバコに火をつけて、ベッドを出た。

台所に立って二人分のコーヒーを入れた。


でも、まあ、なんとかなるやろう。


ハイライトの煙、ふわっと宙に上がった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公達の人生諦めてる感が魅力的で面白かった。 [気になる点] 少し文章の書き方に違和感があった。「びっくりするぐらい」など [一言] ストーリーは個人的に好き。
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