覆水盆に返らず
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リリアンローズを抱き抱えた私は、騒めく周りを無視しマリアの方を向いた。
「劇は終わった。もうあなたには用は無い」
「……どういうこと」
「あなたの夢は叶わなかった。だから、劇はもう終わったんだ」
マリアは唖然とした顔で、何が起こっているか理解出来ていないようだった。今までの私の姿が真実だと疑っていないのなら当然だろう。
残念なほど蒼白な顔をして身体を震えさせている。
この劇はマリアの為に用意された舞台だった。彼女がリリアンローズにいじめられ、私と恋に落ちる、そんな舞台。
けれどそれに気がつく事なく、感謝する事もなく、ただ思い通りに動く周りを当たり前だとするその行動が、今回の結末に大きく作用したのは間違いない。
私はマリアに背を向けると、リリアンローズを抱えたまま、会場の外へと向かおうとした。
「待って!!!」
会場が静まり返るほどの大声でマリアは叫んだ。静かに振り返り、マリアを見据える。
「なんでしょうか、ソートフェル男爵令嬢」
崩れ落ちそうな身体を自ら支えながら、マリア、いやソートフェル男爵令嬢がそこに立っていることを確認した。
ああ、そうだね、あなたの幕も閉じてしまわないと。
「嘘でしょう、嘘なんでしょう、ハイハルト様」
「申し訳ない、あなたから名前で呼ばれるのは気持ちが悪いんです。やめていただいても?」
「…………は、なぜ、だって、あれほどわたくしを大切に扱って下さっていたのに」
「ええ、劇を終わらせるためにあなたは大切な配役でしたから」
「劇……?」
「そうです、リリアンローズが悪役で、あなたが主役の劇」
「……何の、話を」
「これは、あなたが望んだ、あなたの為の劇だったという話をしています」
「……っ!じゃあ何故その女は生きているのよ!」
「それはあなたが、主役としての動きをなさらなかった結果でしょう」
「い、意味が分からないわ!何が主役よ!ふざけるのもいい加減にして!神、出てきなさいよ!早くどうにかして!」
「残念ながら……」
天に叫ぶ過去の主役を見ながら、私は告げた。
「神は出てきませんよ。先程から言っております通り、劇は終わっているのです。もうあなたの思い通りにはならない」
神は出てこない。それを認識した途端、喚き散らす声が止んだ。
マリアは大きく目を見開き、髪を掻き乱しながらこちらを見ている。
「……あ、ああ、あああ」
その口から溢れる声は既に、言葉を失ってしまったようだ。話すことはないだろう。
「失礼致します」
「ぅぁああーーーー!」
その場に崩れ落ち、狂ったように悲鳴を繰り返すその女に背を向け、今度こそ本当に会場を後にした。
※ ※ ※
「ロスキアート侯爵家へ馬車を出して欲しい。医者も用意するよう伝えてくれ、恐らく大丈夫だとは思うが念のため」
使用人達に声をかけて馬車を出してもらう。
「はぁ…………」
うるさい騒音が遠ざかるのが分かった。
やっと終わったと息をついた後、腕の中で眠る彼女の顔をのぞく。
いつもより少しあどけない顔に、体に入っていた力が抜けた。
顔にかかった髪を手でゆっくりと耳にかけてあげると、彼女は少し身じろぎ、顔をしかめる。
「……可愛い」
自然とこぼれた声に、慌てて取り繕い外を見た。
今後、彼女が離れないように、とことん尽くさせてもらおう。口元に手を当てながら、私はそう考える。
頬にたまった熱が、侯爵家に着くまでに落ち着く事を願いながら、私はしばらく外の風景を眺めていた。
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