記憶の対価
気を失ったリリアローズは腕の中で静かに息をしていた。
安心した。やはり、ナイフで刺すという行為は恐怖があったからだ。
彼女を大切に抱きしめ、先に言われてしまったなと密かに呟いた。
ーーーーーー
昔奪ったリリアローズとの記憶を返しにきた。
突然目の前に現れた男がそんな事を言い始めたのは、このパーティが開かれる1年ほど前。
その男は自らを神だと名乗り、前にお前の記憶を奪っていた。と語り始めた。
あまりにも勝手な言い分に、始めは何を言っているのかと思ったものだ。
神は、「急に変わる婚約者は心臓に悪いだろうと奪っていた」とあまりにも当然だと言うように伝えてきたので、ふざけているのかと声をかけると。
「……ああ、そうだな」
「は?」
「ふざけていた訳ではないが、まぁ、提案をしに来たのだよ。ハイハルト」
「何をだ」
「ここに、昔奪ったリリアローズとの記憶がある」
右手を横に出しながら神が言う。
「そして、もう一つ。リリアンローズの神託を終わらせる方法だ」
左手を横に出しながらまたそんな事を言った。
「何が言いたい」
「リリアンローズとの記憶を対価に、リリアンローズの神託の終わらせ方を教えてやろう」
「なんだって?」
「もちろん、余った対価分は返してやる」
まぁ、ほとんど余らないだろうがなと言いながら、目の前に佇んでいた神は近づいてくる。
確かに、ロスキアート夫人の言葉通り、神託には終わりがある事までは辿り着いていた。
だが、何が終わりなのか明確な記述はなく、物事をこなす事で神託が降りるとしか書かれていないものがほとんどであった。
「…………」
「どうした、リリアンローズとの記憶を戻すか?」
「いや……」
「ふ、リリアンローズとの記憶が戻ったら、お前は苦しむ事になるだろうがな」
「分かっている」
「ほお」
あの、彼女の笑みを見たとき、確かに昔の事を少し思い出した。だから、恋をしたような感覚になったのではないかと疑った。
でも今ならわかる。きっと。そうでなかったとしても。
また、きっと恋をしてしまっていた。
彼女を見る度に思い出したあの笑みに、また再度惹かれていったのは間違いがない。
辛そうに甘える彼女から、またあの笑みを見せて欲しいと願わざるを得ないくらいに。
「神よ、リリアンローズの神託の終わらせ方を教えてくれ」
「お前に出来ぬことかもしれぬぞ」
「構わない。やりきるまでだ」
「そうか」
笑いながら神が私の頭に手を置いた。
「では、対価は確かに受け取ろう」
「……っ!!」
頭に激痛が走る。脳が無理やり開かれて、なにかを抜かれている感覚。
「ぐ、うぁ」
記憶は既に奪っていたのではないかと怒るよりも早く、私は気を失った。
気を失う直前、昔の風景が浮かんで来た。
『リリィ、リリィ』
『ハルトさま!』
私の呼びかけにあの笑みで応じる彼女の姿。
神の声が響く。
「それだけで十分だろう、では確かに渡した、よろしく頼むぞ、ハイハルト・ロイスベーク」
神が姿を消した後には、不思議な柄のナイフだけが残っていた。
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