表
ありがとうございました。
遂に勇者が魔王を倒した。
人類にその速報が一斉に流れ出した。これで世界は平和になると人々は歓喜した。
世界に二つの種族がいた。人と魔族だ。
いつからかわからないが両者は常に争いを続けていた。数の多い人と力の強く長寿の魔族。常に戦力は拮抗。
お互いが磨り潰しあっている不毛な戦い。それでも止められなかった。
だがそんな争いもこれで終わる。魔王を討ったことにより天秤が人に傾くだろう。そう思われていた。
次の報告に人々は絶望した。魔王を勇者が倒したのは誤報だった。
確かに魔王は姿を消した。だが魔族は滅びなかった。
何故なら同時に勇者も姿を消したからだ。対等な頂点が共に姿を消し、後に残ったのは混乱した世界だけだった。
勇者が消えた。魔王も消失した。
この事実に両陣営は慌てふためく。
人類は魔王が勇者を殺したと思い、魔族は勇者が魔王を討ったと考えた。
結局どちらも死体すら見つからなかったが。
両陣営共に疑心暗鬼になって睨み続けた。だが戦局が開かれることは無かった。お互いそれどころでは無かったからだ。
勇者に一人戦うことを強いていた人類側は防衛こそそれなりだが侵攻する力は全く無く、その上勇者に行くはずの装備や予算の大部分が国家により着服されていたとわかった。
それも勇者を支援するといっていた全ての国家だが。多数の国家の汚職が露見し、信用を失ったほとんどの国家はそのまま消滅。新しい形で国が立ち上がっていった。
民主主義、王政、共産制、神聖国家。次々と新しい国が生まれていった。それらは今までと違い、国民を省み、そして政を正しく行っていた。
その全ての新しい国家は少なく見積もっても、腐敗しきっていた元の王家よりは健全な国家形態だった。
魔族側もガタガタになっていた。
頂点として君臨する絶対たる存在の魔王。
魔族の権力の頂点であり、戦力の頂点でもあった。文字通り最強の存在。
それが突然の空席化。席の奪い合いに発展するまで時間はかからなかった。
元魔王より素晴らしい人はおらず、ただただ派閥同士でぐだぐだ争い、内乱が繰り返される結果となった。
両陣営共に戦争どころでは無く、小競り合いやら内乱やらの小さい争いとなっていた。ただ、これはどちらの陣営の民にとっては幸福なことだった。
民は戦火に巻き込まれず、生活は少しずつ上向いていった。
人類側の餓死者は零に限りなく近づいた。
魔族側の戦死者も、以前の半数以下になっていた。
戦時中なのには変わらないが不思議なことに豊かになっていく状況。
両陣営の民も豊かになっていくにつれて知恵を付けていき、戦争する必要が無かったのでは無いかという疑惑が広まっていった。
民が独り立ちするのに、そう時間はかからないだろう。
だが、これはそんな民達とは何の関係も無い。ただの酒場の話である。
国境付近の魔族領のある場所。戦争中なら考えられない立地に酒場がある。名前は『キングダム』
酒場というのは少々語弊がある。バーと呼ぶのが近いだろう。
お洒落な雰囲気を楽しむ場所。高価で少量のお酒を飲むというこの世界に無い考えだった。
落ち着いた雰囲気で酒が飲める場所などここしか無いだろう。酒を飲むということと騒ぐということは同じと考えられているからだ。
高価なカクテルを落ち着いて楽しめる。演奏者はどこのお抱えの人だと考えるほどの天才。基本無口だが、優しく粋を理解している経験豊富なマスター。
常連に何かあると顔色から察して話を聞き、そしてそれを解決する。年若い人間の男とは思えないほど知識も経験も豊富だった。長寿の魔族でさえ、彼ほどの人生経験を積んだものはいないだろう。
ここはまさに王国だった。
人族はもちろん魔族もここにいる。だが争いは起きない。戦時中にも関わらずだ。
種族の壁を越えて、一同が同じ雰囲気を楽しみ、酔う。まさに夢の世界だった。
一人でカウンター席に座ってカクテルを傾け、雰囲気に酔う魔族。ここではただの客だが、外に出たら魔族の元ナンバー2というとても面倒な状況を抱えている。
彼の名前はヴェール。いなくなった元魔王の側近。そして今、勇者と魔王の真実に最も近づけた男だった。
魔王がいなくなり、ヴェールは心のそこから悲しみ、身が引き裂かれるほど苦しんだ。だが、彼は諦めなかった。
死体が無いのならどこかに生きていらっしゃる。もしかしたら助けを待っていられるのかもしれない。そう思うと動かずにはいられなかった。
立場を捨て、世界中を探し回った。地位に何の未練も無い。ただ、魔王の傍で仕えることが彼の幸せだったからだ。
探して探して、そして9年近く探した結果。ここにたどり着いてしまった。バー『キングダム』
皮肉にも魔王は見つからず、長い時をかけて見つかったのは勇者の方。この時どのような心境だったのだろうか。
勇者がここにいるということは、つまり……。
最初は復讐のつもりだった。ここのマスターが勇者という証拠も揃った。最悪でも一矢。それが無理でも店に傷くらい残そう。ほとんど自暴自棄の考えだ。
だが、中に入ってすぐに決心が揺らいだ。店の中に魔族も人もいるのに殺し合いどころか喧嘩すら起きていない。それはありえないことだった。
未だにありえない争いの無い世界。小さい世界だが、確かにそれこの場にあった。
それは亡き魔王が夢見た世界の一つだった。争いの無い、平和で両陣営が同じことを楽しめる世界。
「いらっしゃいませ。お好きなお席にどうぞ」
マスターがこちらを見据える。ヴェールはカウンター席に座った。当たり前だが、お互いに面識がある。
あちらは勇者。こちらは魔族第二位。下手な知り合いより知り合っている。だがその元勇者のマスターは知らないフリをしていた。ヴェールは悩んだ。
魔王の復讐。魔族の本懐。魔王の夢。そしてこの平和。悩んだ結果。結論を先送りにし、マスターを試すことにした。その答えでどうしようか決めるよう。そう考えた。
「マスターの人生のようなカクテルを頼むよ。どんなのでも文句は言わないから」
かしこまりました。
マスターは頷き応え、マドラーを取り出して液体を混ぜ合わせる。数回の工程ののちにその不思議な液体がヴェールの前に差し出される。
タンブラーに入った琥珀色の液体。それに輪切りにした檸檬が添えてあった。無言でタンブラーを傾ける。
その味はとても苦いモノだった。
強い苦味が最初に来る。ただ、非常にさっぱりとした苦味でがあるが。そしてその後にほのかな甘味が広がる。強く苦いのに優しい味。初めて飲んだその味に色々な意味で衝撃を受けた。
たしかにこのカクテルは、元勇者の人生を表していた。それをヴェールは理解する。
どれほどの苦痛の中。どれほど苦しい道のりだったのか。そしてその果てに全てを受け入れ、その上で苦痛ごと人生を楽しむ。この味を感じてしまった時点でヴェールは敗北した。この男を殺すことは自分には出来ないと。そして、それが正解だったとこの後すぐに理解した。
「初めてのお客様。これより演奏が始まりますがせっかくです。何か曲の希望はございますか?」
ほぅ。演奏もあるのか。自分の人生よりも苦いカクテルを楽しみながら思考する。
「そうですね。レクイエムをお願い出来ますか?ようやく、別れを受け入れ新しい道を見つけられそうなのです」
マスターは深くお辞儀をしてからどこかに行き、そしてすぐに戻ってきた。店内を薄暗くするマスター。演奏が始まる合図だった。
奥から入って来た演奏者を見た瞬間。ヴェールの人生は新しく生まれ変わった。色々なことがあった。魔王を諦め、勇者を許すことが出来、素晴らしい店に会えた。
だが、今この瞬間ほど驚いた時は無かった。
小柄で背の低い女性だった。無表情に見える顔。そして銀色の美しい短髪。自分の最も尊敬するお方の面影があった。
ヴェールの知る魔王は本当に世界で最も尊い方だった。強く、賢く、そしてそれを民の為に使う。まさに王の中の王だった。
体格の良い男性だった。結婚をしなかったのが唯一の欠点だが、その暇も無かった為誰も何も言えない。
だからこそ驚き、そして衝撃的だった。目の前の演奏者は間違いなく、魔王の血筋の者だからだ。
マスターの苦悩をも表現しているカクテルを飲みながら、ヴェールは理解した。元勇者のマスターが彼女を救ったのだと。
魔王の忘れ形見を魔王が託したのか彼女自身が望んだのかわからない。
だが、一つだけ確かなことは、その少女を助ける為に勇者の肩書きを捨てたことだ。勇者という世界で最も重たい称号を、一人を守る道の為に捨てたのだ。
カクテルを一口傾ける。その味は確かに苦い。人生を何度も犠牲にし台無しにされた苦さだ。
ヴェールはこのカクテルに感謝した。このカクテルが無ければ自分は魔王の恩人に刃向かっていたからだ。
そう考えると、この苦さをもっと味わうことが出来そうだった。
演奏が静かに始まる。穏やかな曲調。ずいぶん落ち着いた雰囲気の鎮魂歌だった。死者がいないような優しい歌。悲しみを嫌う魔王に雰囲気が良く合う曲だった。
店の雰囲気も曲に飲まれていた。魂の安らぎを求めるような雰囲気。この場にいる皆が魔王の為に祈りを捧げている。そんな錯覚すらヴェールは覚えた。
演奏者を見つめるヴェール。あの少女が何者かはわからない。隠し子なのか親戚なのか、それとも妹か。わからないが縁者であるのは間違いない。
そんな彼女だからこそ、レクイエムを弾くのに最も相応しいと感じた。
曲が終わり静かに退出する少女。誰一人拍手をしない。
これは死者を弔う曲。拍手すべきものでなく、一種の葬儀だったからだ。
静かな雰囲気と曲の余韻に皆が酔う。この店は永劫時が止まった世界の中のようだった。
「ご馳走様。いくらだい?」
タンブラーを飲みきり席を立つヴェール。
量が多かったからか、感情が処理仕切れないほど色々あったからか、それともただ疲れているからか。ヴェールは妙に酔っている自分に気づいた。
もう少しこの場を楽しみたい気持ちはある。だがこれ以上飲めそうにに無い。残念だが今日の所は帰ろうと決めた。
マスターは静かに伝票を置いた。酒一杯にしては高い。だが演奏代と考えたらそう高い値段でも無い。むしろ安いくらいだった。
今日の演奏に値段を付けることは出来ない。自分の生涯に匹敵するほどの価値が今日の演奏にはあった。贔屓目に見なくても、それだけの腕だった。
ヴェールは書かれた値段よりかなり多い金額を置いていった。
「お釣りをさきほどの演奏者のチップにしてくれないか。素晴らしい演奏のお礼に」
マスターは金額を確認し受け取った。
「かしこまりました。かならずお渡しさせていただきます。またのご来店を楽しみにしております。次は甘めのカクテルをサービスさせていただくので」
丁寧に頭を下げたままのマスター。今彼がどんな表情を浮かべているか少々興味があった。礼儀正しすぎてその顔を見ることは出来なかったが。
からんからん。
退出するときにベルの小気味良い音が流れた。こんな音すら自分を見送っているように感じる。
入店するときは同じ音が聞こえたはずなのに、ベルが鳴ったことすら気づかなかった。そう考えたら、今までの自分はなんともったいない生き方をしていたのかと自問自答し、自分に笑った。
あの少女をどうにかしようという気持ちは無い。魔王様とあの少女は同じでは無いし一緒にしたらお互いに失礼だ。
強いて言えば魔王様の忘れ形見だ。出来るだけ守りたいという気持ちはある。勇者と一緒にいる以上。心配は無いだろうが。
出来ることと言えば、あの店の常連になって見守ることくらいだろう。ヴェールはそう自分に言い訳して、店に入り浸ることに決めた。本心はただ気に入っただけだ。
そして一年ほど通い詰めた。その間に何のトラブルも無かった。平穏で素晴らしい時間。落ち着いた時間がこれほど贅沢で幸せな物だと数百年生きていてもヴェールは知らなかった。
たまにこの店を襲いに来た存在はいた。だが、盗賊程度で勇者が何とかなるわけも無く、また自分以外の常連も相当強い存在が多いようで何事も無かった。つまりいつものことという奴だった。
この幸せな時間がどれほど尊く、そして奇跡であるか争い続けたヴェールは知っている。彼だけで無く、この場の皆が知っている。それほど戦火は酷かった。
だからこそ、彼らの中ではマスターこそ、本物の勇者だった。人の為に魔族を狩る存在でなく、ここにいる人皆に平和な世界を見せてくれたのだから。
お読みくださりありがとうございました。
裏もあります。