1.アリス
「おい、また閉じこもっているのか」
部屋の外からノイズが聞こえたが、俺は無視して目の前のことに集中する。
スキル回し、バフのタイミング、少しでもミスったらパーティーに迷惑がかかる局面だ。フロー状態を保って画面を見つめる。
もうあと数パーセントというところで、パーティーを組んでいたやつがミスった。
俺は舌打ちをしながら「どんまいです」と打ち込み、ギブアップ投票でイエスを選択する。この感じじゃもうクリアは無理だろう。
ヘッドホンを取り、額の汗を拭った。
暑い。世間は夏休み真っ只中だ。外からは時折楽しそうに遊ぶ子供の声がする。
しかし俺には関係ないことだった。俺は四月からずっと学校に行っていない。
なにかきっかけがあったわけではない。だけど、勉強も運動も人より劣っている俺が学校へ行っても、怒られるか笑われるだけだ。
ゲームなら活躍できるし、必要とされる。閉じこもるなという方が難しい。
喉がカラカラだった。俺は空のコップを持って立ち上がり、台所へ行く。
・・
台所では、さっきのノイズの発生源が新聞を広げていた。
「無理に学校に行けとは言わない。だがそれならそれで、ゲームばかりしていないで勉強したらどうなんだ」
親父は大学で教鞭を執る教授だった。だけどその優秀さはすべて上京した姉の方に持っていかれ、あとから生まれた俺は言うなれば残りカスというわけだ。子供は姉だけにしておくべきだったのに。
ノイズを無視して、冷蔵庫から冷えた麦茶を取り出し、コップに注いだ。そして足早に部屋に戻ろうとする。
「待て」
ため息交じりに言われて、仕方なく足を止める。
「なに」
「来週から留学生がうちにホームステイすることになってる。失礼のないようにしろ」
「は……? なにそれ聞いてないんだけど……」
「お前がヘッドホンしてゲームばかりしているからだ」
悔しいことにぐうの音も出なかった。俺はなにも言わずに自室に戻る。
まあいい、部屋からなるべく出なければいいだけのことだ。
・・
その日もいつものようにダンジョンに潜っていた。
道中の戦闘が終わってBGMが静かになったところで、外が騒がしいことに気づく。
そうか、今日は確か留学生が来る日だ。きゃーきゃーうるさいのは多分母さんだな。
どうせ会うのは夕飯の時くらいだろう。……さて、ボス戦だ。
その時すーっという音がした。俺はもうボスを殴り始めてしまっていたが、まさかと思って振り向く。
「Hello...Ah...コンニチワ?」
襖を開けて、金髪の女の人が部屋の中を覗き込んでいた。ヘッドホンからは自キャラがぼこぼこに殴られる効果音が聞こえ続けているが、俺は画面に視線を戻すことができない。
恰好はラフだったものの、ハリウッド女優みたいな美人だった。いや、もしかしたら外国人補正がかかっているのかもしれない。でもなぜかずっと目を合わせたまま釘付けになってしまっている。
「What’s the matter? Are you OK?」
戸惑った様子の金髪美女がなにか言っている。アーユーオーケーだけはなんとか聞き取れた。
「オ、オーケーオーケー」
自分の英語が下手過ぎて死ぬほど恥ずかしい。しかし招き入れられたと思ったのか、金髪美女は部屋に踏み込んできた。
そして慣れない様子で正座をし、頭を下げる。
「アリス、デス。ヨロシク、センセイ」
「よ、よろしく……。え、センセイ?」
・・
「はあ!?」
「Wow, loud voice」
「あっ、すいません……」
俺が謝ると、アリスは肩をすくめ、ぎこちない手つきで夕飯に出た納豆を混ぜる作業を再開する。
「ちょっと、そんなの無理だって……」
「仕方ないだろう。私はほとんど大学で家を空けるし、母さんはパートで忙しいし」
「そうよ、こんな美人と一緒に過ごせるなんて素敵じゃない」
「間違っても手は出すなよ」
「だっ、出さねーよ……」
「当たり前だ。この機会にお前も英語の勉強をしつつ、アリスさんに日本語を教えてあげなさい」
これまでの人生一番の無茶振りを受けて、俺は頭を抱えた。
「Look at this! Very sticky!」
アリスは納豆を伸ばして遊んでいた。