後編
姉貴と電話で喧嘩をした日から俺は、動画を見ることをやめた。どうしても自分と比較して、苛ついてしまうからだ。
だが自分自身は、複雑な気持ちを抱きつつも、活動を続けた。姉貴の友達のように、俺の動画を好きでいてくれる人もいるはずだから。
クリスマスが来た。俺はその日も動画を投稿した。だが次の日に見てみると、1回も再生されてないことに気づいた。一応、俺はあの動画の冒頭で、「メリークリスマス」と言ったのだが、当日は誰のもとにも届かなかったようだ。
そうか、人それぞれ忙しい時期はあるんだよな。こういう日は、大多数の人が暇を持て余すことのない日なんだ。予定があればそれを優先させる。当然のことだ。
だがSNSを見ると、人気実況者は当日でもいつも通り人気者だったことにはムカついた。所詮、俺はその程度の人物なのだ。特別な日には誰にも見向きされないような、その程度の注目度なのだ。
動画というのは、後からいくらでも見ることが出来るものだ。投稿当日に見る人はそう多くない。暇なときに自由なペースで見ることが出来るのも魅力の一つなのだろう。
だが、人間というのは不便なもので、一度過ぎ去った時はもう二度と訪れない。今投稿した動画が数年後に見られようが、その時の俺にはほとんど関係ないのだ。今の俺は、今を生きている。過去ばかり認められたって意味がない。もちろんそれをキッカケに、今やっているものを見てもらえるのは嬉しいが、そんなうまい話がそこら中に落ちているはずがない。
年末に、姉貴が帰省してきた。どうやら実家で年を越すらしい。その姉貴が教えてくれたことなのだが、以前電話で言っていた姉貴の友達が、他の実況者の動画も見るようになったらしい。
それを聞いた時、なるほどと思った。最近は、再生数が0回のこともたまにあるのだ。姉貴の友達がいつも見てくれていたのならばそんなことにはならなかっただろう。つまり俺は、ますます実況活動をする意味を無くしてしまったということだ。
だが、毎回のように見てくれていたのが一人だけだったというのは何とも情けない。その一人を失った場合、俺はどうなるんだろうか。
姉貴が帰ってきた時期というのが、俺が冬休みに入ってからだった。なので家に居る時の姉貴の様子はなんとなくわかるのだが、不思議なことに、ゲーム実況を見ている様子がない。あれほど実況好きだった姉貴がそんなことはないだろうと思い、ある日俺は姉貴の部屋をノックした。
「ん。何?」
「いや、その……何やってるのかなーって」
「……変態」
姉貴が部屋で何をしているのかを気にするのは、変態のすることらしい。女として見ているなら確かに問題だが、そうでは無い。
「あのな……」
「冗談よ」
姉貴は澄ました顔で言ってくる。姉貴は大学に入って変わってしまったのだろうか。一年前の、テンション高く絡んできていた姿からは想像できないくらいの変貌ぶりだ。
「今は本読んでたところよ。アンタは?」
「俺は、動画編集」
言った瞬間、姉貴の耳がピクっと動いた。興味はあるらしい。
「どんな感じなの?」
「は? 何が……」
「だから、編集ってどんな感じなのよ?」
「言っても絶対わかんねぇよ」
「あっそ」
あまり良い会話ではないが、無いよりはマシだった。これでも少しだけ嬉しかったりする。だが俺が今気になっていることに関しては答えが出ていない。なので仕方なく、ストレートに訊くことにした。
「あのさ姉貴。ゲーム実況って、今でも見てんの?」
「……アンタに関係あるの?」
とてつもなく冷たい姉貴だ。なんだかもう、姉貴がゲーム実況を見てるかどうかなんてどうでも良くなってきた。この調子だと話す度にショックを受けてしまう。
「わわっ……わかったわよ。答えるから泣かないでよね」
「な、泣くか!」
泣いてはいないけど、涙目になっていたのは確かだ。今の俺のメンタルはガラスのハートどころじゃない、金魚すくいに使う"ポイ"並にモロい。人差し指で突かれただけでも破れそうだ。
「見てることは見てるわよ。ただ、イヤホン使って聴いているわ」
「それって、俺に気を遣ってるのか?」
「違うわよ。寮暮らしだから、あまり周りの子に聴かれるのも恥ずかしいのよ。だからいつもイヤホンで聴くようにしてるの」
なるほど。それなら辻褄が合う。これで俺の気になっていたことは、解消された。
「……ねぇ。今の言い方だと、私が音を出さずに動画見ていると、アンタに気を遣っているっていう風に取れるのよね? それってどういう意味?」
今度は俺が質問をされていた。しかもあまり答えたくないことだ。
俺は今、人の実況を聴きたくない。自分とは全く違うのが悔しくて仕方がないからだ。純粋に楽しむことなんて不可能に近い。だがそんなことを言ってしまえば、俺が劣等感を抱えながら活動していることを姉貴に知られてしまう。
「それは……アレだよ。その……」
俺は、特に言い訳が浮かばないまま返答してしまい、言葉を詰まらせてしまった。
それを見た姉貴は、急に俺を抱きしめてきた。
「ちょ……おいっ、何すんだよっ!」
「タクト……無理しなくていいのよ。私はアンタの味方だから」
俺の身体を包み込んだまま、頭を優しく撫でてくる。
「意味わかんねぇよ……」
俺は口では強がりを言うが、姉貴の抱擁に抗うこと無く、そのままでいた。そうしているうちは何故だか、嫌なこととか全部忘れられた。まるで、全てを許されたような、全てを認められたような、そんな心地よさを感じていた。
しばらくそうしていると、1階の方から、ご飯よーというお袋の声が聞こえてきた。姉貴はそれを合図に、俺を解放した。
「タクトっ。苦しむことは無いわ。ゲームは楽しく遊ぶのが一番なんだから♪」
と、笑顔で言ったあと、ご飯〜ご飯〜♪と鼻歌を歌いながら階段を下りていった。
姉貴は、変わっていなかった。前に電話した時から、俺との距離感がわからなくなっていただけなのだろう。姉貴からしたらあの電話での俺の態度の方が、よっぽど変わってしまったんだと思ったに違いない。
だが、姉貴には見透かされていたみたいだ。今の俺はとても弱いと……思われてしまったんだ。それが事実であろうと、俺は隠し通したかった。
☆
「一度、会ってみない?」
姉貴がそんなことを言い出したのは、正月のことだった。
初詣に行き、引いたおみくじが小吉で微妙な気持ちになっていた俺に、大吉のおみくじを満面の笑みで見せつけて、散々自慢した後に言ってきたのだ。
何のことだかわからなかったので、誰に?と訊いたら、前に言ったでしょ、と前置きをして、
「ユリよ」
と言った。全く心当たりのない名前だ。聞いたことのない人の元へ行ってどうするのだろうか。芸の一つも持っていないから、ただただ立っているだけになりそうだ。とか考えつつ、ユリって誰?と聞き返した。
「あれ、言ってなかったっけ? アタシの友達で、アンタの動画が好きだって言っていた子よ」
「ユリって名前なのか。──って、何で会いにくんだよ!」
会いに行く理由が見当たらない。ユリって人が動画を見ていたとしても、直接会ったことがあるわけじゃないし、姉貴の友達だからといって、弟の俺が会うのも少しおかしい気がする。
「いいじゃない。会ったら何か変わるかもよ?」
何か……とは、恐らく俺の現状のことを言っているのだろう。実際、視聴者と会える機会なんてそうそうないだろうし、ある意味良い経験になるのかもしれない。
だが、声だけで、画面に顔が写っていないから好きだという可能性がある。実際に会って、イメージと全然違うと言われたら、俺はどうしたらいいかわからない。
「……やめとく。会わないほうが良いと思う。入ってるのが声だけだから実況なんだ」
「決めつけは良くないわよ。どうせドン底にいるんだから、失うものは何もないでしょ?」
数少ない視聴者の一人を失う可能性があるのだが……しかし、確かに姉貴の言うとおりだ。決めつけは良くない。会っても得しないと思って会わないというのは、出会いの機会を逃すことになる。逃げ続けたら、今後の人生でも友達を作ることが無くなってしまうのかもしれない。
「わかった。いつにする?」
「明日」
「明日ァ!?」
今日言い出して明日行くっていうのはいくらなんでも突然すぎる。俺が驚いているのを見て、姉貴はニシシと笑い、「明日はもともと、会う約束をしてたのよ」と言った。
翌日、俺達は姉貴の友達の元へ電車で向かった。
辿り着いたのは、全く想像していなかった場所だった。白く、大きな建物。広い駐車場。近くを行き来する救急車。……どっからどう見ても病院だ。
「姉貴の友達、怪我でもしてるのか?」
「怪我じゃないわ。病気よ」
「どんな病気?」
「なんか、やけに長い名前の病名だったわね。詳しくは知らないけど、ちょっと動いただけで高熱が出るから、外へ出歩くのも難しいらしいわ」
俺も病気に関しては詳しくないので、そんな長い名前なら、聞いたところでわからないだろう。
しかし動くと熱が出るって、それじゃあ一日中病室でじっとしているということだろうか。そんなの暇すぎる。ゲーム実況を見るのも頷けるな。
まあ、他にも動かずに楽しめる娯楽はいくらでもあるだろうが、大方、姉貴が薦めたんだろう。
建物の中に入ると、姉貴が迷わず進んでいき、受付の人と喋り始めた。面会の受付という業務的な会話ではなく、知り合いのように楽しそうに会話をしている。
姉貴は今や、誰とでも仲良くなれる人物の化しているのかもしれない。一方俺はというと、近くに並んでいる椅子の一つに腰掛け、姉の方をジーっと見ながら待つのみ。姉弟なのに、その血は受け継がれていないらしい。
やがて会話が終わり、姉貴が俺を呼んだ。姉貴について行くと、あっという間に病室に着いた。かなり行き慣れているみたいだ。
「やっほー、ユリ♪」
病室に入るなり、右側一番手前のベッドに突っ込んでいった姉貴。それを近くに居た看護師が、手で制した。そして、お静かにお願いします。と凄みをきかせて言った。
この慣れた感じ、まさか姉貴は、いつもこんな感じなのか……?
「じゃあ改めて……やっほー、ユリ」
先ほどよりも音量を下げて同じセリフを言う姉貴。その向いている先のベッドには、一人の女性が居た。
彼女がユリか。──いや、姉貴の友達なのだから、俺よりも歳上なのだろう。するとユリさんと呼んだほうが良いということになる。
「やっほー、ミユちゃん」
優しく微笑みながら挨拶を返すユリさん。姉貴のノリに付き合うなんて、なんて心の優しい人なのだろう。
ユリさんはすぐに俺に気づき、首を傾げた。
「そちらの方は、どなたですか?」
「あ、こいつはねー、私の弟!」
「ミユちゃん、弟さんが居たの? ビックリだよ〜!」
ユリさんはどうやら、素で驚いているらしい。おっとり口調ではあるが、とても純粋で良い人そうだ。しかし姉貴が俺のことを伝えてないのはどういうつもりなのだろうか。
「えと……よろしくお願い……」
「──それで、こいつがあの、タクトなのよっ!」
俺が言い終わる前に姉貴が割り込んできて、高らかに叫んだ。先ほどの看護師が姉貴をちょっと睨んでいる。
ユリさんはというと……口に手を当てて驚きつつも、目をキラキラと輝かせている。なんか怖いよこの人。俺を子犬か子猫でも見るかのように、キラキラした目でジーっと見ているよ。
「あのっ、タクトさんなのですかっ?」
「そ、そうですけど……」
「うわぁ、ミユちゃん、本物だよっ! 声が、本物なのっ!」
と姉貴の手を握って、ブンブンと上げ下げしているユリさん。いくらなんでも興奮しすぎだ。俺は有名人でも何でもない。そういうリアクションは、再生数何百万回を誇る動画を生み出した人に対してするものだ。
「ユリ、落ち着いて。あまり興奮すると、熱上がるわよ? っていうかあいつ、そんなすごいやつじゃないよ?」
今回ばかりは姉の意見に賛成だ。俺はそんな反応をもらえるような人間じゃない。昨日投稿した動画の再生数だってたったの5回だ。
「ううん、すごいよっ。ミユちゃん見たこと無いの? タクトさんの動画、面白いんだよ?」
「弟の動画見て喜べる私じゃないわよ……。でもユリ、アンタ最近は他の実況者さんの動画も見てるんでしょ? それでもこんなやつがすごいって思うの?」
こんなやつとは何だ。
だがそれは俺も気になるところだ。俺は人より面白いという自信がない。なので、見られる理由というものを知りたいんだ。
「人と人を比べて考えちゃいけないと思うよ。この人よりこの人のほうが優秀って感じても、それが本当とは限らないもの。みんな人それぞれ、違うんだよ」
そう言ってユリさんは微笑んだ。
確かに……俺をそのまま面白くした人間が有名実況者というわけではない。それぞれ違った考えや感想を抱くし、声もリアクションも全く違う。それを優劣として捉えるのは間違っているのかもしれないな。
……けど、これはオンリーワンで済む話でもない。目に見える優劣は確かに存在しているんだ。再生数という数が、正にそれを表している。
「まあそれも一理あるわね。好きな実況者さんだったら、例え人気が落ちたとしても、私は見続けるわ」
「うん。だからね、私はタクトさんに会えて、本当に嬉しいの!」
ユリさんは俺に、満面の笑顔を向けてくれた。
次の日、姉貴は寮に戻っていった。どうやら俺とユリさんと合わせたのは、自分が戻る前に弟の俺を元気づけてやろうっていう粋な計らいだったのだろう。そしてそれは、姉の思惑通り、良い結果を残した。
こんな俺でも、人を笑顔に出来る。その事実は大きなエネルギーとなった。だから俺は、再び明るい気持ちで収録に臨める。機器をセットし、ゲームを起動させ、姿勢を整え深呼吸する。そして、
「よっしゃ、ゲームスタート!」
それが俺の開始のセリフだった。
毎回、実況を行うときはこの言葉で始めるんだ。こうすると気合が入る。
この言葉の起源は、昔、毎日のように俺と姉貴がゲームで遊んでいた頃のことだ。当時はテンションが高かったのだろう、いつの間にか、ゲームの電源を入れるときに「よっしゃ、ゲームスタート!」と言うのが定着していたのだ。キッカケとかは無かったはずだ。ただなんとなく、大きな声で言いながらゲームを始めるのが楽しかった。
今せっかくこうしてゲームに関する活動をしているのだから、その頃のセリフを使ってもいいんじゃないかって思い、再び使うようになった。
使い始めた時は、さすがに違和感が強かったが、今ではこれが自分の中で当たり前となっている。
3月になった。
今年は例年より、桜が咲くのが遅いとテレビで言っていた。それはまるで、自分の状況を表しているかのようだった。
正月に会って以降、姉貴やユリさんとは会っていない。あの時、俺の活動は人に笑顔を与えることが出来ると気付かされた。だから俺は相変わらずゲーム実況に夢中になった。どこかの誰かが、求めていると信じて続けた。
──だけど何も変わらなかった。投稿者のやる気一つで人気を得られるのなら、たいていの人が人気者になるだろう。つまり当然の結果だ。人気のないやつは人気のないまま消えていく。それが現実なのだ。
きっと、ネットで活躍するやつは、学校のクラスでも人気者なのだろう。俺は学校でも一人ぼっちだ。したがって、人気とは無縁の人間だ。
桜が満開という時期に雨が降り、冷たい雨粒が街中の花びらを地面に落としていった。
俺は傘をさして、その光景を見ていた。なんだか自分を見ているようで、放っておけなかったんだ。
そんな時に、姉貴から電話が掛かってきた。今度の日曜日に、暇ならまたユリさんのところに行かないかという誘いだった。今は会いたいような会いたくないような、複雑な心境だ。なのでハッキリした返事を出来ずにいると、姉貴が、「悩んでるなら会っておきなさい」と言ってきた。
俺は、素直に提案を受け入れることにした。
そうして再びユリさんの入院している病院へ行ったのだが、そこで見た光景に少し驚いた。
正月に来た時には、ベッドから降りることも許されていなかったユリさんが、病院の入り口に立って出迎えてくれたのだ。姉貴は驚いていなかった。それはつまり、ユリさんの病状が順調に良くなっているのを知っていたということだった。
ユリさんは俺の手を取り、「お久しぶりです、タクトくんっ♪」と嬉しそうに言ってきた。俺は動画でこそ言いたいことを言えるが、現実ではコミュニケーションをほとんど取れない人間なので、ああどうも……と愛想笑いをするだけだった。
気になったのは、以前来た時と比べて馴れ馴れしくなっていることだ。君付けで呼ばれたり、握手したりと、いつの間にか距離が近づいているような対応。
不思議に思ったので病室の椅子に座り、考えていると、姉貴が何か吹き込んだのでは?という答えに至ったので、もうそのことは気にしないことにした。
面会が終わり、姉貴が病室から出た直後、俺はユリさんに引き止められた。
「またお暇なときに、今度はミユちゃんには内緒で来ていただけませんか?」
妙なことを頼まれた。姉貴抜きで会いに来てくれとは、どういうつもりなんだろうか。
疑問ではあるが、「はい、わかりました」と返事をしておいた。
次の週末に、今度は俺一人で病院へ向かった。
二回行ったので、もう行き方は記憶できていた。電車に乗り、目的地の駅に着いた後は駅の東口から真っ直ぐ歩き、二つめの信号を右に曲がる。すると病院が見えてくる。あとはそこを目指して歩くだけだ。
病院の中に入るまでは良かったが、面会の受付はいつも姉が行っていたため、どうしたら良いかわからなかった。
とりあえず受付の人に話しかける。
「あの……面会をしたいんですけど……」
実況の時とは打って変わって声が小さくなってしまう。
「どなたとの面会をご希望ですか?」
「ユリさん……」
言い掛けて気づく。俺はユリさんの苗字を知らない。
「……? どうしました?」
受付の人が不審に思い始めていた。
どうしたものか、俺が焦ったまま何も出来ずにその場に立ち尽くしていると、後ろから、「私への面会に来てくれたみたいです」と聞き覚えのある声が掛けられた。
振り返るとそこにはユリさんが居た。おかげでそこからはスムーズに話が進み、すぐに面会の許可が降りた。
「タクトくん、来てくれてありがとうございます♪」
ユリさんは病室のベッドに腰を掛けて言ってきた。俺も近くのパイプ椅子を持ってきて座った。
「あの……なんで俺一人で来るように言ったんですか? 姉貴と仲が良いのは知ってますけど……」
「そのミユちゃんから聞いたことによると……タクトくんは、最近悩み事が多そうです。なので私で良かったらなんですけど……相談相手になりたくて、思い切って一人で来てもらっちゃいました」
姉貴……余計なことを言ってくれたな。自分の友達に気を遣わせてどうするんだよ。
俺はすぐに帰ろうと、立ち上がる。
「タクトくん。私……もうすぐ退院できるんです。だから今、とても嬉しいんです」
突然、ユリさんが言い出した。
退院か、それは嬉しいだろう。体調が良いに越したことは無い。
「おめでとうございます。えっと、姉貴と同じ大学に通ってるんですよね?」
「はい。ですが、出席日数が足りないので留年してしまうようです」
笑顔で言う。
姉貴から聞いた話だと、ユリさんが大学生として過ごした時間はまだ多くないらしい。だからまた一から始まるという感じなのだろう。だけど、仲の良い友達──すなわち俺の姉貴は、一年先輩になってしまう。その寂しさは無いのだろうか。
「そうすると、姉貴とは先輩後輩の立場になっちゃいますよね」
俺は気遣いが出来ないので、ストレートに訊いた。
「そうですね……。でも、友達は友達だから、大丈夫です♪」
前向きなんだな。俺には、そんな友達は居ない。気の許せる友達も居なけりゃ、ネット上の知り合いだってほとんどいない。
「タクトくんの方は、どうですか?」
「どういう意味ですか?」
「最近、楽しいことありましたか?」
嫌味な質問にも聞こえるが、表情を見る限り、悪意は無いみたいだ。
考えてみると最近はゲーム実況のことばかり考えていて、現実で起きることなんかに興味を抱くことが無くなっていた。些細な楽しみなんて一ミリも感じられなくなっていたのだ。それはやはり、気持ちが暗くなっているからなのだろう。
「正直言って、何もないです。再生数が増えたら嬉しいものですけど」
「やっぱりそういうものなんですね。人それぞれ、良いと思う動画を見ているんだと思いますけど、作る人の苦労は知れない……というのが本当のところだと思います。タクトくんが苦しんでいるのは、頑張った分のご褒美が無いからなんじゃないかと思ったのですけど……どうですか?」
俺が苦しんでいる……と思われているのがツラい。そんなものを知って、今後純粋に楽しめるものなのだろうか。
だが実際、俺は実況を"やる価値"というものが欲しい。ユリさんの言うとおり、頑張った分くらいは見て欲しいというのが本音だ。
「そうですね……そんなところです」
「私は……楽しそうに実況をしているタクトくんが好きです」
突然告白まがいなことを言われて驚いた。
「だから、その裏で辛い思いをされているのは、嫌です。もしも楽しさよりも悲しさを強く感じるのなら……少し休むべきだと思います。なるべく元気に楽しく生きてください」
そう言って優しく微笑んだ後に、申し訳なさそうな顔で、
「……なんて、偉そうですよね。こういうアドバイスってしたことなくて、不快な思いをさせたかもしれません。ごめんなさい」
今度は頭を下げられた。
余計なものを背負わせてしまったという罪悪感もあったが、俺の悩みの解決策を真剣に考えてくれたことが嬉しかった。
本来、ゲームを遊ぶっていうのは楽しいことだ。それが今では何故か、興味を惹きつける方法となってしまっている。
ゲーム実況なんて本来必要ないものだ。人がゲームを楽しんでいる様子なんて、見て何になる? もともと、疑問だらけのものだ。だからこの活動で上手く行くことを狙ってはいけないのだろう。たまたま人気が出た人は活躍するが、それを憧れるのは間違いだと思う。ゲームはやはり、楽しむものなんだ。それ以上でもそれ以下でもない。それを俺は今、知った。
「やりたいって思って始めたんです。きっと楽しいことだって。だけど俺は上手く行かなくて、だんだん苦しくなっていって……やがて、何をやってるのかわからなくなりました。それでも、楽しんでくれる人はいるって信じて続けたら、また苦しくなって、そうしているうちに、いつの間にか姉貴やユリさんに迷惑を掛けていた……」
俺は、今までの活動を振り返って、正直な気持ちを口に出していた。なぜだかわからないけど、この人なら全部受け止めてくれるって気がしたんだ。そんな包容力みたいなものを、ユリさんには感じる。
だからこれ以上迷惑を掛けたくない。
「迷惑なんかじゃないよ。友達が困っているなら助けてあげるのが当然でしょ? 私は、少しでも役に立てるなら、嬉しいんだよ」
「でもユリさんは姉貴の友達で、俺の友達じゃ……」
「友達だよ。じゃなきゃ、二人で会ったりしないよ」
優しい口調でユリさんは俺のことを友達だと認めてくれた。
俺の悩みは、人気を得ることで自然と解消されると思っていた。だがユリさんは、悩み続けることは生きることを辛くしてしまうことだと教えてくれた。
今年の正月に姉貴に提案されて、縋るようにユリさんと会うことを決めた俺だったが、実況をやっていなければ、もっと違った気持ちで出会えたかもしれない。
──いや、そうなのだろうか? ゲーム実況をしていたからユリさんは初対面でも俺の声を聞いて喜んでくれた。ゲーム実況をしていたからこうして会話の機会ができた。ゲーム実況だけでなく、ネット活動をしている人なら同じだろうけど、俺に出来るのはゲーム実況だけだ。
ゲーム実況は、俺に人気を与えてくれては居ないが、つながりは出来た。俺はそれを、良いものだと信じたい。
「ユリさん。ありがとうございます。俺は、ゲーム実況、続けます。辛いことがあっても、俺はこの活動で得たことを大事にしていきたいから」
「うんっ、新実況楽しみにしてます♪」
驚いた。確かに今度新実況を始めるのだが、誰にも気にされていないと思っていた。
「……知っててくれたんですね」
「はいっ、今はミユちゃんに勉強教えてもらっているので、忙しくて見られない時もあるけど、それでも、これからも応援し続けます♪」
このセリフ、今後もどうせ人気が無いままなのだろうと考えて聞いたら、素直に受け取れないものだが、今は明るい気持ちで受け取っておこう。
楽しく過ごす人生の方が絶対に良い。それを知ったから。
☆
登校時、桜が咲いているのが目に入ったので、スマホを取り出し、カメラを起動して写真を撮った。俺はそれをSNSに投稿する。
恐らくまだ俺の人気じゃ誰も反応しないだろう。だけど、良いと思ってやったことなら、結果が出なくても楽しいものだ。
散った桜よりも残った桜の綺麗さを味わいたい。いつか花びらが全て散ったとしても、残った木の枝を好きでいたい。それが俺の出した結論だ。
明日から春休みだ。それに合わせて姉貴がまた実家に帰ってくるらしい。俺の迎え方は決まっている。すぐにゲームを出来るように、テレビにゲーム機を繋いでおくのだ。何の話をするにしても、いつもこれが俺達を繋いでくれていたものだ。間違い無い。
翌日、昼前にチャイムの音が鳴った。恐らく姉貴だ。自分家なのだから別にチャイムを鳴らさなくてもいいのだが、妙なことをする姉貴だ。
今日はお袋は出掛けている。なので若干面倒くさがりながら、俺は玄関へと向かった。ドアを開けると、そこにいたのは姉貴と──ユリさん。
「お久しぶりです、タクトくん」
いつものように優しい笑顔を俺に向けてくれる。
「久しぶりです、ユリさん」
俺も精一杯の笑顔で迎えた。
「私はっ!?」
姉貴がツッコんできたが、それはスルーしておく。正直、ユリさんが家に来たのは驚いたが、驚きよりも喜びのほうが上回っていた。元気そうでよかった。
「そんじゃ、とりあえず入って」
「ええ、そうね。立ち話もアレだしね」
「それではお言葉に甘えて、お邪魔します」
家に上がり、二人は、まずどうしようかと考えている様子だったが、俺は「着いて来てくれ」と言って二階に上がっていった。二人は素直に着いてきている。
「部屋行くの?」と姉貴に訊かれるが、返事はしない。すると小声で、なぜだか私に冷たくなったわね……と言われたが、気にしないでおく。
部屋の中に入り、二人分のクッションを並べる。
「これって……」
「ゲーム?」
部屋の真ん中でゲームをする準備が完璧に出来ているのを見て、姉貴とユリさんは少し戸惑っているが、これがゲーム実況者なりの歓迎の仕方というものだ。
「ユリ、ゲームしないんじゃなかったっけ?」
「それがね、ゲーム実況を見て興味を持ったから、最近始めたんだよ」
ユリさんは最近まで、ゲームをしない人間だったのか。俺にとってそれは衝撃の事実だったが、きっとこのゲームの楽しさは伝わるだろう。
今日は収録では無く、3人で純粋にゲームを楽しむつもりだが……これは言っておこう。
「よっしゃ、ゲームスタート!」
「わぁっ、本物だよ! ミユちゃん!」
「偽物じゃないことは確かでしょうけど、そんな興奮するようなことかしら……」
それぞれ気持ちはバラバラだけど、ゲームが繋いでくれる。そう信じてる。だからその面白さを世界中に広めて、みんなが楽しめる環境を作っていきたい。今はそう思う。俺はこれからもずっと、ゲーム実況を続ける。
──不意に窓から入ってきた風が、テレビの前ではしゃぐ俺達のもとに桜の花びらを運んできた。
終わり。