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清浄の薬湯

「ずいぶんと我を張る童よのう。さあ早く口を開け。この薬湯は毒なぞではないぞ。そなたらにかかった呪いを鎮め、身を清めるありがたい薬湯であるぞ。見ろ、他の者は皆ありがたがって飲んでおるではないか」


 弥一の家の前、その広い庭は、かりそめの炊き出し場の如き様相を呈していた。

 僧形の男は弥一や村人達が持っておったカガミの煎じ薬を全て捨てさせ、この災厄は仁平の嫁が引き起こした呪いの障りじゃと断じた。かわりに清浄の効があるというこの薬湯を皆に振舞うことになった。

 村人全員に行き渡る量を作るうちに、辺りはすでに暗くなり、今はかがり火を焚いている。


 一人の村人が虚ろな目をして大釜の中身をゆっくりとかき混ぜる。それにつられて得体の知れない薬草達がざばあ、と音を立てて絡み合いながら濁った湯の中を回る。立ち昇る青臭い臭気とあわせておよそ気味の良い光景ではなかったが、集められた村人達は、大釜で煮出されたその薬湯をおとなしく並んでは順番に飲んでおった。

 異様な光景ながら僧形の男の大きく見開かれた目に捉えられてなお反抗する者はおらなんだ。

 だが皆が差し出された椀をおしいただいて飲む中、捕らわれた仁平の娘タマはかぶりを振って椀を拒絶しておった。


「飲まねば濁りは取れぬぞ。そなたはもうだいぶ濁ってしまっているのだ」

「いや、わしは濁ってなぞいねえです。それに母ちゃんとわしが作った煎じ薬が毒だったはずもねえです。今まで何人の村の人を救ったか御坊様は御存知でねえから、そんなご無体をおっしゃるんでねえか」


 縄でもって柴よろしく巻かれながらも、負けじとばかりまくしたてるタマの小さな顎を、骨ばった大きな手がつかむ。


「よいか。そなたを懲らしめようというわけではないのだぞ。これは浄化である。濁っているからおのれの濁りに気付かぬのだ。そなたの母が成した呪いによって手遅れになる前に、受け入れよ」


 強い力で顎をつかまれたタマが、苦痛の声をあげた。


「御坊様、タマはほんの子供でごぜえます。無理強いせずともわしが言ってきかせます、どうか」


 見かねた弥一が間に入るように進み出た。


「弥一か。そなたもなぜ薬湯を飲まぬのだ」


 どきり、として弥一は控えめに一歩下がる。


「わ、わしは後でええです。まだまだ並んでいる人もおるでな」


 僧形の男は、手に取った椀を己が口につけると、一気にあおった。ついで、タマの顎から手を離し、空いた手で今度は弥一の首を引き寄せる。


「な、なにを、む、むうっ」


 薬湯を含んだ口を、逃げられなくなった弥一の口に強く押し付けた。


「んんっ」


 口移しの要領で弥一の口中に流し込んでいく。入りきらない薬湯が、二人の顎からぼとぼとと流れ落ちる。

 弥一の眼がぐるりと反転した。


「ひゃっ」


 タマは眼前で起きる暴力に肝を冷やした。

 転げるようにして離れようとするのじゃが、なにしろ腕と胴とを合わせて縛られているので芋虫のようにうねる他ない。

 無我夢中でなんとか立ち上がったところで誰やらゴツゴツした体にぶち当たってしまった。かがり火の揺らめくともしびでは顔を見なければ誰やらわからぬ。

 だが、タマにはその体格、匂い、全てに心当たりがあった。

 そこには父、仁平がしっかと立っておる。

 仁平は我が子を背の後ろにかくまい、静かな声で問いかけた。


「御坊様。もう、井戸は掘らねえんだべか。呪いなどではないとおっしゃった昨日の御坊様はどこへいってしまったんだべか。もうあの澄んだ目に戻ることはないんだべか」


 男は答えず、関心を失ったとでもいうように失神した弥一を投げ捨てる。そしてゆっくり振り返り、大きく見開いた目で仁平を見つめた。


「戻ったか、仁平」


 かがり火の踊る光の中、浮かび上がった僧形の男の姿に仁平は生つばを飲み込んだ。開かれた目の向こうには、もはや人の気配が感じられない。

 ゆらりと近づく男の影にややたじろぐ仁平じゃったが、その目に諦念はなかった。左の手で我が子をかばい、右の手は、己の眼前で拝むように構える。


「往生してくだせえ」


 仁平が言葉を発すると同時に、闇から躍り出たカガミが僧形の男に襲いかかった。

 しっかと握りこまれた短刀、黒かったはずのその刀身は、どういうわけか今は白い輝きを発している。

 背後からの一撃。だが、僧形の男はなおも平然と立ち続けていた。見れば輝く刃は男の体に突き刺さることもなく、皮一枚で見えぬ力によって止められておる。


「久しいな。やはり化生しておったか」


 驚きの表情を浮かべるカガミが後ろへ飛び下がる。

 男は乾いた声で笑った。


「どうした。弱くなったな。いや、いうまい。化生して難儀するのは余も同様であったな」


 カガミは答えない。ただ構える短刀の輝きが、心なしか落ちたようにも見えた。


「ほう、どうやら人の子の使い方を心得ぬと見える。化生したままのその脆弱な身では余を倒すことなどかなうわけもなし。それに、よしんば戦い、ここで朽ちたとして何になる? 化生してみてそなたも思ったであろう。人の子の世は存外面白い。人の子を思うがままに使えばさらに面白い。余の力を見よ。数人の精力を集めただけでもこの力ぞ。この村の全員、さらに近郷の村人を合わせればとんだ戦絵巻も描けよう。どうじゃ、しがらみを忘れて余と楽しもうではないか」


 やはりカガミは答えなかった。


「では、ふたたび転生するか? どうあっても余を倒すというのであれば、その人の身を捨てて元の姿に戻るしかあるまい。となれば今あるそなたの体も、その心も、全ては無に還る。そこで震えているそなたの家族とやらにも二度と通じ合うこともできまい。人の子の頭を使って考えろ、それはあまりにも愚かであろう」


 それでもカガミは答えなかった。答えなかったが、構えた短刀は小刻みに震え、刃の輝きはカガミの心を写すように明滅する。


「いいだろう。余は、そなたが化生したそなたであったことを確かめただけでも満足だからな。そなたがどう考えるかは知らぬが、こう見えて余はそなたと決着をつけるつもりはない。干渉せず黙って立ち去るならば後は追わぬ」


 そういって背を向けた。

 背を向けられたとて、もうカガミに襲撃する気力は残っていないようじゃった。見えない鎌で気力そのものを断ち切られたかの如きおぼつかない歩みで仁平の元に戻り、この場所を立ち去る旨告げる。

 仁平は今までこれほどまでに沈んだ目をした嫁を見たことがなかった。

 打ちひしがれた三人の姿は闇の中へ去っていった。


 かがり火に照らされた庭では、僧形の男の声が響き渡る。


「さあ、もっともっと人を集めよ。近隣の村にも使いを出せ。あたり一帯に触れてまわれ。老若男女問わず

この村へ集まれと。訪れた者には分け隔てなく浄土を約束する清浄の薬湯を振舞うとな」


 男が刃物で襲われたというのに、声を上げる者もいない。ただ虚ろな目をして薬湯を飲み、男の言葉に従うのみじゃった。

 男の足元で弥一が蠢いていた。やがてゆらりと立ち上がるその目には、やはり意志というものが感じられなかった。だが、意志の替わりに得たものがあった。弥一の額から突き出た白くて大きな角は、それまで弥一が持っていなかった物じゃった。


「ほう、角が出たか。口移しのほうが早いな。どれ、もう少しそなたの仲間を増やしてやろう。皆で愉快な狩りに行こうではないか」

 


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