咲桜の記憶
新高校1年。
やっとのことで受かった地元の高校。
しかし、早くも入学式に遅刻。
何てベタなんだ。というか、怒られること確定じゃねぇか。
でもしょうがない。だって昨日は夜遅くまでネーチャンに付き合わされていたのだから。怒るならネーチャンに言ってくれ、先生。
正門を入り、左に見える立派な桜の木。その桜の木の下にうつむいて座っている女の子を見つけた。
木とその子が凄く合っている気がした。なぜ、そう感じたのかはわからない。
風が吹くたびに散っている花びらがはかなげな少女と重なったのかもしれないし、太い幹が印象的だったから芯の強い彼女と重なったのかもしれない。もしかしたら、彼女と言葉を交わしたかっただけだったのかもしれない。
普段なら放っておくのにどうかしていたと思う。
今考えても、理解不能だ。
「あの」
その子はびくっと肩を揺らして顔を上げた。
驚いた。
泣いていたことに。いいや、それ以上に中学の同級生だったことに。
しかも優秀な生徒会長。名前は、咲良。
「もう、入学式始まってると思うけど?」
ああ、どうしてこんなに無愛想な言い方しか出来ないんだろう。
彼女は目線を落とした。
「あ、ごめんなさい。先に行っててください」
笑った顔が今にも崩れていきそうで。
分かんないけど、放っておいちゃいけない気がした。
とりあえず、咲桜の隣に腰を下ろす。すると、また肩がびくっと揺れた。怖がられているのかな~と思って、少し距離をとろうとしたら袖をつかまれた。今度は俺の肩がびくっと震えそうになった。
「あの・・・」
先の言葉がない。いや、出てこないのかもしれない。口を挟まずに待っていることにした。
どうせもう、遅刻は決定だし。
「・・・間違ってたらごめんなさい。春太くんですか?」
「え・・・うん」
まさか、名前を知っているとは思わなかった。俺は別に、特別有名なわけじゃなかったし、あのあと話した覚えもない。
「私の話、聞いてくれますか」
「あぁ」
聞くと、彼女のおじいちゃんが今朝亡くなったそうだ。どうしても涙が止まらず、学校には来たけれど入学式に参加出来ないからここにいたらしい。おじいちゃん子な彼女ならそれも分かる。
俺はそれを、1年前に体験していた。俺は、ばあちゃんが死んだんだけど。
自分がこんなにも無力だ、ということを思い知らされた。今思い出しても嫌になる。だから、そんな事はもう2度とあってほしくない。悲しいなんて言葉じゃ言い表せない。
もう2度と会うことができない。もう2度とけんかすることもできない。怒られることも、話すことも、笑うことも。
喪失感。
そんな感じだ。
俺と咲桜の違い。それは、時期だろう。俺のじいちゃんが死んだのは、中3の夏。周りには一緒に笑ったり泣いたりしてくれる仲間がいた。励ましてくれるやつだっていた。
咲桜は新学期。新しい高校。まだ、学校になじめていない。友達もほとんどいない。そんなときに、亡くなった。どんな気持ちだろう。俺にはきっと分からない。
「ごめんなさい、こんなこと。変なこと言って、本当にごめんなさい」
俺がずっと黙っているのを、つまらなかったと思ったのか急に謝った咲桜に急いで訂正をする。
「えっと違くて・・・。そのこんな事、誰にも言えると思うかもしれないけど・・・おじいちゃんはきっと咲桜に泣いてほしくないと思う」
なぜか、咲桜が驚いたような顔をしたが続けた。
「まだ友達もいなくて、これからって時で話せるやつがいないってきっとつらいよな」
「・・・」
「おじいちゃんは咲桜に前向いてほしいと思う」
「・・・」
「えっとだから・・・俺は咲桜に笑ってほしい」
咲桜が何も言わないから不安になってきた。
「私の名前、知ってたんだね」
下を向きながら咲桜が言った。だから、さっき驚いてたのか。呼び捨てされたら嫌だったかな。
「私ね中学の頃、春太君がうらやましかったんだ」
これには本気で驚いた。特に何もしてない俺がうらやましいなんて言う奴、今まで1人もいなかった。いるとも思わなかった。
「休み時間には、いつも友達と楽しそうにしてた。部活の時だって、周りにはいつもみんながいて、すごく信頼されてるんだなって思った。ずっと見てたんだよ」
アウト。
自分の顔が赤くなってくのが見なくても分かる。そんなことに気づかず咲桜が続けた。
「私のことなんで知ってたの?」
「え?なんでっていうか・・・生徒会長やってたから。同じ学年の人はたぶん全員、咲桜のこと知ってるだろうし」
俺の行っていた中学は小学校の時からほとんど同じメンバーだ。外から来た人なんて5、6人しかいなかったし、普通に生活をしてればいろんなことが耳に入ってくる。
「そっか、そうだよね」
嘘。
咲桜は俺の中で特別だった。いや、特別になったといったほうが正しいかもしれない。
2年の時、副生徒会長がいた俺のクラスに咲桜はよく来ていた。
咲桜はかわいかった。俺の周りでもよく話題に上がっていたくらい。そのときまでは、あぁそうなんだなって思ってた。いわゆるその他大勢って奴だ。
それが変わったのは、3年の夏。ちょうど、ばあちゃんが死んだ頃。ばあちゃんが死んだことは、みんなには隠していた。
自分のプライドが許さなかっただけだと思う。
弱音を吐いている自分の声を聴きたくなかっただけなんだと思う。
ばあちゃんが死んだことを、認めたくなかっただけなんだと思う。
桜良と初めて話したのはそんな時だった。
その日はなんか分からないけど1人でいたくなった。だから、昼休みはみんなに気づかれないように教室を出て、校舎裏に入った。立ち入り禁止の場所。咲桜と初めて話した場所。
弁当はいつもと変わらない味で。なのに、無性に寂しくて。きっと誰もいないから。
そう思ってられたのは、最初の2,3分だけ。気づいたときには声を殺して泣いてた。きっと誰かに見られたら「みっともない」って言って笑われるんだろうなと思った。
弁当を食べ終わり、片付け終わった瞬間に人が歩いてくるのに気づいた。気づいたときには0.7の視力で相手の顔が、咲桜の顔がはっきりみえるくらいに近づいていた。
逃げた。
なんでかは分からない。きっと怒られたくなかったからだと思う。ばあちゃんが生きてる頃、よく怒られてた。ばあちゃんじゃないのに、咲桜の纏う雰囲気がばあちゃんを思い出させた。
走って靴箱まで来たとき振り向いても咲桜はいなかった。まあ、バスケ部で鍛えてる足に女子が追いつくわけはなかった。
・・・追いつくわけはなかったのに、前を向いた瞬間に背中をつかまれた。背中で荒い息を聞いたときずっと走って追いかけてきたのか、と思った。
いや、走っても追いつくのは困難なはずだ。50メートルを6秒台で走りきれる春太に、200メートルほどの距離を走って数秒で追いつくなど無理だ。
その時初めて、自分が息を切らしていないことに気づいた。
背中には咲桜がまだ息を整えられていない状態でいる。いくら話したくないとは言っても、この格好はまずい。様々な誤解を招くだろう。
「ねえ。話は聞くから離して」
「あっ。ごめん」
咲桜はすぐに手をひっこめた。背中にはもうさっきまであったぬくもりはない。
俺は仕方なく後ろを向いた。
「来て」
咲桜はそう言ってくるっと半回転した。仕方なくついて行く。さっき自分が走った時に見た風景をたどる。咲桜はなんでもないと言うように立ち入り禁止の場所に入っていった。
何でこんなに戸惑っているんだろう。
そして適当なところに咲桜は腰を下ろした。俺は立ったままだった。
「なんで」ここにいたの?
責められるようにそう聞かれると思っていた。
「泣いてたの?」
「・・・」
絶句。取り繕うような言葉は何一つ出てこない。
「そんなにみんなといたくないの?」
「ちがっ・・・違う。みんなは関係ない」
「じゃあ、なんで?」
なんで?頭の中で言葉が繰り返される。
「知らない。っていうかあんたに関係ないだろ」
俺だって分からないのに、何でアンタなんかに。
咲桜は決して責めるように言っているわけではなかった。けどなんかいらついた。
ばあちゃんのようだったから、だろうか。
「じゃあ、なんで本気で走らなかったの?」
「・・・」
これにも絶句。
咲桜にはなんでもお見通しのような気がした。だから、腰を下ろした。
「泣いてたのも、本気で走らなかったのも体が勝手にそうしてたから」
「じゃあ、なんで座ってくれたの?」
「お前にはかなわないと思ったから」
「ん?そうかなぁ」
自覚がないらしい。
「ねえ。なんか話してよ」
「私?」
「ほかに誰がいるの?」
さっきと変わらず人は2人以外にいない。
「えーっとー。じゃあ、おじいちゃんの話!」
そう言って話してくれた。ああ、きっとこの子はおじいちゃんのこと好きなんだなあって思った。
俺はばあちゃんのこと、こうやって話せるだろうか。ばあちゃんのいない今でも。
それから俺の中で、咲桜への気持ちは変わった。でもそれ以降、俺たちが話すことはなかった。いくらでも話そうとすれば話すことができた。それをしなかったのは、咲桜の反応が怖かったからだろう。
咲桜はきっと俺のことを、あの日のことを覚えていない。
なぜなら咲桜には記憶がないのだから。
中3の夏休みのあと、なぜか咲桜が先生に校舎を案内されていた。不思議に思い女子に聞くと、交通事故で頭を打ち記憶喪失になったんだと聞いた。
だからもういい。わざわざ俺が泣いたという恥ずかしい話をしなくても。咲桜がまた笑ってくれたら。
「ねえ。なんか話してよ」
「えっ?・・・うーんと、私のおじいちゃんの話とかどうですか?」
咲桜は嬉しそうにそう言った。
「そこの新入生!入学式にもでずになにやってる!」
高校の先生らしい人が近づいてくる。やべぇ。
「ちょっと待ってて」
すると、咲桜は先生の方へと歩いて行き、顔をこわばらせて言った。
「ごめんなさい!あの、春太君は悪くなくて、私が彼を引き止めてしまったんです。ごめんなさい!」
先生は気後れしたらしく、
「もういい。名前は?」
と言った。
「佐山咲桜です」
「君が佐山か」
「はい」
「はー。もういい。早く入学式に出なさい」
「はい」
この一連のやりとりを、俺は笑うのを必死にこらえながら見ていた。
そして先生とのやりとりを終え、俺の方に向いた咲桜は胸の前で控えめにVサインをして笑っていた。
記憶はなくても、性格は変わらないんだな。
あの頃の光景が鮮やかによみがえる。
「君達!立ち入り禁止の場所ですよ。何をやってるんですか」
びっくりして声のする方を俺たちはほぼ同時に見た。
「ヤベッ!」
「待って!逃げると怒られちゃう。だから、ちょっとここで待ってて」
そう言って咲桜は立ち上がり、先生の方へと小走りに向かっていった。顔をこわばらせて。
「ごめんなさい!私が春太君を連れてきてしまったんです。生徒会長としてもっとしっかりします!ごめんなさい」
先生は片方の眉を上げて
「生徒会長?君が佐山さんですか」
「はい」
先生が深いため息をついた。
「もうこんなことはないようにしてください」
「はい」
こっぴどく怒られると思っていた俺は拍子抜けした。
そんな俺に咲桜は振り向きVサインをつきだして、満面の笑みで笑った。
まるで、桜が咲き誇っているかのように。