新王国暦527年(後篇)
「……何故です!?」
その問いかけは、伯爵座の間に一際高く響き渡った。
ここは“ブライトウィンド伯爵領”の中央にある、ブライトウィンド伯爵の座である。その大音声は、伯爵座の近くにいた者たちを一斉にその声の方へと首を巡らせ、或いは身を躍らせる結果を招いた。
この問いかけを発した者……それは、伯爵家の嫡男――ポール=ポーラ=ブライトウィンドであり、その問いかけを受けた者……それこそ、本領を預かる伯爵――ポーラ=フィーラ=ブライトウィンドであった。
ポールの発した言葉によって飛び込んだ数人のフェアリーの間に、その場は緊迫した空気が流れていた。固唾を呑むフェアリーたちに対して、その叫びを聞いていないかの如く、彼の母は冷然と沈黙を守っていた。
母親の沈黙に業を煮やしたポールは、再度問いかけの言葉を発した。
「……何故、あの子を見捨てろと言うのですか!」
「何を言っているのです。当然のことでしょう……穢れた血の混じった者をここに置いておく謂れはありません。」
「母上!! あの子は貴女の孫――」
「くどい!!」
「…………」
母子の言い争いは、母側の鋭い言葉で一旦は終結となった。母であり伯爵位を持つポーラの言葉を、子であり男爵位でしかないポールが退けることは難しかった。苦渋に満ちた表情を隠すことなく、ポールは伯爵座を後にした。
伯爵座から席を外したブライトウィンド男爵――ポールは、一つの小さな家に足を運んだ。そこは一人の幼子――“少女”が揺り篭に寝かされていた。
揺り篭を囲むように、幾人かのフェアリーたち――ポールの配下たる妖精騎士たちが立っている。
幼子の寝顔を見下ろしていた彼らの一人が、入ってきた上官に気付いた。
「ポール卿……」
その声で、室内にいた一同が一斉に扉の方を振り向いた。
集まる視線を受け、ポールは悄然とした色を覗かせた顔で一同を見詰め返す。
この家はポールが利用している家屋の一つ……瀕死の態であったポリーの娘である“少女”をこの家に運び、配下の者数人とともに徐々に回復していく幼子を見守っていた。
そんな折に彼は母――ブライトウィンド伯爵に呼び出されたのだ。
この地の領主であり、この領に住むフェアリーの長でもあるブライトウィンド伯に何を言い渡されたのかと、気にしていた妖精騎士たちは、上官の表情でその内容を概ね推し量っていた。
それを察しつつも、ポールは苦しい言葉を紡ぎ始めた。
「母上から命が下った……この娘を“ブライトウィンド領”より放逐せよ、と言うものだ……」
その言葉の意味するものは、この地に住む者には明白なことに思えた。
他領の領主――侯爵・伯爵――がグレムリンの血を受け継ぐ幼子が暮らすことを許すとは到底思えない。それは即ち、実質的な「“妖精公国”からの追放」を意味していた。
その言葉に、部屋に残っていた者たちから微妙な溜息が漏れた。
彼等は、ポールの人柄を慕い、ポリーの行動にも寛容な姿勢を示している。そして何より、いまだ幼いポリーの娘に愛らしさを感じていることも間違いない。
だが、蝙蝠の如き皮膜の翼、それにフェアリー族にはまず見られない浅暗い肌……それらは彼等にとって長年の仇敵であるグレムリンの血を、“少女”の中に感じさせずにはいられなかった。
それは愛情と憎悪……相反する二つの感情を“少女”に抱かざるを得なかった彼らにとって、「“少女”の放逐」の言葉は反感と安堵を同時に抱かせてしまったようであった。
そんな配下の騎士たちの姿を目にして、ポールの表情は更に曇ることとなった。
流石に幼子――更に、実の孫でもある者――を即座に放逐するのは忍びないと思ったのか、数巡り程度の猶予を与えられはしたが。
放逐の猶予とされる日々は徐々に、だが残酷に過ぎていく。
母の宣告は、暗にその子を平民種のフェアリーか、グレムリン族の手に委ねろと言っているかのように、ポールは感じていた。
ポールにとって、グレムリン族に“少女”を委ねることは出来なかった。それは“少女”の両親に見舞われた惨劇を目にした彼ならば、当然のことと言えた。
一方で、比較的グレムリン族との確執の薄い平民種に育てさせることは悪くないことに思える。
だが、人間社会と深く関わっている平民種とともに暮らすと言うことは、“少女”の将来に暗い翳を思わずにはおれない。何故なら、グレムリンの血を引く“少女”は、“空の悪魔”を恐れる人間によって迫害されることは充分に予想された。
迫害される将来しかないのなら、せめて肉親の情を感じさせようと思っていたポールの行動は、裏目に出てしまったと言えた。
苦悩する彼の元に、友人たる平民種の青年が訪ねて来たのは、数日もしないうちのことであった。
彼の元を訪れた平民種の青年――クリックは、一つの報せを携えてやってきた。
「……隠者……だと?」
「えぇ……人間の東部諸国に出没する隠者――確か、名をファルトと言う人物です。彼の噂を聞いたので、お知らせしようと思って……」
青年――クリックは、ポールとの『声伝え』の交換によって“少女”――ポリーの娘の境遇を知っていた。そこで、彼なりに“少女”の身の振り方に心を砕いていたのだ。
「このファルト老と言う人物ですが、噂では高名な魔法機械の技術者らしいのですが……それだけではなく、身寄りのない子を引き取って育てているらしいのです。」
「身寄りのない子を育てている……だが、この子はフェアリーとグレムリンの混血児だ。人間が引き取るとは……」
「彼はただの身寄りのない子を引き取っている訳ではないんです。彼が引き取っているのは、迫害を受けた子供で、人間・亜人の区別なく引き取っていると言うんです。どうでしょう? 彼にこの子を預けてみると言うのは……」
「…………」
暫しの黙考の後、ポールはクリックにその隠者――ファルト老についての風聞を詳しく聞き出すことにした。
それから数日後……ポールは、クリックの案内で人間の領域――東部諸王国にいた。
そして、クリックが最近知り合ったと言う年若い女性――セラーとともに、人里離れたある場所を訪れていた。
その場所に一軒の屋敷が建っていた。この屋敷の主こそ、彼等がその噂を聞いた隠者ファルト老である。
その女性――セラーとは、実は隠者ファルトとともに暮らす者の一人であり、彼女にとって義兄である人物とともに魔法機械商を行っていると話していた。
そんな彼女は、自身の家でもあるこの屋敷へと招き入れた。
屋敷に足を踏み入れた二人は、応接間らしい部屋に通された。
しばらくしてポールたちが待つ部屋に、一人の老人が入ってきた。
その人物は、長く白い髭を蓄えながら、その背はピンと伸びている。人間を見慣れていないポールには、彼の姿は年齢不詳に見えた。
「儂がファルト=ミゲラスじゃ。よくぞ参られたお客人方……セラーから、概ね話は窺いました。詳しいお話をお聞きしたいのじゃが?」
隠者の言葉に、ポールは腕に抱く“少女”に目を落とした。
“少女”の誕生から、その両親の死……そして、祖母であるブライトウィンド伯による「放逐」の命……そんな一連の出来事を伝えたポールは、長い息を一つ吐き、情が秘められた言葉を搾り出した。
「……この子は……この子は、本来なら、ブライトウィンド家の嫡流になる筈の子です。私は……この子がブライトウィンド伯爵位を継ぐことは無理でも、ブライトウィンドの名で爵位を授かる日が来ることを願っています。その為の努力を出来る限りして行きたい……だが……今の私では、この子を守ってやることは出来ない。だからこそ、この子を貴方にお預けしたいのです……」
その言葉を、ファルト老は黙して聞いていた。
その時、部屋の扉が開き少女――セラーが入室して来た。彼女はファルト老に歩み寄り、老に何事か囁く。その囁きに耳を傾けていた老は頷きを返し、ポール達に向き直る。
「その子をお預かりするのは、構いませぬが……どうやら、新しい来客が訪れたようじゃ……申し訳ないが、暫し隣室でお待ち頂けぬかな?」
ファルト老の申し出に訝しみながらも、ポール達はセラーの案内で隣室に通された。
先程まで彼等がいた部屋に何者かが入って来る音が聞こえた。そして、先程の彼等と同じく、老に何事かを訴える声が漏れ聞こえて来た。
その声に、ポールは何処かで聞いた響きを感じた。
「この声……まさか……?」
その感覚を確かめようと、ポールは我知らずに隣室の会話に耳を澄ませた。
耳を済ませるに従い、先の感覚が誤りでない確信を得た。
それは隣室の客の正体が……グレムリン族だと言うことであった。
腕に抱く“少女”へ害が及ばないかと、耳を更にそばだてる。そうして聞こえてきたのは、嘆願の言葉の連なりだった。
「あの子は、我が兄――ゲシュラードの唯一の娘……フェアリーの血が混じっているとは言え、我等ダーキッシュブラスト氏族の者だ。“いと高き者”でもあった兄の娘だ。ダークストームの奴等が狙っている今、俺の持っている力では、まだあの子を守ってやれない。だが、いずれ我が力を高め、ダークストーム等の手を撥ね退けられるようになれば、我等ダーキッシュブラスト氏族の一員として迎えてやりたいのだ。その為、これよりフェアリーの王国に攻め入る。いかなる犠牲を払っても、あの子を取り戻す…………取り戻した暁には、貴方にあの子を預かって欲しいのだ。」
その嘆願の言葉を聞いたファルト老は、微苦笑の音を漏らした。そして、こちらに近付く老の呟きが漏れ聞こえてきた。
「……その必要はないじゃろう……」
それから間もなくして、ポールいる部屋の扉が開かれた。
開かれた扉の向こう側――先程までいた応接室には彼の予想通りに、扉の傍にファルト老が立ち、部屋の中央に置かれた長椅子に一人のグレムリンが座していた。
そのグレムリンは、ポール等の存在を予想していなかったらしく、驚きに満ちた瞳で彼等を見詰めていた。
その妖魔の視線は、特にポールの腕に抱かれた“少女”へと注がれる。
「「……こ、これは……!?」」
期せずして、グレムリンとフェアリーの貴族種――ゲリューズとポールは同じ言葉を漏らした。
そして間もなく、相手が何故ここにいるのかという理由にも気付くこととなる。