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新王国暦527年(前篇)

 「妖精公国」において一大醜聞であった“ブライトウィンド女爵の出奔”――誰もが「駆け落ち」と言う単語を憚って口にしなかった――の噂が、一様に収束し始めた初夏のある日のこと……ブライトウィンド伯爵領の中央部に彼はいた。

 彼の名はポール=ポーラ=ブライトウィンド。この領を預かるブライトウィンド伯爵の息子である。

 彼の目前には、一つの座が存在していた。その座に腰を下ろしているのは、彼女の母――ブライトウィンド伯爵ポーラである。

 艶やかな流れる銀の髪、輝ける青く美しき翅……齢六百を超えながらも、いまだ衰えぬ麗しき容色を持つ彼女は、目前に畏まるたった一人となった我が子を冷ややか見下ろしていた。

 拝跪する息子を前に、素っ気無い口調で彼女は告げる。

「公王陛下と侯爵家の方々の許しを得ました。この度の“炎の満月祭”において、其方に男爵位を授けることが決まりました。」

「男爵位を?」

 母の紡ぎ出した言葉が理解出来ないと言わぬばかりの表情で、ポールは母――ポーラの顔を見詰め返していた。

 息子の様子に心外だと言わぬばかりに、顔を歪めた彼女は言葉を続けた。「……分かっているでしょう。私の跡を継ぐべき子はもう其方一人……其方がブライトウィンド伯――」

「母上! 伯爵位を継ぐのは我が妹の……」

「!! あの穢らわしい者の名など、口にするでないっ!!」

 忌まわしいか何かを聞いたかの如き侮蔑の表情を浮かべ、彼女――ポーラは息子の言葉を制した。

 そして、改めて息子を睨み付け、彼女は冷然と再度言葉を叩き付けた。

「……分かりましたね。其方は男爵位を得て、いずれこの伯爵領を預かる身となって貰いますからね。」

「……………」

 そう宣言して、ブライトウィンド伯爵は座を立ち、果樹の並ぶ地へと歩み去って行った。その間、ポールは一言の反論も発することも出来ずに、ただ俯き拝跪し続けることしか出来なかった。



 伯爵の座から退席したポールは、悄然として森の外縁へと足を運んでいた。

 この度男爵位を得て、何れは次期伯爵家当主となる等と言われても、今の彼は一介の騎士位の男性だ。彼の役目は、「公国」の政事や祭宴の差配を行うことではない……「伯爵領」の警護を行うことがそれなのだ。

 だが、それだけの理由で、彼はこの場所に足を踏み入れた訳ではなかった。

 ここは、彼の妹――ポリーが“あいつ”との逢瀬を繰り返していた場所であったことも、その理由の一つであった。



 彼女がよく座っていた枝に腰を下ろし、彼は幾条もの白雲が流れる青空を見上げていた。そして、彼は思索に耽る。

 自分の住む“ブライトウィンド領”は、「妖精公国」にある諸領に比して、他種族に対して開かれた領だ。

 他の――気位の高い――侯爵領等の中には、宴の時季でさえ平民種のフェアリーの立ち入りすら拒むところもある。そんな貴族の中にあって、先代の伯爵……彼の祖母であるフィーラは、他家の貴族――当時の公王陛下すら含む――の顰蹙を受けながらも、当時交流を断絶していた古代アティス王国の心ある人間との交流を続けた人物であり、その気風が、フェアリー族以外の亜人を多く宴に招くと言う慣習を生む土壌となっていたのだ。

 そんな気風を生んだ祖母を彼――ポールは好きだったし、そんな気風がある“ブライトウィンド領”が好きだった。だからこそ、妹の仕出かしたことに対する母の仕打ちに、彼は居た堪れなくなっていた。



 空を振り仰ぎ、暗い思索に沈み込んでいたポールは、周囲に見えざる銀色の小球が漂い出していることに気が付いた。

 漂う小球――風霊の欠片――は、次々と彼の周囲に集まり、幾つもの小風霊が彼の周囲を巡り漂う。

 彼は集まって来る風の下位精霊の動きから、一つのことを察した。これは何者かが唱えた精霊魔法の結果であるということに。

 そして、その何者かの正体も……

 彼の推察は、次の瞬間に響いた音によって確証に変わった。数体の小風霊の響かせた音とは、彼の知人の言葉であった。


『ポール卿……ポール卿……聞こえていますか? ……クリックです。ご依頼の件……ポリー様とグレムリンのことですが……まだ、手懸りは掴めていません。』


 流れるその言葉に、ポールの顔色は曇っていく。だが、その言葉はそれで終わりはしなかった。


『……ただ……気になることが……二人のことを追っているグレムリンの氏族がいると言う話を聞きました。彼等の正確な目的が何かは分かりませんが……彼等の気性からして……恐らく……』


 それで風霊が届けた『声』は途切れた。知人――クリックの『声伝え』は、翳った彼の表情を、更に翳らせる結果となった。

 だが、落ち込んでもいられない……気を取り直したポールは、精霊に向けて呼びかけを行う。

 それは、クリックへ向けての『声伝え』を送る為の呪文詠唱であった。詠唱に呼応して集まった小風霊等に、ポールは伝えるべき言葉を紡ぐ。

「……クリック……クリック……。残念だが……こちらは、相変わらず人を差し向けられる状況に出来ずにいる……知らせは聞いた……何としても、奴等より早くポリーを見付けてくれ……頼む……」

 苦渋の滲む彼の言葉を受け取った幾つもの小風霊は、虚空へと散っていった。

 飛び去って行った“風の欠片”たちを見上げ、彼は妹の無事を祈った。



 一方、彼と時を同じくして、心の内で無事の祈りを唱えていた者がいた。

 もっとも、その人物が祈ったのはポールの妹の無事ではなく……彼女とともにいる筈の人物に対してだったのだが。

 その者の名を、ゲリューズ=ダーキッシュブラストという。

 ゲリューズは、自らの配下であるダーキッシュブラスト氏族のグレムリンに命じて、兄ゲシュラードの捜索を続けていた。



 彼は、兄の行動を裏切りと騒ぐ者達を宥め、兄の行動には深慮があっての事とだとの説得を続けていた。

 その甲斐もあって、ゲシュラードのことを知るダーキッシュブラスト氏族の者等は、ゲシュラードの行動に一応の理解を示した。

 だが、そんな彼の説得を承知するグレムリンは少数に過ぎなかった。多くのグレムリンの諸氏族は、ゲシュラードの行動に不信感を拭えず、一部の過激な氏族――例えばダークストーム氏族は処刑すべしと、その行方を捜索し始めた。

 そんな中にあって、彼――ゲリューズは一刻も早く兄の所在を突き止め、保護をする必要性を感じ、配下にその捜索を命じた。

 兄が直接釈明を行えば、グレムリンの諸氏族も納得すると、彼は信じていた。

 しかし、ダークストームの者が先に兄を見付ければ、釈明の余地なくその命を奪われるに間違いはない。そう思い、彼は焦り……足掻くようにして兄の捜索に全力を上げていた。



 それから程なくして、二つの報せがポールとゲリューズの元にもたらされた。

 その報とは、ポリー=ポーラ=ブライトウィンドとゲシュラード=ダーキッシュブラストの所在が判明したというものと……既にグレムリン族ダークストーム氏族が逸早くその所在を突き止めたというものであった。

 ポールは気心の知れた妖精騎士数人とともに急ぎ森から出立し、ゲリューズも手近にいた配下を連れて虚空を翔けた。



 その日は、とても爽やかな風が吹き、柔らかで暖かな日差しが降り注ぐ良き日であった。

 生まれて間もない“少女”は、母の腕に抱かれて、そんな風や日差しを心地良く浴びていた。

 “少女”の両親は、とある小さな森の中で隠れ住んでいた。密やかであったが、互いを思い会う幸せな日々を送っていた。一年余り続いたその日々の中で、二人は自分たちの娘を授かり、ある意味で幸せの絶頂であったと言えたのかも知れない。

 だが、彼らはこの幸せが仮初のものであることを、心の奥で充分承知していた。そして、自分たちの行った行為の短絡さも……それでも、この幸せの終焉の日がこの日であったと事前に知ることは叶わなかった。



 “少女”を腕に抱いてあやす母――ポリーの姿を、少し離れた場所で微笑んで見詰めていた“少女”の父――ゲリューズは、耳に飛び込んで来た微かな音を察して空を仰ぎ見た。

 そして彼は……彼の鋭敏なる瞳は、ある意味で見慣れた情景を映し出した。

 見慣れていた筈のその情景を、彼は苦い表情で睨み付け、即座に近くにいる妻へと警告の声を発した。

「ポリー、隠れろ!!」

 その言葉に、反応した彼女は即座に『姿隠し』の呪文を唱えながら、物陰へと駆け去った。

 彼女の姿を横目に確認しながら、ゲリューズは傍らに置いていた得物に手を伸ばして、上空へと構えを取った。

 上空の存在――天翔けるグレムリンの群れに向かって……

 彼は覚悟を決めていた。上空の同族が『姿隠し』を唱えるポリーの姿を気付かなかった筈はなく……また、これだけの数のグレムリンから自分たち三人が逃げ切れることも困難であるといえた。

 だからこそ、彼は逃げる二人を死守する覚悟を決めていた。

 迫る群れの正体を窺う。そして、彼はその正体を知り、呟きを漏らした。

「相手は、ダークストーム氏族……ゼゲルの率いる群か……」

 呟く彼の脳裏に、あの群れを率いる男の顔が浮かぶ。

 同じ“いと高き者”であることを誇る男の姿を……その姿は、彼の目には不遜とも傲慢とも映り、嫌っていた男であった。

「まさか、こんな風に奴と戦うことになろうとはな……」

 運命の皮肉に苦笑を漏らしながら、彼は木々の合間へと飛び立った。



 激しい戦いは続いていた。

 敢えて森の中に潜み戦いを挑まんとしていたゲシュラードの目前で、上空のグレムリンの隊列が不意の突風によって掻き乱された。それは、物陰から唱えられたポリーの精霊魔法のお陰であったのだろう。

 隊列が崩れたまま、森に飛び込んで行ったグレムリンは、木陰を利用するゲシュラードによって分断され、撃破されていく。

 とは言え、その戦いは多勢に無勢であるに変わらない。一人を倒すたびに、彼の身体には手傷を負っていく。

 追っ手の半数を撃破した頃には、彼――ゲシュラードの身も明らかな消耗が見え始めていた。だが、それを率いるゼゲル等“いと高き者”がいる集団をいまだ撃破出来ずにいた。



 一方で、『姿隠し』を続けながら稚き愛娘を腕に抱き、木陰から木陰へと逃げ続ける彼女――ポリーもまた戦いを続けていた。

 『姿隠し』の詠唱を始めた時に見た夫の横顔から彼の決意を察し、一助となればと『風の嵐』を唱えてグレムリンの群れを撹乱させた。だが、風の妖魔に対して、それは有効な打撃とは言えず……そして、その存在を徒に誇示する結果となってしまっていた。

 散り散りになったグレムリンの幾つかが、姿を隠した彼女の存在を察して、見えざる彼女の追跡を始めた。だが、彼女とて貴族種に生まれ、妖精騎士として戦いの術を身に付けた身である。何とか追ってのグレムリン達を自分の精霊魔法――風の刃や草木の鞭、あるいは逆巻く水流――で撃退していく。

 だが、連続しての魔法の使用は、彼女に尋常でない消耗を強いる結果となった。

 腰に佩く細剣を用いれば、幾らかはましであったろうが……愛娘を抱く身で白兵戦を行うという選択は、彼女には出来なかった。



 そして……その瞬間は、刻々と近付いてきた。



 色濃い疲労がその身を苛む“少女”の母――ポリーは、『姿隠し』を続けられる最大の速度で森の中を駆けていた。

 そんな彼女は、傍らで一陣の風を感じた。それと時を同じくして鋭い痛みと衝撃が彼女の翅に走る。その身に走った衝撃の所為で、彼女は一瞬平衡を失った。

 それは疾走する彼女を転倒させ、『姿隠し』の集中を途切れさせるに充分なものであった。

 小さく悲鳴を上げ、辛うじて愛娘を庇った彼女は、衝撃と痛みの正体を知ることになる。転倒した彼女の目の前に、一本の矢が突き刺さっていた。

 咄嗟に彼女は背後を振り返った。その彼女が目にしたのは、空中に浮かぶ数人のグレムリンの姿があった。その者達の中に、弓を構えた者が見える。おそらくは、あの者が放った矢が自身の翅を射抜いたのだと彼女は察する。

 そんな思考が彼女の脳裏で巡っている間に、更に数回の衝撃が翅に……脚に走る。小さな苦悶を漏らしながらも、その腕で必死に娘を庇い続けた。

 数本の矢で地に縫い止められた彼女の前に、長槍を手にしたグレムリンが降り立った。その長槍はゆっくりと振り上げられる……その狙いは、彼女の胸元……その鋭い突きが、彼女を襲った。



 その鋭い突きが、まさに地に縫い止められた彼女を貫かんとする時、その長槍は一振りの矛によって薙ぎ払われた。

 その矛の持ち主を目にし、彼女と長槍を手にしたグレムリンが驚きに声を漏らした。その言葉の中に秘められた感情の色合いは、真逆と言っても過言ではなかったのだが……

「「……ゲシュラード!」」

 そう。その矛の持ち主は、彼女――ポリーの夫たるゲシュラード=ダーキッシュブラストであった。

 その傍らには、矛で切り捨てられたであろう数体のグレムリンの亡骸が転がっていた。

「ゼゲル……ポリーとこの娘を殺させる訳にはいかぬ。」

「ゲシュラード……貴様はいけ好かぬ奴だと思っていたのだァ……ここで貴様を屠って、決着を付けてやるゥ。」

「……それは、こちらの台詞だ……!」

 そして、両者の一騎打ちが始まった。



 その一騎打ちは凄絶を極めた。

 両者ともグレムリンの上位種であり、戦士として技量はともに高く……また、その得物も各々の氏族がかつて白銀山脈のドワーフ王国より奪取した業物である。

 まさにその実力は伯仲であり、その衝突は一進一退を繰り返していた。だが、その均衡は……最初はゆっくりと、次第に加速しながら、一方の側――ゼゲル=ダークストームへと利が移っていく。

 先程まで、数十のグレムリンと戦い続けたゲシュラードは、深い負傷と疲労を蓄積し、その得物は血油でその切れ味を鈍らせている。対して、ゼゲルは、今までその力を温存していたのだ。それは非情ではあるが、当然の結果というべきことであった。

 そして、疲労の極に達したゲシュラードの胸板を、遂にゼゲルの長槍が貫くこととなった。

「……ゲシュラード!!」

 倒れ付すゲシュラードの姿を目にして、ポリーの悲鳴が森に響き渡った。

 その悲鳴を何処か愉悦とともに耳にした、長槍を手にしたグレムリン――ゼゲルは、彼女の元へとゆっくりと歩み寄っていく。

「ゲシュラードは死んだ……お前等も奴の後を追うが良いィ……」

 そう言って“空の悪魔”は手の長槍を再度振り上げた。それを目にして、ポリーは反射的に腕の愛娘を強く抱き、その身を強く強張らせる。その彼女の身体を長槍が貫いたのは、間もなくのことであった。


 裏切り者を粛清し、動かぬフェアリーの娘を滅多刺しにしたゼゲルは、二人の亡骸を眼下に納め、ニタリと愉悦の笑みを漏らした。

 彼にとって、二人に死を与えられたことに比べれば、自身の配下の殆どが屠られたことなど、ほんの些細なことに過ぎなかった。

 そして、愉悦の笑みは次第に大きくなり、哄笑へと変わっていく。

 だが、その哄笑に割って入る声が響いた。それは動かぬフェアリーの胸元から響く泣き声……彼女が抱えていた赤ん坊が出す泣き声であった。

「……まだ、死んではいなかったのかァ……」

 不快感を隠しきれぬ声音で呟いたゼゲルは、再度長槍を構えた。

 その時、一際高く赤子の声が響いた。次の瞬間……ゼゲルの頬は裂けた。

「…………なんだァ……?」

 一瞬の自失の後、開いた左手で彼は頬を擦る。その手に付いた赤いものに目を落とし、改めて赤子へと目を移す。

 凝視する彼の視界の中に、赤子を庇う様にして唸りを上げる半透明の銀狼や鳥たちの姿が見えた。それは、風の精霊獣……風の力が具現化した存在であった。

 その姿を目にして、ゼゲルは背筋が凍り付く程の戦慄を感じた。

 目の前の、いまだ生まれて間もなき“赤子”は、誰に教わった訳でもなく、無意識に、風の精霊――それも中位に属するであろう精霊獣を、使役せしめ、風の上位妖精たる自分に手傷を負わせたのである。

 それは、“少女”の精霊魔法の才の高さを知らしめるものであった。

 その事実に彼は自覚無き恐怖に駆られた。振り上げた長槍とともに、彼は無意識の内に自身の崇める神――魔王の名を唱え始める。


『偉大なる支配の魔王……ナームドルームよ……この者の言葉を封じ給え……終生、意味ある言葉を紡ぐことを禁じ給え……』


 それは“支配の魔王”の聖霊魔法の一つ『禁令』の呪文であった。そして、その呪文とともに、彼はその長槍を泣きじゃくる“少女”の喉笛へと振り下ろした。

 奇妙な呻きを一つ残し、“少女”の泣き声は止んだ。

 振り下ろした長槍を引き抜いた彼は、接近する何者かの存在を察した。その正体に気が付いた彼は、即座にその場から飛び立った。一騎打ちでの疲労の残るこの身で、更なる戦闘を続けられる程の余裕が、その時の彼には無かったのだ。



 グレムリン――ゼゲルが飛び去って間を置くことなく、その場に現れた者……それは、クリックに誘導されたポール率いる妖精騎士の一団であった。

 同じ矛によって斬られたらしき数多のグレムリン……それらを斬ったであろう矛を手に、槍によって心臓を貫かれたグレムリン……そして、多数の矢で射抜かれ、槍によって滅多刺しにされたフェアリーの女性……それらの亡骸から流れ出た夥しい暗い血と紅い血……一同はその場の惨状に息を呑み、身体を動かすことも、言葉を発することさえも出来ず、暫し呆然と佇むほかなかった。

 しかし、その硬直を破ったのは、ポールの瞳に映ったものであった。

 一つはフェアリーの女性が流す血の鮮烈な赤……そして、肩口の辺りに感じる生命の気配……それは死んでいるのではなく、瀕死でいる――助かる可能性があるとも思えた。それを感じたポールは叫びを上げた。

「生命の気配がある! ……薬師、それに生命の精霊玉をっ!!」

 ポールの叫びに弾かれた様に、彼に従って来た者達は動き出した。

 動き始めた彼等にとって不幸なことに、フェアリーの女性――ポリーは既に事切れていた。

 だが、事切れていない者がたった一人残っていた。それは、彼等が想定していなかった者であった。その者……それはポリーの腕に抱かれた“少女”――フェアリーとも、グレムリンともつかぬ幼子であった。

 しかし、“少女”がポリーと縁のある者――彼女の娘であることは、一目瞭然であった。ポールが“少女”の救命を指示するに、これ以上の理由はなかった。

 その細い喉を貫かれた“少女”は、まさに瀕死の状態であったが、薬師の迅速な処置と、治癒の力の宿る“生命の精霊玉”を多量に注ぎ込んだこともあり……“少女”の生命は、辛うじてこの世界に繋ぎ止められた。

 “少女”に対する一応の処置を終えたポールは、自身の妹を弔いも早々に……苦い表情で、急ぎその場を撤収した。それは、グレムリンの襲撃者達が既にこの地を去った証がなかったからだ。

 取り急ぎ駆け付けたと言う意味もあるが、グレムリンの集団を退けられるだけの人数を集められなかったが故に……苦渋に満ちた顔で、ポールはその腕に“少女”を抱えてその場を駆け去った。



 立ち去る妖精騎士達に気付かれることなく、その行動の一部始終を樹上の物陰から見ていた者――者たちがいた。

 彼等は妖精騎士が去った後、樹上から地へと次々と降り立った。降り立った者たち……それは、“空の悪魔”――グレムリン族であった。

 倒れ伏す数多の同族の亡骸に目もくれず、彼等は一体のグレムリンの亡骸を囲む様に集まった。その亡骸――ゲシュラードを前に一人のグレムリンが呟きを漏らす。

「兄者……」

 呟きを漏らした者……その者の名は、ゲリューズ。倒れ伏す者の弟であった。

 彼は手近にいた手勢を引き連れて、この地を目指したのだった。そして、ポールの到着に一瞬遅れてこの地に舞い降りたのだった。



 それはある意味で幸運であった。

 惨状に呆然とするポール達の姿を逸早く察したゲリューズが、一同に命じてその身を森の陰に隠すことが叶った……それは、争う意図のない者同士の無用な争いが回避しえたのだから……その意味で幸運だったと言えるだろう。

 木陰に身を潜めながら、彼等――ダーキッシュブラスト氏族の戦士達は、眼下で動くフェアリー達の様子を窺い続けた。フェアリー達は倒れ伏したフェアリーの女性――ポリーに抱かれた幼子を彼女の腕から取り出し、懸命な救命措置を施していく。

 そして、一応の処置を終えた後、女性――ポリーを弔い、彼女の幼子を抱いて彼等はこの地を即座に去っていった。

 そんな妖精騎士たちが行った一連の行動を見続けていたグレムリンたちは、彼らが去った地に降り立った。

 ゲリューズは、配下に命じて弔われなかった兄の亡骸をフェアリーの女性の隣に埋葬し……その場を後にした。



 こうして、“少女”の生命は辛くも救われ、“少女”はその両親を喪うこととなった。



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