013 商人
森に入ると、コンコルダから教わった事を頭の中でおさらいしながら、獲物の痕跡を探す。
今回狙うのは鹿(に似ている動物)だ。
ある程度の大きさがあり、草食だということもあって俺たちでも手が出しやすい…らしい。
今回は捕獲用に弱めの麻痺毒が塗ってあるものと、念のために熊をも仕留めた強力な毒矢の両方を持ってきている。少し嵩張るのが難だが、安全を考えるなら我慢するしかない。
他の連中も警戒はしているようで、それぞれに準備は怠っていないようだ。
森の中を歩いていると、ところどころに熊のものであろう爪痕などが残っていた。
大丈夫だとわかっていても全員が、あの時の恐怖を思い出して肩を震わせてしまうのも仕方ない。
慎重に進んで行くと、まだ新しめの糞が落ちているのに気付いた。
他の仲間もほとんど気付いたようで、無言で頷くと周囲を探る。
糞は草食動物特有のものなので、獲物が近くに居る可能性が高い。
しばらく様子を見たが、少なくとも目に見える範囲にはいないようだったので、糞の周囲を改めて見る。
近くには足跡が残っており、足の形から狙っている獲物で間違いない。
足跡を辿って、静かに進んでいく。
この時できるだけ風上に行かないように注意をしておかないと匂いで接近がバレてしまう。
俺たちが細心の注意を払って進むこと十数分、そこで漸く獲物を発見することができた。
居たのは角の無い一頭だけで、他には見当たらない所を見ると逸れたのだろうか。
角があれば矢鏃の材料にもなったのだが、この際贅沢は言っていられない。
獲物に逃げられないように慎重に全員で包囲して行き、それが完了すると次は自分の射程内に納まるように距離を詰める。
そうして全員の準備が整ったところで号令代わりにと俺が矢を放った。
エギルたちもそれに合わせて矢を放つ。
鹿もそれに気付いたようで、逃げ出そうとするがもう遅い。
矢は鹿の首に見事突き刺さり、胴体にもいくつか突き刺さった。
それを物ともせずに鹿は走るが、あまり時間も経たずに近くの茂みに倒れこみピクピクと痙攣して倒れこんだ。
矢に塗ってあった毒が効いたのだろう。
俺が放った矢はと言えば、鹿の胴体の少し上方を勢い良く通り過ぎて行き、鹿から若干離れた地面に突き刺さっていた。
がっかりと項垂れる俺の肩に、エギルが手を乗せてくる。
「まっ頑張れよ」
そう言ったエギルの満面の笑顔は、果てしなく鬱陶しかった。
その後も獲物を見つけては矢を放ったが、練習不足なのか、はたまた才能なのか…俺の矢はことごとく外れた。
誰も何も言わないが、俺に対しての評価が物凄い勢いで下がっている気がする。
俺とは逆に凄かったのは意外にもハウントだ。
獲物を狩る時、普段の気の弱さは鳴りを潜め、静かに獲物を射抜く。
今回の成果は、鹿のメスが一頭にウサギが三羽だ。
ウサギは体が小さい上に素早いため、狩りの難易度は高いはずなのだが、ハウントは難無く矢を命中させてしまっていた。
ハウントの次に弓の扱いが上手いのがエギルとウラルで、その他平々凡々としたほかのメンツの下に俺が位置すると言った具合だろうか…自分で言ってて悲しくなってくる。
とにかく、それなりの成果を挙げられた俺たちは、慣れないながらも何とか獲物の解体を済ませ、明日の商人来訪に備えてその日は解散となった。
―――――
翌日の昼頃に村に珍しく来訪者が現れた。
俺とコンコルダで村の門を開けると、二頭の馬に引かれる馬車と、手綱を持った壮年の男性が入ってくる。
商人と言われると恰幅が良く髭を生やした中年というイメージがあったのだが、その想像は完全に間違っていたようだ。
ほっそりとした長身だが、ハウントのような『もやし』っぽいイメージは無く、どちらかと言えば偉丈夫という言葉が似合いそうだ。
服装も馬車での旅に似合いそうなゆったりとした服ではあるが、だらしなさは無い。
髭も生やしていないので、清潔感もある…といった具合だ。
馬車が村の中に入り終えると、商人の男が馬車から降りてくる。
「お久しぶりですドルメスさん。長旅お疲れ様でした」
珍しくコンコルダが丁寧な言葉で話しかけたので思わず変な顔をしてしまったが、すぐに表情を元に戻す。…どうか誰も見てませんように。
「これはコンコルダさん、お久しぶりです。今回は来訪が遅くなってしまい申し訳ありませんでした」
そう言って丁寧に頭を下げる商人ドルメスさん。
できる大人というのはこういう人の事を言うのだろう。
「いえ、それはお気になさらず…ちなみにく…来訪の期間が空いた理由を聞い…お伺いしても?」
ダメだ。コチラの大人は既にボロが出始めている。
「ええ、その件ですが、どうも近くにムートが出たらしいのです。近くと言ってもここから山を一つ越えた場所なのですが、その影響で動物の生息域が大きく変わってしまったようでして…」
「…ムート?」
知らない単語に思わず声に出してしまった。
これはこの土地の言葉を覚える際についてしまった俺の癖だ。
「おや?こちらは初めてお会いしますね」
「あ、あぁコイツはケンジって言いまして、つい最近この村に来たばかりなん…ですよ」
「ケンジです。よろしく…おねがいします」
「はじめまして、私は商人のドルメス・ナンゼと申します。以後お見知りおきを」
紹介されて慌てて挨拶するが、俺も丁寧な言葉には慣れていないのでぎこちない…コンコルダさっきはボロが出たとか思ってごめんなさい。
「いや…それよりも…ムートが出たというのは…」
「間違いないようです。今回は熊のムートだったとの事でした。こちらでは何か影響などはありませんでしたか?」
「あぁそれなら、つい最近村の近くまで熊が移動してきたのも頷ける…ますね」
「やはりこちらにも影響が出ていましたか…、ちなみに被害などは?」
「それは大丈夫です。死人も出ていませんし、すぐに熊狩りも行ったので、近くにそれほど危険な動物はいないはずです」
「そうですか、それは良かった」
そうして二人が会話しているのを眺めていると、思い出したようにコンコルダがムートについて説明してくれた。
曰く、ムートというのは何の前触れも無く突然発生する災害のような生き物で、その姿は犬や熊、果ては鳥など様々で、話に出てきたようにその地域に住む動物たちの生息域を変えてしまうほど獰猛で危険な生き物なんだとか…
そんなムートだが、どうやって生まれてくるのか等は全くわかっていないらしい。
「では、私は村長さんにご挨拶してから、広場で仕事を始めますのでよろしくお願いします」
「わかりました、こちらこそよろしくお願いします」
「はい、それではまた後ほど」
挨拶を終えると、ドルメスさんは再び馬車に乗り、村の奥にある村長の家へと向かっていった。
―――――
ドルメスさんが居なくなった後、しばらくするとエギルたちが俺を呼びに来た。
用件はもちろん、先日狩った獲物の素材を売るためだ。
売ったお金は全員で折半する事になっているが、正直心苦しいことこの上ない。
とはいえ、当人たちが気にするなと言っているのだからどうしようもないので、後日何か別の形でお返しをする事で一先ず良しとしよう。
俺たちが広場に到着すると、既に村の人たちが結構集まっていた。
素材を持った男たちに加えて、ちらほらと見知った子供たちも見える。
どうやらドルメスさんはまだ挨拶中のようで、姿は見えない。
そういえば、エギルたちは何か目当てのものでもあるのだろうか?
ふと気になって聞いてみると、
「んーとりあえず今は無いから、欲しいものがあった時用に貯めておこうと思ってる」
と、なんとも堅実な考えのウラル。
その他も「美味しそうな食べ物があったらその場で買う」と言うチェドラル以外は似たり寄ったりな考えのようだ。
俺自身も貯蓄は必要なのですぐに使う予定は無い。
そんな会話をしていると、馬車が広場に移動してくるのが見え、間もなく広場の中心へと停車した。
「皆様、大変お待たせいたしました。これより買取をはじめます。商品の販売に関しましては明日行う予定ですので、申し訳ありませんが明日改めてご来場ください」
馬車から降りてきたドルメスさんが、良く通る声でそういうと、村の人たちも慣れた様子で一列に並び、順番に素材を売っていく。
俺たちも列に並び順番を待つが、やはり人員がドルメスさん一人しかいないので査定などに時間がかかっているようだ。
エギルやウラル、チェドラルの三人が退屈そうにアクビをし出した頃に、やっと俺たちの順番が回ってきた。
「おやケンジくんでしたね?お待たせいたしました。素材の買取でよろしいですか?」
子供相手でも丁寧な対応で伺いを立てるドルメスさん。
俺もこういう大人になりたいものだと思いつつ、他のメンツが喋りそうに無いので代表して返事をすることにした。
「はい、間違いありません。今回買い取っていただきたいのはコチラです。よろしくお願いします」
そう言って、昨日狩った鹿とウサギの肉、それにウサギの毛皮を引き渡した。
「はい、それではお預かり致します。…そうですね、こちらはしっかりと処理されていますが、このままだと日持ちがしないので燻製などにする必要がありそうですね」
ドルメスさんの言葉を聞いて、思わず苦い顔をしてしまった。
確かにそうだ。冷蔵庫などがあれば話は別だが、おそらくそういったものはあの馬車には積まれていないだろう。
というかこの土地に来てから電化製品的なものを見た記憶が一切無い。
この土地の風習ということで納得していたつもりだが…実際問題、この村を出てどのくらいでそういった電化製品に出会えるのだろうか?
電化製品や電気を指す言葉がわからないため質問できないのがとてももどかしい。
と、考えが逸れてしまったが、肉を燻製にする手間を考えると実際よりも安めの査定になってしまうのは明らかだ。
これはもし次回があるなら活かさないとな…
なんて事を考えていると、唐突にドルメスさんがククッと抑え気味の笑いをしたのに気付いた。
「?」
「あぁすみません、少し意地悪でしたね。大丈夫ですよ、今後の先行投資ということで今回は燻製にしてあったものと同等の金額で買い取らせて頂きます。ウサギの毛皮も傷が少ないようですし、物も良いようなので少し高めに買い取りましょう…そうですね全部で3000ポルトでいかがですか?」
そう言われても俺自身は相場がわからないので、周囲を窺ってみる。
それぞれに視線を合わせると、全員頷くのでそれで大丈夫なのだろう。
「ありがとうございます。ではそれでお願いします」
「はい、それではこちらが3000ポルトです。お確かめください」
そう言って、台の上に銅板が30枚乗せられた。
「あぁすみません、後で彼らと折半する事になりますので、100ポルト分は銅棒でお願いしてもよろしいですか?」
俺がそう言うと、ドルメスさんが多少驚いたような顔をした。
はて?何かおかしなことを言っただろうか?
「っと、これは失礼しました。それでは、改めてこちらが3000ポルトです」
「はい、ありがとうございます。それともう一つ個人的にお願いがあるのですが…よろしいでしょうか?」
「はい、なんでしょうか?」
「暇があればで構わないので、ドルメスさんのお話を聞かせて欲しいんです」
「あぁ、そういうことでしたら喜んで時間を設けましょう。とりあえずこちらの買取が済んだ後からでもよろしいですか?」
「はい、ありがとうございます。それではまた後ほど」
「こちらこそありがとうございました」
少し手間取らせてしまったが、なんとか無事買取を済ませてお金の折半をすることにした。
とは言え七人で3000ポルトなので若干の余りが出てしまうが、そこは話し合うしかないだろう。
もちろん俺は余った分は遠慮するつもりだ。
とりあえず、お金の分配を行うため一旦コンコルダの家に戻ることになった。
家に戻った俺たちは早速分配を始める。
一人当たり428ポルトで余りが4ポルトだ。
この余りに関してはハウントに譲ることになった。
まぁ一番の功労者だし妥当だろう。ハウントは遠慮していたが、結局押し切られて申し訳無さそうに受け取っていた。
お金の分配も無事終わり、エギルたちもそれぞれの家に帰っていったので、俺は頃合を見て再びドルメスさんが居るはずの広場へと向かった。