009 罪の認識
俺がこの土地に来てから早くも二月が経とうとしていた。
こちらの言葉にも慣れ、日常会話ならもうほとんど違和感なく話すことができる。
しかし、弓の訓練に関してはあまり上達していない。
と言っても動かない的ならば、弓の射程内であれば当てる自信がある。
問題は、動く的の方だ。
生きている動物を狙うのは困難を極める。
それだけでなく、生き物を殺すという行為に対しての忌避感がなかなか拭えないのだ。
頭では必要な事だとわかっていても、どうしても緊張して余分な力が入ってしまう。
そのせいで照準がブレて、あらぬ方向へ矢が飛んでいくというのはもう何回経験しただろうか。
獲物に気をとられている間に、逆に俺自身が肉食の動物に襲われそうになっていたことだって一度や二度ではない。
「…はぁ…」
自分の不甲斐なさにため息が出る。
「あまり根を詰めすぎるな。そんな調子じゃ上手くいくもんもいかなくなるぞ?」
そう言って声をかけてくれたのは、もちろんコンコルダだ。
「そうねぇ…まぁ気長に頑張んなさい」
こちらは近所に住む世話焼きおばちゃんことリドエルさん。
茶色い髪と瞳で、身長は俺より少し高い160cmくらい。
恰幅も良くいかにも面倒見がいいといった風貌をした自称「バラフの華」である。
余談だが、彼女の今年26歳になる一人息子ロータスさんは現在嫁募集中とのことだ。
なぜそんな彼女がコンコルダの家に居るのかと言えば、料理が下手な男所帯のこの家にたまに差し入れをしてくれているからだ。
コンコルダは肉を焼くかスープにするくらいしかしないし、俺に至っては薪を使って火力を調整する台所に全く対応できずに、今では完全にノータッチである。
そんな俺たちの食卓事情を聞いて救いの手を差し伸べてくれたのがリドエルさんだった…と言うのがこの状況を生んだキッカケだ。
俺は二人の言葉に頷いて、美味しい食事をいただいた後自室へ戻った。
部屋に入った俺は、いつも通り筋トレメニューをこなした後、濡らした布で体を拭いてからベッドで眠った。
―――――
翌朝、と言ってもまだ日が昇り始めたばかりの時間ではあるが、新たに日課となったランニングと筋トレを行い、最後に弓の練習をする。
最初の頃こそ早起きも訓練もひたすら辛かったが、この一月半毎日欠かさずやったことで、かなりマシになってきたと思う。
動く的なんてものはさすがに作ることはできないので、自分が動いている状態で的に当てる練習なんてものも自主的に始めてみた。
もちろん、息を潜めて気配を消し、獲物に気付かれないうちに素早く仕留めるのが一番なのだが、野生動物相手にズブの素人である俺がそれを行うのはなかなかに難しい。
そこで苦肉の策としてこんなことをしている。
時間にすればおよそ三時間ほどの訓練を終えて家に戻ると、丁度いいタイミングでコンコルダが朝食のパンとスープを用意し終えたところだった。
「おはようコンコルダ」
「おぅ、おはよう」
互いに挨拶を交わし食卓に付くと唐突にコンコルダが話を振ってきた。
「そういえば今日はどうするつもりなんだ?」
「んー…、一応また狩りに行ってみるつもりだけど…」
「ケンジ…今日は狩りはやめて、料理をしてみないか?」
とコンコルダに提案された。
料理か…確かに昨日の今日で上手くいくなんてことは無いだろうし、気分転換にいいかもしれないな…
「…そうだな、コンコルダやリドエルさんに任せっきりにするのも悪いし、やってみるよ」
「そうか。じゃぁ準備ができたら呼ぶから、それまでは好きにしてろ」
「え?準備?」
疑問を口にするが、コンコルダから返事が返ってくることはなかった。
食材の準備?…いや、わざわざ準備しなくてもまだ余裕があったはずだ。
考えても答えが見つからずしばらく悶々としていたが、すぐにわかることだと思い直し、適当に出歩こうと外に出ると…
「ケンジ!あそぼ!!」
「あそぼー!」
家の前で待ち構えていた子供たちに捕まり、強制的に遊び相手をさせられるのだった。
―――――
しばらく子供たちの遊び相手をしていると、コンコルダに呼ばれた。
どうやら準備とやらが終わったらしい。
「ゴメンな、今日はここまでだ」
「「えー」」
「…また明日、一緒に遊ぼう?な?」
「…わかった、ぜったいやくそく!」
「やくそくー!」
「おぅ、約束だ」
そんなやりとりをして子供たちと別れた俺は、家に戻るとコンコルダに声をかけた。
「おう!こっちだ!」
しかし、返事が返ってきたのは何故か家の裏手からだった。
首を傾げながらも声がした方へ行くと、狩ってきたばかりらしい鶏サイズの名も知らぬ鳥を手に持ったコンコルダの姿が見えた。
「え…まさか準備って…」
「あぁコイツを捕まえに行ってたんだ。まだ血抜きもしてねぇからさっさとやるぞ!ほらボサッとしてないでナイフ持て!」
有無を言わさぬ勢いで、言われるがままナイフを持たされ、すぐさまコンコルダが用意してあった紐で鶏サイズの鳥…もう鶏でいいや…の足にくくりつけ、物干し竿のようなものに逆さ吊りにした。
「ほら、早く血抜きしろ」
「いや…あのでも…」
戸惑う俺に構うことなく、鶏の近くへと誘導するコンコルダ。
そうして俺が無理やり鶏のすぐ側までたどり着くと…
ビクッ
「動いた!今動いたよこの鳥!!」
「何言ってんだ当たり前だろう?血抜きをするまでは生かして置かないと肉が臭くなっちまうからな…まぁ理由は良く知らんが…」
やれやれと言った具合にため息を吐きながら説明するコンコルダだが、俺は混乱してそれどころではない。
俺がひたすらオロオロとしていると、
「ほら、早くしねぇと鳥が起きちまうぞ?今は気絶させてるから大人しいが、起きてからやろうもんなら…」
「わかった!やる!やるから!」
そう言って、一度コンコルダに黙ってもらい、大きく深呼吸をして気を落ち着かせる。
目の前に居る鶏は、今はたまにビクッと体を震わせる程度だが、コンコルダの言うとおり起きるまでの時間はそう長くないだろう。
落ち着け、これはいつかはやらなきゃならない事だったんだ。
俺が食っていた肉だって、コンコルダが獲ってきた動物を毎回解体しているものなんだ。
これからも俺が生きていくためには、自覚しなきゃいけない。
今目の前に居る鶏が、明日の俺の糧になることを…。
これから殺す命で俺が生きている罪を…。
グッと右手に持ったナイフを握り締め。
動脈を切る際、手元が狂わないよう左手で鶏の頭付近を掴む。
そうして鶏の首にナイフを当てて…
「ケンジ!目を逸らすな!」
思わず目を閉じそうになっていた俺の後ろからコンコルダの激が飛んだ。
言われたとおり目を見開いて、力を込めなおした…その時
「っ!?クケー!!」
驚いたように目を覚ました鳥が、唐突に暴れ始めた。
バサバサと体や翼を振り回し、悲鳴のような鳴き声を大音量で発する。
「…くっ」
怯みそうになる気持ちを必死に抑えて、一気に首を掻き切った。
その瞬間、暴れていた反動で周囲に飛び散る鶏の血。
近くに居た俺は漏れなくその被害を受け、鮮血が顔や体にかかる。
鉄臭い匂いが辺りに充満し、気持ち悪さが込み上げた。
暴れていた鶏も、流れ出る血の量に比例して徐々に動きが鈍くなり、一分ほどで動かなくなった。
生まれて初めて自らの手でこんな大きな動物を殺した。
いや、初めてじゃない。
この土地に来てすぐに犬も殺している。
けれど、あの時は無我夢中で明確な意思なんてどこにもなかった。
だが、今回は違う。ちゃんと殺すことを意識した上で殺したのだ。
精神的疲労から肩で息をする俺に、後ろからポンッと頭に手を置かれ、
「よし、次だ」
コンコルダから容赦の無い命令が下るのだった。
という訳で、「命の授業」とも言うべき人間の必要悪に関するお話でした。
以下の手順としては
用意してあったお湯に数秒鳥の体をつけた後、羽をむしる。
次は頭と足を切り落とした所で、まだ完全では無いもののスーパーで見たことのある形になる。
お湯を用意したときに使った焚き火を利用して軽くあぶることで手で取りきる事ができなかった産毛などを焼く
と物語には書かれていませんが、こんな感じの作業が行われてました。
夕食は鳥の丸焼きですかね?