其ノ拾弐
気持ち悪い。
気持ち悪い。
何だこれは。
こんなの俺は知らない。
こんなの・・・俺は・・・知らない。知りたくない。
■□■□■□
「ッはぁ!」
ガバッと布団を蹴り上げて飛び起きた。荒く呼吸を繰り返しながら気分を直そうとする。
視界がまだ暗いのを見れば、夜中のようだった。部屋には空にある半分に欠けた月の光が差し込み、暗い部屋にいる俺の手を照らす。
手には汗が付いており、それを誤魔化すように髪の毛を掻き上げれば、顔にも手以上に汗が出ており、自分の着ている着流しの寝巻きの裾で拭った。
どうやら体全体汗をかいたらしく、寝巻きの着流しが肌にぴったりと張り付いている。長い髪の毛も顔や首の後ろにべったりと付いて同じようだった。
気持ち悪い。それが頭に浮かんだ言葉だった。
意味もなく口を手で覆って息を安定させようとする。まだ息が整わない。
夢は見る。生きているから当たり前だが、さっき見たのは悪夢なんてレベルじゃない。
虚無。何もない夢であって夢ではなかった。
雪が降る夢を見た。それはいつもの事だが、見たのはまさに天国と地獄、若しくはそれ以上かもしれない。
ただそこにいる。何かをするわけでもなく、人形のように雪が降る白銀の世界で佇むだけだった。
自分の体なのに自分がまるで三人称で自分を見ているような奇妙な感覚を感じた。
「気持ちわりぃ・・・何なんだよアレ」
そこにいた俺は何かを一目散に眺めていた。そこを見たいのに、見てはいけないと俺の培った経験と勘が告げていた。
そこを見ようとすれば、夢が覚めた。だけど、後に残るのは嫌悪感のみ。気持ち悪い以外に言葉で言い表せない。
・・・なのに、俺はアレを知っている。知っているのに知るなと細胞全体が叫んでいるようだった。それも相まってか、最悪な気分だ。
苛々する気分を更に落ち着かせるために布団から這い出ると縁側に出て景色全体が雪、空に浮かぶ半月を見る。
はぁと息を吐けば白く固まって空気に解けていった。それから後ろの方に声を出す。
「そこで何をしている東風谷」
「・・・あ、ははは。やっぱりわかっちゃいますか」
スススと襖が開くと、そこから白い寝巻きで身を包み、長い緑髪を揺らしながら東風谷が入ってくる。
バツが悪そうに顔をポリポリと掻きながら手に蝋燭の火種、この時代の灯りとなるものを持ちながら畳の上を歩いてこちらに来ていた。
よいしょと自然と俺の隣に座る東風谷。いつもそうだなこいつ。
「・・・眠れないのか?」
「そう言う琥珀様も。寝れないって顔をしていますよ」
「たまたま目を覚ましただけだ。たまにはこんな月夜の夜を眺めるのもいい」
「はい。確かに幻想的で美しいですね」
他愛のない会話。だけど、この会話は東風谷にとって楽しみの一つだと前に洩矢が話していた。
俺みたいな妖獣と、以前に殺そうとした相手と会話するのが楽しみだなんてこいつは変わっていると思わざるをえない。
時には季節の話、時には俺の旅をする話、時には八坂と母親である洩矢の話をすると話題には困らなかったが、つまらない話でも東風谷は心底楽しそうに会話をする。
彼女独特の空気の御陰、だろうか? この性格だから崇拝する参拝者や信者から好かれるのだろう。俺にはない特徴だ。
・・・よくよく考えてみれば、彼女は何処か母上に似ている。笑う時とか照れる時。それを見るとダブって心が張り裂けそうになる。
「いつまで貴方はここにいられるでしょうか?」
「さぁな。洩矢が預かると言っているんだ。あいつがどうか決めるだろうよ・・・癪だが今の俺ではあの洩矢はおろか八坂にも勝てないから逆らう事もできない」
「大丈夫ですよ。諏訪子様も神奈子様も琥珀様を心配しておられるからここに居るように言っているんです。もし、貴方が旅をしたいと言えば案外許してくれるかもしれませんよ」
「残念だったな。総計四十六回頼んでみたが断られた。内、二十二回が八坂の御柱で攻撃。十一回が洩矢の我侭に付き合わされた」
「・・・あは、あはははは・・・気を許しているからです・・・よ?」
疑問形じゃねーかと突っ込んだ。
顔を思いっきり横に向ける東風谷。自然と溜め息が出て苦笑してしまう。
これだ。これも彼女のいいところなのだろう。誰であっても親身になるその姿勢で心を許してしまう。俺も大概毒されてしまった。
洩矢と八坂から昔と比べて空気が柔らかくなったとも言われている。自分ではよくわからないが。
・・・? ちょっと待て。今、僅かな違和感を感じた。
昔と比べて? まだあいつらと付き合って少し、一年も経っていないはずなのに何故昔の俺を知っている?
考えてみればおかしい。寝ていただけの俺の人柄、それを知れたのか? だがあの二人、隣の東風谷の言動からは俺と彼女達が長い付き合いをしているように感じた。
それも、東風谷だけは俺に対する好意の種類が時々変わるようにも思える。異性に対する、父親に対する好意と今になって思う。
「琥珀様?」
「! なんだ」
「どうかしましたか? 眉間に皺が寄って怖いお顔をなされていますよ」
ここが険しいですと両手で眉間を押さえる彼女の表情に思考がカットされた。
変わらない彼女を見て天真爛漫だった母上の姿がまたダブる。いつもなら懐かしい、寂しいと感じるがあの虚無の夢の影響なのか、背筋に悪寒を感じてしまう。
「こ、琥珀様? 顔が青くなっていますが大丈夫ですか? 気分が優れないのですか?」
『ん? 体調が悪いのか? 少し休んだらどうだ琥珀』
「やめろッ!!」
ビクリと東風谷の肩が跳ねる。俺の大きな声に驚いたのだろう。
俺の顔に触れようとしていた東風谷の手が虚しく伸ばされたままで落ち込んだ様子になり、そのまま引っ込める。
悲痛な表情に、すぐ罪悪感が湧いて顔を逸らした。東風谷の顔が見られない。
やってしまった。東風谷は悪くないのに俺の勝手で嫌な思いをさせてしまった。
ふと、そんな時だった。俺の脳裏で何かが噛み合う音が響いた。
世界の雰囲気が一瞬で一変する。寒くも暖かいそれから冷たくただ冷たい雰囲気に。
世界は変わらないのに俺だけがまともに動けるようで弾かれたように戦闘態勢になり、辺りを見渡す。
東風谷は悲痛な表情で時間が止まっている。だけど雪だけは相変わらず降って・・・。
「何だこれは・・・」
違う。雪がいきなり降雪量を増やして視界が白に染まっている。
白銀の世界が白一色になり、そのただならぬ様子に戸惑う。こんなのは今までに見た事がないからだ。
異常な風景に圧倒されていると、その風景のある一点に何かがいてこちらに歩いてくるのが目に飛び込んできた。
「お前・・・!」
『久し振り。元気そうで何よりだよ』
あいつの周りだけは雪が避けるように降っていてまるで雪が従っているように感じる。
そこには自分自身がいた。前に俺に呪いを掛けたガキ、そいつが立っていた。
自分の意志に関係なく、俺の体から膨大な力が漲り、本来の姿を形作る。白い髪は変わらず、頭の上に白い毛で覆われた狐耳が、臀部からは服をその部分だけを食い破って白く輝く白い尾が四本。
ピリピリと空気が張り詰めるが、あいつの表情は変わらない。普通の妖怪なら力の波動で消え去るだろうに。
『順調に力も身に付けているね。予想以上で少し驚いたかな?』
「グルルルル・・・!」
『理性はある程度保っているけど、心の感情は怒り一色で染まっている・・・ここだけは進歩しない。感情に流されるようでは本来の能力にはまだまだ程遠い』
「何が言いたい! 貴様は! 俺に不可解な呪いを! そして母上の存在までも穢して! 一体何がしたいんだ!!」
俺の周りだけ力の波動で雪が消し飛んで円状に下の地面が現れた。
雪が吹き荒れるが、あいつには雪すらも当たらないで何処かに流れていく。
前髪で隠れていた目が顕になる。その眼は・・・母上と同じ金色に染まっていた。
『及第点だ。感情に流されるのはマイナスだけどそこまで封印された状態でよく引き出せたよ』
「ふざけるなッ!!」
ガアッと口から雄叫びが漏れ、俺は自分が出せるであろうスピードでいけ好かないガキの首を掻っ切ろうと飛び出した。
やれやれといった表情をするあいつは飄々としていて神経を逆撫でにする。
「うっおおおおおおおおおぉぉぉぉっ!!」
『はぁ・・・あんまり嘗めるなよ。沈め』
「!?」
ズズンと、何が起きたかわからなかった。気が付けば雪の中に顔を突っ込んでいてその上にガキが馬乗りになって尻尾を全て握っていた。
いつ動いた? 全くわからなかった・・・。
拘束から逃れようとするが、ビクともしない。なんで小さい体なのにこんな力があるんだ?
何故勝てない? あいつと俺の間には力の差がありすぎるのか?
『簡単な話だよ。子が親に勝てると思っているの?』
その言葉に抵抗をピタリと止め、目を大きく見開いた。
驚いた様子を察したのか、万力の力で押さえつけていた力から解放された。だが、すぐには動けずに埋もれたままだった。
ガキは何て言った? 俺がこいつの、子? なら母上は何なんだ? 俺の本当の親って?
混乱して頭がグルグル回る。思考が纏まらない。
『・・・もう、時間がない』
その声は切羽詰っているようだった。ノロノロと顔を上げれば、ガキは真剣な表情で空を見上げていた。
『時間がないから要件だけを言うよ。もし、お前が全ての真実を知りたいと思っているなら高天原まで一人で来るんだ。大丈夫、封印は今だけ解いておくから・・・だけど、一度きりだ。封印を緩めるのは今回だけ。それを逃したら知りたいだろう真実を二度と知る事ができない。覚悟だけはしておくように。残酷な真実だよ、もしかすると心が再起不能になるまで壊れるかもしれない』
「・・・何なんだ。お前は?」
『白帝大神。これが我の名前だよ・・・じゃあ、願わくばお前がこの真実を知りたいと願わない事を祈るよ』
そう言うと、ガキは微笑みながら手を振って雪に溶けるように消えていった。
消えてからふっと景色や雰囲気が元に戻ると、俺はどうしようもない虚無感に襲われた。
動き出した時に、それに合わせて東風谷も動き出すのがわかる。姿が変わった俺を見て驚いているみたいだ。
「琥珀様!? 何故外に・・・えっ? 姿も元に戻られて・・・琥珀様?」
ギリリリと歯を食いしばる。雪に埋もれた手を固く握り締め、自然に震える。
寝転されたまま、動かないでどれだけそうしていただろうか。慣れ親しんだ神気が二つ近付くのが察知できた。洩矢と八坂だ。
多分、力を開放して駄々漏れだから気になって起きたのだろう。
「苗! この妖気は・・・!」
「あれ? 琥珀じゃない。どうして雪に顔を埋めている・・・の?」
「畜生・・・言いたい事だけ言って大事な事は言わない・・・何だってんだ畜生がッ!!」
固めた拳で地面を叩くと、凄まじい爆音が響き、殴った部分が一気に陥没した。
少しだけ感じる痛みに更に歯を食いしばる。何もかもがあのガキ、俺の知らない俺の思い通りになっているのが無性に気に入らなかった。
ふつふつと沸き上がる怒りに、ただ吠えた。やり場のない怒りを少しでも発散しようと。
その時は気付かなかった。自分の力の象徴である尾が薄くなり始めている事に。
それが今感じている違和感や嫌悪感を解く鍵になるとも思わなかった。
『急がないと。どちらの選択を選んでも対処できる用意をしないと。我はもう、接触をしてしまったから』




