朝の日課
どうも作者です。
本編に入ります。
よろしくお願いします。
朝。それもまだ世界観が静まり返っているような早朝。
彼、司・九条は無音の中、寝床から起き上がった。欠伸をする事もなく、しかし怠惰に立ち上がり洗面所に向かう。
彼の住居は首都の外れのアパートだ。豪華、というわけでもなく、まあよくある集合住宅だ。
自動で照明が付き茶色がかった髪がうつる。寝癖は少ない。
中性的な顔立ち。健康的な肌の色と寝起きながらしっかり開かれたした目が強い芯のある容貌を表している。
筋肉の程よくついた上半身。顔つきと相まって従順な狩猟犬を思わせる。
寝癖を直し、冷水で顔を洗う。
「よしっ」
溜めていた息を吐き出すかのように、声を張り上げた。タオルで顔を拭きながら洗面所を出ようとして、
「あれ?」
照明が点いたままなのに気づき立ち止まる。洗面所の照明は自動で明滅するはずだが?
「故障、かな……? しょうがないな」
おもむろに鏡の脇に取り付けられた照明に手をかざす。すると、照明から浮かび出るように円形の導譜枠が提示される。外枠が鈍色に染められ文字が表示される中枠は黄緑色。歯車のような凹凸を成す、機械的な意匠が見えるデザインだ。
『「光化」』
機械的な音声と共に、導譜枠に導譜が表示される。
「否定」
司が打ち消しの導譜を示すと、照明は眠るかのように消えた。
導譜。
現在の魔法科学において、最も手軽で、最も普及している運用方法だ。前時代の魔法における呪文に似ているが、基本的に口で唱える必要が無く、誰でも使用することが可能ということから、多くの場面で用いられる。
魔法科学では、魔法は機械を媒体にして運用される。300年前の「魔法崩壊」により、多くの人間が自ら魔法を行使する術を失い、機械に頼らざるを得なくなったからだ。
「こっちのほうが、便利ではあるよな」
昔、魔法史の教科書で習ったことをおもいだし、一人呟いた。
学生の時から使っているパックを背負うと青のジャージに着替え、まだ肌寒い中、外へと出る。季節は秋のはじめ。街路樹は未だ青々と茂り、夏の面影を残している。 首都レブロン。大陸の三分の一を占めるレブライ連邦。その政治の中枢が集まる都市だ。
「よし、やるか」
大きく伸びをし、屈伸を始める。念入りに体操をすると、手のひらを胸にかざす。どうやら、ジャージにも魔法装置が組み込まれているようだ。
『重力操作』
魔法が発動。と同時に、よろけて後ろに倒れそうになる。
「少し強いけどまあいいか」
彼の職場までは普通に走って30分ほど。後方への重力増加による、常に急勾配を走っているような状態で走って、一時間ほど。
司は深く息を吸うと、ひと思いに駆け出し始めた。
事務所がある通りに入ると、急に人の流れが多くなった。レブロンは、官庁街のある中心部から放射線上に道が伸びているため、この通りはいつも人が多い。通りには、有名ブランドのショップが並び、休日には買い物客で賑わう。この通りに人が絶えることはない。
「なんでうちの事務所はここの通りにあるんだろう?」
行き交う人の波を慣れた様子で駆け抜けると、通りの店とは不釣り合いな雑居ビルが見えてきた。なぜこんな場所にあるのか何度か所長に聞いたことがあるが、詳しく教えてくれたことは無い。
重力増加の術式を解き、いつものようにビル取り付けられている階段を登る。隣の宝石店で使われている重力操作を応用した直上移動式の階層移動装置を脇目に見ながら。
魔法科学が浸透したのは60年前ほど。最新の流行を取り入れたがる服飾関係の企業には、新しい魔法科学の運用法が発表される度に、それを何かの形で採用する風潮がある。あの移動システムの設置にもかなりのコストをかけているはずだ。
勿論この事務所にそんな金は無い。
「うちにもあれがあればなぁ」
視線を宝石店に向けつつ階段を登る。
もし、この事務所に移動システムを設置する余裕があったなら。
事務所から出てくる小さな影と接触することもなかっただろう。
「えっ」
「せ、先輩……?」
そして、バランスを崩し後方へ転げ落ちることもなかっただろう。