第一話 目録
三年分の産着を、義母は一枚残らず数えた。
広間の卓に白い布が積み上げられている。窓は閉じているのに、指先から熱が抜けていった。
「十四、十五……十六」
義母の指が麻の縁をなぞって止まる。数え終えると、山ごと侍女のほうへ押しやった。
「返還せず」
書記の筆が走る。羊皮紙にはもう何十行も同じ言葉が並んでいた。
銀器、返還せず。織物、返還せず。寝台、返還せず。
私の持参金は三年前、馬車三台で運び込まれた。今朝、持ち出せるものは包み一つになる。
「セルヴァン様」
呼んでも、夫は窓のほうを向いたままだった。庭の欅が葉を落としている。靴の先は扉に向いていた。この場が終わるのを待っているのだと思う。
書記が次の頁をめくる。乾いた音が広間に響いた。
私は一度だけ口を開いた。
「産室のことで、お願いがございます」
義母は目録から顔を上げない。
「湯を先に沸かしてください。布は煮てから使ってください。癒術で閉じる前に、洗っていただきたいのです」
筆の音が止まった。
「三日目の熱は、閉じた内側から出ます。閉じる順番を変えていただくだけで——」
「アニェス」
義母が羊皮紙の端を指で押さえた。
「三人産んで生きている私が、間違っているとお思い?」
暖炉の薪が崩れる音がした。侍女の誰も、火を直しに行かなかった。
私は口を閉じた。三年前も、去年も、同じところで閉じている。
「続けてちょうだい」
書記の筆が動き出す。羊皮紙が一枚、また一枚と重なっていった。
やがて最後の束に手がかかる。
「では、子女の項に移ります」
その言葉で、義母が初めて背を伸ばした。
「リュシーはドラフィーユの血です。当然、こちらに残ります」
書記は返事をしなかった。別の綴りを開き、指で行を追う。
「教会名簿の記載を読み上げます。ドラフィーユ家息女リュシー、後見人、ロヴェル家アニェス。登録は先月の末日」
義母の指が羊皮紙の上で止まった。
「……先月?」
「はい。離縁が成立した時点で、子女の後見は名簿の記載に従います」
私は膝の上で手を重ねた。一月前、この話が持ち上がった日に、私は教会へ行った。誰にも言わずに、番号だけをもらって帰ってきた。
「取り消しなさい」
義母の声は高くならなかった。ただ、綴りへ伸ばした手が途中で速くなった。
「異議の申し立ては受け付けます」
書記が綴りを閉じる。
「ただし、子女を家の財として目録に記した証が必要です」
広間が静かになった。
「今朝の目録に、お子の記載はございますか」
義母が羊皮紙を引き寄せた。三十行以上ある。銀器、織物、寝台、産着。ひとつずつ、彼女自身が数え、彼女自身が判を押した紙だ。
指が上から下へ、二度往復した。
「……」
「ございませんね」
書記は羊皮紙を揃え、判を押した。事務の手つきだった。
「では、これで」
窓際でセルヴァン様が身じろぎした。こちらを向く。何か言おうとして、そのまま義母のほうへ視線を移した。
義母は目録から目を離さない。
セルヴァン様は口を開かなかった。
私は立ち上がった。
「マティルド様」
呼び名を変えたことに、自分の喉のほうが驚いた。
「三年、お世話になりました」
義母は答えなかった。羊皮紙を見たままだった。
玄関で、リュシーが乳母の手を振りほどいて走ってくる。五歳の靴音は屋敷じゅうに響く。私は膝をついて、その体を受け止めた。
包みは一つ。産着が十六枚と、綴じ紐だけの帳面が一冊。
門番が扉を開けた。私に向かって、深く礼をした。三年間、毎朝そうしていたのと同じ角度で。
外は雨だった。
石畳が黒く濡れて、坂の下まで続いている。宿場まで歩けば、リュシーの靴は保たない。
荷車が一台、坂を上がってくるところだった。幌のない荷車で、麻布の下に鉄の束が見えた。油と砥石の匂いが雨に混ざる。
御者台の男が手綱を引いて、荷車を止めた。
「宿場まで行く」
それだけ言って、荷台の縄を解き始めた。
私が包みを置くと、男は一度それを持ち上げ、鉄の束の上に置き直した。
「潰れると困るものは、上だ」
名乗らなかった。私も訊かなかった。
リュシーを抱き上げて荷台に乗せる。男は縄を掛け直し、御者台に戻った。
車輪が動き出す。
リュシーが私の袖を握った。
「おかあさま」
「はい」
声が喉のどこかに引っかかった。二度目は出なかった。
門の鐘が三つ鳴った。振り返らなかった。
膝の上で、書記から渡された控えが雨を吸って波打っている。
持参金の目録に、娘の名前は載っていなかった。




