京洛御伽草子(きょうらくおとぎぞうし) ゆふぐれの辻にて見えぬ牛車と行きふうことありて
鎌倉時代を舞台にしていますが、歴史的なことは気にせずお読みください。シリーズ組んでいますが、単品で読むことが可能です。
黄昏時には出歩きたくない。ましてや、辻を通るなどもってのほかだ----というのに、指定された待ち合わせの場所と時間がそうである、というのは、もはや試練である。
目を閉じ念仏で耳を塞いでも、ソレらは視覚聴覚の外にあるようで、なお、じろじろとこちらを見てくる気配を肌が読んでしまう。下手に目を閉じていて、うっかり瞼を上げた時に思いがけず至近にいられるほど、耐え難いことはない。目をしっかり開いて、ただし何も見えていない感じていないふりでやり過ごすのが結局もっとも穏便なのだ。
命が縮む。いっそ家に閉じこもっていたいが、武門の家の次男に生まれついて、それが許されるわけもなく。
家でも、御所でも、結局は同じなのだ。
見ている・・・見える世界に、彼我の差がある中で過ごしていかねばならないことでは。
往生際悪く、辻の少し手前に立つ彼の前を、牛車が通り過ぎていく。一台は現世のものだが、それと並走する糸毛車は彼岸のものだ。
牛も牛飼い童もいないのに走っているのに加えて、ぎしぎしと耳障りな音を立てて回る車輪の軸のところにひとの顔が、面のようについているのだ。車輪は回っているのに、その顔は回らず、ぎろぎろと窪んだ目を光らせて通行人を検分するように眺めている。
牛車の付喪神というものだろうかと、決して目が合わぬように、あらぬ方を見ながら、彼はソレが通り過ぎてくれるのを待った。
----が。
「何やら香ばしき匂いのすることよ?」
ぴたりと牛車は止まったのだ。
「そうは思わぬか、右よ。」
顔が、ぎょろりと目玉を回しながら、誰かに話しかけた。
「どれ・・そうよの、確かに匂っておる。左よ。」
応えは、牛車の向こう側から返った。もしかして、あちら側の車輪も同様の顔付なのか、と推察した。
ふたり、は会話を続ける。
「これはまことに稀なるや。」
「それはいかにも寡なるや。」
こちらを向いている顔はじろじろと彼を見ている。まさか自分の事か、と認めたくはないが、・・自覚は、ある。
知らぬ顔で、牛車以外に視線を飛ばす。
「おかたさま、」
「おかたさま、」
「まこと、新しき供人にふさわしい」
「いかにも相応しい、」
「まこと、世になし。」
「いかにも、世に経ずなり、」
人を貴重品のように語るな、と思うが、反応するのは悪手だ。
応えなければ。
呼ばなければ。
彼方と此方が勝手に交じることはない。
牛車には誰か乗っているようだ。おかたさま、と呼びかけるからには女のあやかしか。
----おんなの。
更にぞっと背筋に悪寒が走り、いくすぐ立ち去ってしまいたい衝動を抑え込む。
漸く繋いだ、依頼先との待ち合わせだ。守らねば、二度はないという。それはお役目の頓挫を意味している。
「まことは見えておるのではないか?」
「いかにも聞こえておるようだがの?」
車輪たちが言い募る。
「まこと、おかたさまとの御膳は見たことのない珍しき食ばかりで頬が落ちるほどじゃぞ?」
「いかにも。綾絹の衣装を着て、美酒を飲むと良い。」
「まことに、土産は金も銀をたんと。」
「いかにも。武士ならば、太刀もよかろう。名刀名槍、好みのままに。」
ドン、と牛車が揺れた。
ドン、ドン、ドン・・。内から壁を叩いているように聞こえるが、牛車全体が軋むように揺れるのだから、尋常な力ではない。
「おお、おかたさまがお怒りじゃ。」
「ああ、おかたさまがお腹立ちじゃ。」
「まこと、おまえが疾く乗らぬから、」
「いかにも、おまえが疾く応じぬから、」
なぜ、こちらに転嫁するのかと内心眉を寄せる思いの彼の前で、次の瞬間、牛車の前の簾が内側から外側に大きく揺れた。皺皺の直垂をまとった者が、まるで吐き出されるように宙を飛び、路面に転がった。
他の人からすれぱ、何もないところから突然、人が現れたように見えたに違いない。悲鳴が上がり、ぎょっと立ち竦んだ通行人たちは、うつ伏して四肢を投げ出し動かない様子に、恐る恐る距離を詰め、介抱しようと屈みこむ。自分もその輪に入るべきだ、と彼は思ったが、----もう身体は動かなかった。
「まことに重畳。席が一つ空き申した。」
「いかにもいかにも。」
牛車は、いつの間にか榻が後方に置かれていた。
行きたくない、というのに、足が勝手に----もつれながらも、前に進んでしまう。
榻の前で牛車を見上げる。簾が半分巻きあがって、真っ暗ななかが見えた。黒々とした影が三つ。
向こうは、吐き出された者を囲んで姦しいのに、こちらはしんと静まり返り、空気が重く湿ってまとわりつくようだ。
「まことに僥倖。今宵、京を巡りましょうぞ。」
「いかにも僥倖。おかたさまのお気に召せば、明日の宵も次の宵も・・永劫に、」
陰々とした声が、頭の中で響く。
取り込まれる----自分が自分でなくなる。この感覚は既視感ではなく、想起。だれか、と助けを願って、叶わなかった。
----助けがあったのは、ずいぶんとあと。
濁った臭いが鼻につく。コオロギを入れた虫かごのような。
ああ、と目の前を塗りつぶす絶望の漆黒のなかで、彼は和歌を体の中に巡らせるように、詠う。
夕月夜しほみちくらし難波江の若葉にこゆる白波
異界に繋がれないためには、自分を此方と強く繋げ、とかつての助け手が別れ際に言った。あちらに好まれやすい性質のようだから、と。
一般的なのは念仏だと言われたが、彼は異界の際を覗かざるを得ない度に詠ってきた。
古今の仮名序に言う如く、「人のこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける」和歌こそ、「ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ」ると彼を支えて、此方の世に彼を強く引き寄せるものだ。
歌読むときは、彼は確かに此の世に在る。
夕月夜しほみちくらし難波江の若葉にこゆる白波
いま詠んだものではない。だが、この和歌をして彼は院に認められ、此の世の存在を確かにした。
夕月夜しほみちくらし難波江の若葉にこゆる白波
彼の抵抗に、ドンドンドン、と牛車が音を立てる。吸い込もうというのか、屋形の後簾の枠が、まるで生き物の口のように窄まって、鴟尾がまるで手のように彼を掴もうとばかりに伸びてしなるのを、幻視た。
奈落を覗くような恐怖のなか、それでも助言の通り、瞑らない目に、眩い光が踊った。
光、----いや、炎。
榻の上面に、閉じた扇の要が突き刺さっていた。扇は金色の炎に包まれていたが、燃えているわけではなかった。扇がパッと開くと、牡丹の形に似た、花々のかたちの炎が無数に宙に飛び散った。
彼は体の自由を取り戻し、たたらを踏んでから数歩後ずさって尻もちをついた。まるで打たれた犬のように身震いする牛車と彼の間に、括り袴姿の若者が割って入った。
若者は扇を取り上げると、牛車に突きつけるように向ける。
「まことに無礼な!」
「いかにも非礼な!」
顔たちの声にも怯むことなく、若者は胸を張った。
「こちらが先約だ。鬼市の客を、連れ出そうとはいい度胸だな。」
若者の手の中の扇が、ひときわ赫い炎を纏い、斜め後ろから仰ぎ見た顔は好戦的な色を浮かべていた。
「どうしても、いうのならば相手になってやる。鬼市が引き受けた依頼の相手を護るのに、なんの遠慮もいらないからな。」
扇がひらりと返されれば、一塊の炎が牛車の車輪に取り付いて、黒く焦がし始めた。顔はぎゃっと悲鳴を上げ、炎を押しつぶして消そうとばかりに、黒い煙をたなびかせながら猛烈な速度で駆け去っていった。
それを見送った若者は扇を真上に投げ上げる。一瞬強く耀いて、扇は灰も残さずに燃え尽きた。同時に、当たり前の夕方の風と匂いと喧騒が戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
振り向いた若者は一転丁寧な口調で話しかけてきた。手を差し出されたが、断って、彼はよろよろとではあったが、自分で立ち上がった。
「・・助かった。」
十代半ばくらいか。庶民の服装ではあるが、身分をやつしているような、品を感じさせる端正な若者だった。
「鬼市の者か?」
異能は十分に見せてもらったが、改めて確認する。
「はい。このたび、あなたの道案内兼護衛を、鬼市の守より命じられました。」
と、頷いたものの、若者はとても気の毒そう、あるいは呆れたように言を継いだ。
「なんで鬼市に依頼したのか理由はよく分かりましたが・・・あなた、本当に行くんですか? その・・なんていうか、・・誘蛾する行燈みたいな体質で?」
彼は曖昧に微笑んだ。
壇ノ浦までの護衛。鬼市への依頼はそれだけだ。鬼市の首脳陣は察しているかも知れないが、現場がどこまで知らされているかは分からない。
----上皇が下された詔だ。拒否権は、ない。いや、一族で下野するのなら可能かもしれない。兄はそれでもいい、と言ってくれたが。
「行くよ。」
捜しに、行くのだ。此方か彼方か分からないけれど。
「お前にとっては非道な命だけれどお前になら見つけられるかもしれない」と、厄介な体質ゆえのこれまでの不始末を笑って許して下さっていた上皇が、おまえが最後の望みだと、まるで縋るようにおっしゃられたのだから。
「----ならば、良いでしょう。」
若者が僅か躊躇ったのは、ここからの困難を思いやっての憐憫だったのかも知れない。
※
※
※
今は昔。京の辻に、何ものもなきところより、俄かに人のいできたることありけり。行きかふ人々、これを見て「あやしあやし」と騒ぎ、走り寄りて抱え起こしたれど、面の色は悪くして、息も絶え絶えなるさまなり。
尋ね聞けば、京のうちに住みける下れる者にて数月前より行方知れずになりたりしが、いかでかその日、俄かにそこに現れ出でたるかは、つひに思い出づることなかりけり。
さて己が家に帰りぬれど、久しく心地惑いて、ほどなく失せにけり。
また夕されば、辻を通るに、牛車も通らぬに、がらがらと車の回る音の聞こゆることあり。世の人の申し伝ふるには、「これは鬼姫の牛車にて、心にかなふ人を率ゐて去ぬるなり」と。
かの現れ出た者も、物につだまされ、魂の異界にまどいて戻りたるにやと、まことに恐ろしきことなりなむと、語り伝えおきたるとか。
【現代語訳】
今は昔のことだ。京のある辻にて、何もないところから突然人が現れたことがあった。通りかかった人々が、騒ぎ、駆け寄って介抱したが、顔色がひどく悪く息も絶え絶えの様子だった。京のいずこかに住んでいた身分の高くない人で、数か月前から行方が分からなくなっていたというが、どうしてその日そこに現れたのかは思い出せない有様だった。家族のもとに戻ったと聞くが、長いこと病みついて、そう長くは生きなかったという話だ。
夕方に辻を通るときに、牛車が通っていないのにがらがらと車輪が回る音が聞こえることがある。それは鬼の姫が乗った牛車で、気に入ったものがいれば連れ去ることがあるのだそうだ。
「京洛御伽草子」の時間軸では、「水無瀬の~」の後になります。そろそろ明らかにしておくと、作中の彼は、「水無瀬~」の青年貴族でと、実は「さへのかみ~」の子ども、だったりします。




