生霊1 すでにとりつかれてる依頼人
穏やかなある昼下がり。佐藤探偵事務所には非常に珍しくヒマを持て余した中嶋がいた。人間関係など疑いだしたらきりが無い昨今、浮気調査依頼など入れ食い状態なわけだがその日は何も予定がない。
こういう時でないとできないからと、請求書の処理をしていた。それはもう物凄い速さで。
『サトちゃんってこういうところマメですよねー、意外と』
キーボードを打つ早さがまるで早送りを見ているかのような光景に、幽霊の遠藤一華は呟く。先日大量についてきた動物霊を全て成仏させたが、力士が土俵に塩をまく以上の勢いでまかれた塩も一華にはまったく効果がなかった。
一度塩を使って成仏させようと試みているので効かないのは知っていたものの、あの量の塩でもだめなのかと驚きを通り越して呆れている。中嶋も、一華本人も。
「つっこみどころは二箇所、会社の金使って物買ってるなら処理は当たり前でマメとは違う。あと意外って言うけどな、そもそも俺はここに経理担当で入ったんだぞ」
「『ええ!?』」
一華の声とハモった声を中嶋は聞き逃さなかった。もう一人の声に中嶋の額に青筋が浮かぶ。
「何で小杉が驚くんだよ。お前の前でも結構請求書の処理とかしてただろうが」
調査報告書をまとめていたらしい小杉綾乃の手は完全に止まっていた。中嶋を振り返り、驚きに目を見開いている。
「そんな、絶対にヤクザとか警察と渡り合える人材だからスカウトされたのかと思ってました」
『ぶふっ! い、言えてる!』
真面目に驚く小杉と口を押さえて笑っている一華に何か言い返そうかと思ったがやめた。小杉だけなら「ボーナス出たからおごってやろうと思ってたのに」で通じるが、一華には今のところ有効な手段が思いつかない。物はあっても仕方ないし、本人が望むものがそもそもない。憑依させて好きなものを食べれば味覚を共有できるので食べた気分を味わえるが、あくまで「気分」だ。そんな事をしても空しくさせるだけだと知っている。
たまっていた請求書の処理を終わらせた時だった。来客を知らせるドアチャイムが鳴り響く。今事務所には中嶋、小杉しかいない為依頼を受け持つのは中嶋だ。小杉はドアに駆け寄り来客の対応、中嶋は依頼内容を受ける準備を始める。基本は予約、アポイントメントなのだがいまだに駆け込み需要も稀にある。気軽にご相談ください、と広告を出しているので基本は追い返さないようにしている。
小杉がドアを開け、笑顔で対応する。
「佐藤探偵事務所……でございます。ご依頼でしょうか?」
探偵事務所、の後に一秒の沈黙があった。なんだ、と思い中嶋と一華がドアの方を見る。するとそこにいたのは中年の男性だった。その隣には中年の女性。
「ええ、あの、突然すみません。予約とかしてないんですがお願いできるでしょうか」
「大丈夫ですよ。……事前確認がないので、初めからお話を伺いますので少々……お時間を頂きますが」
「ああ、それで構いません。よろしくお願いします」
丁寧な物腰の男性。その隣の中年女性は一言もしゃべらない。その女性を見た中嶋、一華は思わず固まる。小杉はところどころ言葉の中に沈黙があるが、一応笑顔で対応していた。
至って普通の男性。その隣にいるのはまったく普通ではない女性だった。何故ならその女性は鬼のような形相で、ずっと男性の首を絞め続けているのだ。そしてずっと「死ね」を繰り返し続ける。
男性は苦しがっている様子はない。平然としている男性と、必死に首を絞める女。一部だけ壮絶なその光景に、中嶋も小杉も幽霊である一華もドン引きしていた。男性を中に招き、中嶋は一華に小さく告げる。
「部屋から出てろ、お前がアレに見られるとやっかいかもしれない」
『りょーかい』
「お話をまとめさせていただきます。最近下手をすれば命にかかわる不吉な出来事が多い。心当たりは一人いるのでその人物の身辺調査をということでよろしいですね」
話を聞いた中嶋がメモをまとめ、男性に確認する。男性はため息混じりに頷いた。
交差点で信号待ちをしていると誰かに後ろから押され危うく轢かれかける、マンションの下を通ると植木鉢が落ちてくる、鍵をかけて寝たのに起きたらドアが開けっ放し、帰ってきたらガスが漏れていた。あげるときりが無い。