生霊8 これが一番手っ取り早い(物理)
「いろいろ説明するのがめんどくさい。とりあえず結婚詐欺のクソ野郎は死んでもいいって会長が言ってた気がするから死ね」
男が反論も何もする間もなく、言い終わると同時に男をブン殴り始める。魂とは言っても法力を持つ総弦の拳だ、普通の人間が殴られている感覚と同じだろう。男はボッコボコにされ、反撃などできない。そんな事をするヒマもなく八つ裂き状態なのだ。殴る蹴る踏みつける、しかも顔中心だ。確実に痛い場所を執拗に攻撃し続けるその姿は最低な事極まりない。
(どこのヤクザだお前は)
(めちゃくちゃ強いけど、喧嘩でもしてたのかな?)
(いや、確かガキの頃から空手やってんだったかな。親父さんも強いからな、なんか教わってるだろ)
見ている限りでは完全に総弦がただのチンピラなのだが、一応総弦なりの作戦があるだろうから様子見を続ける。なんとなくただ殴りたいだけなんじゃないかとも思うが。
すると近くで男を睨んでいた女の雰囲気が変わってきた。明らかに殺意のこもった雰囲気だったのだが、ボコボコにされる男を見てどこか落ち着きがなくなってきたようだ。
そしてとうとう、女の方から声をかけてきた。
『あの、もうその辺にしてあげても』
ボコ、グキ、グシャ、ドカ、バキ
『あの、もしもーし? 聞いてます? もう、それくらいでいいんじゃないかなーと』
男を殺そうとしていた者とは思えない発言に中嶋と一華は内心爆笑する。この女性、明らかにこの光景に怖気ずいたようだ。交差点で道路に突き飛ばす、上から物を落とすなど直接自分の手で殺すという意識の薄い方法でしか実行していない。首を絞めても苦しむ様子もなかったので、相手を痛めつける事に関する免疫がまったくないのだ。暴力という凄惨な光景を見て我に返ったというか欠片程度にあった良心が痛んだというか、要するに総弦のイカレ具合にドン引きしているのだった。
(一華、あれが犯罪者一歩手前の人もドン引く一般人の行いだ)
(総弦さん一般人の枠から外してもいいんじゃないですかねコレ)
呆れているギャラリーをよそに、いまだに総弦は相手をボコボコにしている。実は肉体と違って霊体はタフである。骨折や出血がない分普通に殴られるよりも長持ちだ。それがなおさら苦しみを長続きさせる要因で男にとっては不幸な事だった。
女は自分の言葉がまるっきり無視されていることに慌て始め、とうとう総弦の腕を掴んで直接止めに入る。
『あ、あのね? 貴方に何があったのか知らないけどもう十分だと思うの。ほら、もうずっと殴ってるし』
そこまでしてようやく総弦の行動はピタリと止まる。女性はほっとした顔をしたが、総弦は静かに女性を見つめる。
「アンタは殴らねえの?」
『へ?』
淡々と聞かれて女性は一歩後ずさった。
「今だったら首絞めようが目ン玉抉ろうがあちこち捻り切ろうが頭の形が変わるまで殴り続けようが、効果あるけど」
『いや、あの』
目玉を抉るのあたりで男がビクっと反応し、泣きながらもうやめてくれと訴えてくる。それを無言で踏みつけ……男の悲鳴があがったが無視し、総弦は瞳孔の開いた目で女性を見据えて続ける。
「俺は詐欺が嫌いだからこのアホも嫌いだ。だから殴るし蹴る。アンタは何もしねえの? こんなのどうなってもいいだろ別に」
言われて女性は男を見下ろす。男はひっと悲鳴を上げ、必死に許しを請う。数秒間じっと見つめていた女性だったが、ふうっと小さくため息をついた。
『いえ。なんかもう馬鹿らしくなっちゃった。もういいわ』
どこか諦めたような、しかし抱えていた大きな物を捨てたかのようなその声。そう呟くように言った女性の魂は、すうっと煙のように消えた。
(消えた?)
一華が不思議そうに呟く。
(生霊ってのは強い執着や執念から生まれる。固執しているものがなくなればまた元に戻るさ。幽霊と違ってそこが難しいんだ、要はどう諦めさせるかってところがな)
(つまりあの人は殺したいほど憎んでいた男の情けない姿見て諦めたってこと?)
(それもあるだろうし、心のどこかでもうこんな思いしたくない、救われたいって思ってたんだろう。憎しみを止めたいと思うくらいに優しい人か、変わりやすい女心なのかそれは俺にはわからん)