婚約破棄の、次の日に
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「クラリス、貴様は俺とミーディアの仲が良い事に嫉妬し、ミーディアを虐め遂には階段から落としたらしいな! 婚約破棄だ、さっさと失せろッ!」
「……私、私はそんな事していません」
クラリスが婚約者であるライオスに罵られビクリと肩を震わせた。そんな彼女が必死の想いで訴えた言葉は、空気に溶けていく。
クラリスはグッと唇を噛んだ。最近、ライオスの周りに現れるようになったミーディアという男爵令嬢。王太子で、尚且つクラリスという婚約者のいるライオスにまるで恋人のようにベタベタするのを窘めた事はあったが、虐めるなんて、ましてや突き落とすなどした事もない。
それを訴えようとクラリスは周りを見渡して、そして力なく視線を落とした。周りには、到底クラリスの味方になってくれなさそうな人しかいなかった。クラリスの周りにいた誰もが、王太子であるライオスに媚を売っている人達だった。きっとライオスがそう事前に指示したのだろう。これでは、無罪を訴えても数の暴力に押されてしまうだろう。最悪の場合、本当に暴力を振るわれるかもしれない。クラリスはブルリと震えた。
元来気の弱いクラリスは泣きそうになるのを、背が曲がりそうになるのを必死に堪え、一番最善の結果を出す為に長年の妃教育の賜物であるカーテシーを披露した。
「畏まり、ました」
「おい、婚約破棄にお前の了承など必要ない! ミーディアに謝れと言っているのだ!」
「……していない事で、頭を下げる訳にはいきません」
気の弱いクラリスにも、多少の矜持はある。ライオスにそう言い返したクラリスは、逃げるように馬車へと向かった。
クラリスは引き留める間もなく行ってしまって、興醒めだとライオスは鼻を鳴らした。だが、「これでようやくライオス様と結婚できるんですね!」と嬉しそうに笑うミーディアの屈託のない笑顔を見て気持ちが和らいだ。
そうだ、と持ち直す。自分達の周りにいる人達が言いふらすだろうから、直ぐにクラリスが嫉妬に狂ってミーディアを虐め、そして裁かれたという話は広まるだろう。いつも澄ました顔をしているクラリスが顔を歪める様を想像してライオスは満足げに笑う。
――どうせあんな地味で傷付きの女は次の嫁の貰い手なんか来ないだろう。ミーディアに政治は出来ないから側妃として迎え入れてやってもいい。
ライオスは自分の考える完璧な計画にニィ、と瞳を歪めた。
◇◇◇
ライオスは翌日、ミーディアを伴って学園に登校した。最初は気持ちよく歩いていたが、教室の前につくと隅っこの方で人だかりが出来ていた。
「おい、何に集まっているんだ!」
自分ではない人に注目が集まっている、という事実に腹を立てたライオスが怒鳴りながら人を割るようにしてその集まりの中心に入る。
そこには、絶世の美女がいた。
「……は」
ライオスから、知らず知らずの内に息が漏れる。目の前に座る美女は、色香を醸し出しながらも少女のようなあどけなさも持っていて、余計にその艷やかさを引き立たせていた。
波打つ金髪は蜂蜜を溶かし込んだかのように煌めき、少し垂れた青い瞳は、彼女のミステリアスな美しさを盛り立てている。ぽってりとした赤い唇も、ミルクのような肌も、頭のてっぺんからつま先まで美しい少女。ゴクリと、ライオスの喉が鳴る。そして今さっきまで愛おしいと思っていたミーディアなどもう目に入れず、美しい少女の手を取った。
「美しい君、その名前を知る権利を俺に賜らせてくれないだろうか?」
「ライオス様!?」
ミーディアが悲鳴のような声を上げると「五月蝿いッ」とライオスは一喝した。だが、美しい少女がその声に震えたのが伝わると、コロッと態度を変え「お見苦しい物をお見せした」と頬を赤らめて少女に弁解した。
少女は僅かに眉根を寄せる。
「私が誰だか、分かりませんか?」
その言葉に、こんな事を聞いてくるなんて少女も自分に気があるのではと鼻の下を伸ばしたライオスは必死に考え始める。そこで、彼の肩に手が置かれた。
「僕の婚約者に何か用?」
振り向けば、ローブを被った黒髪の青年がいた。
「ノア様!」
パッと花が咲いたような声が美しい少女から漏れる。少女はライオスの手を振りほどきそのローブの男の元まで行った。自分の手からスルリといなくなった少女にライオスは胸を焦がされる。
そして、ローブの青年を睨みつけた。
「おい、誰だ貴様は! 彼女とどんな関係だ!」
「教える必要ある?」
そのフランクな態度に、一層眉間のシワが深くなった。そんなライオスを見た少女は、ノアに腰を抱かれながら冷たい目をして言った。
「私は、貴方が先日婚約破棄を言い渡した女です」
「なっ……クラリスなのか!?」
「クラリスの顔をこんな至近距離で見ても気づかないなんてね」
微笑み合う二人を周りの生徒が囃し立てる。その内の一人である女生徒がライオスを険しく見つめた。
「貴方に媚びへつらう者だけをわざわざ集めたパーティーでクラリス様を一方的に婚約破棄するんですもの、気づく訳ありませんわよね」
「ぐぅッ。……クラリス! 婚約破棄は撤回だ!」
勝手な言い分をするライオスを今度はノアが冷たく見つめた。
「残念だけど、僕とクラリスはもう婚約しているんだ。君はもう一生、クラリスに手が届かないんだよ」
「じゃあ、王太子として命令して、」
「それも無理だよ」
「えぇ、無理ですわ」
ノアの言葉を、クラリスが引き継いだ。
「貴方は緊急会議の結果、王位継承権の剥奪が決定しました。そして、貴方の行動は反逆罪とみなされました」
「なっ、どういう事だ!?」
「当たり前でしょう、この国の益となる我がホワイリア公爵家を蔑ろにし恋に耽ったのですから」
「ちょっと、どうしてよ! どうしてこんな展開になってるのよ!」
さっきまで黙っていたミーディアが吠えつくと、クラリスはにっこり微笑んだ。
「ああ、貴女は死刑が確定しました」
「……………………へ?」
「なんら不思議ではありません。貴女は王太子をたらしこみ、国を揺るがそうとした"悪女"なのですから」
「う、うそ……だって、小説じゃ……私はヒロインでッ。……っ、そもそも、何であんたがそんな美人になってんのよッ。私が、私が一番綺麗な筈なのに!」
クラリスはコテンと首を傾げた。それから優雅に手を振る。
「では、ご機嫌よう?」
そのまま教室の外に待機していた兵によって二人は捕まった。醜い声を喚き散らす声が聞こえないように、ノアがクラリスの耳を塞ぐ。
その手の温かさ、しっとりとした感触にクラリスは僅かに頬を赤らめた。
――そして5日後、ライオスは喉を潰され森に捨てられた。今頃は餓死か奴隷商人に拾われたかの二択だろう。ミーディアは悪女として絞首刑に処され、ミーディアの生家であるカルディア男爵家は爵位返上と土地が押収された。
◇◇◇
「ふ、ふひゃ―――! 一生分の勇気を使った気がします!」
「かっこよかったよ、クラリス」
さっきまでの威勢の良さはどこへやら、学園のガゼボでクラリスは手をブンブンしながら声を上げた。それを微笑ましそうにノアが見つめる。
頬を赤くするクラリスは、いつもどおりのくすんだ金髪と地味な服装。
クラリスはフヘヘ……と頬を赤らめたままノアの手を取った。
「本当にありがとうございます、ノア様! 貴方の魔法のお陰で、あんなに素敵な淑女になれてライオス殿下をギャフンと出来ました! それに、私と婚約しているだなんて嘘までついてくださり、本当に助かりました」
そう、ノアの正体は筆頭魔術師。筆頭魔術師であるノアはその力の強さからこの国では大公と同レベルの地位を持っている。その為クラリスが断罪された後緊急で開かれた会議にノアも参加していて、それがきっかけで二人は出会い、会議が終わった時にノアがクラリスに話しかけた。
話したいことがあると言われたクラリスは、何時までも王城の一室に留まるのは迷惑だからと判断し、クラリスの生家であるホワイリア公爵家に移動した。ホワイリア公爵家の応接間に座った二人は、紅茶を互いに一口嗜んだ。そして、ノアが話を切り出す。
『あの二人は酷い目に遭うけどさ、それだけじゃ物足りなくない?』
『へ……?』
『二人をギャフンと言わせてやろうよ。そうだね、例えば――自分が手放した少女の魅力に今更気づく、とか?』
その提案に、クラリスは最初やんわりと断った。
『お申し出ありがとうございます。ですが、私にはあの二人をギャフンと言わせられる美貌は持っていません』
そんな弱気な少女の手を、ノアは取った。
『いいや? 君は自分を知らないだけだよ』
そう言うと同時にクラリスの周りが白く光り、気付いた頃にはあの姿になっていた。
自分の姿にはしゃぐクラリスに、ノアは言う。
『君がこんなにも綺麗で、それに加えてもう誰かの婚約者だと知ったら、元婚約者は死ぬほど悔しがるよ』
『えへへ……そうでしょうか』
『うん、それに男爵令嬢の方はプライドが高いから、"自分よりも美人"に"男が取られる"だなんて耐えられないだろうから』
ポワポワ楽しそうにドレスをつまみ、くるくると鏡の前で舞うクラリス。暫くそれを微笑ましそうに見守っていたノアは、ふとクラリスの左手を取った。
そして、キスを落とす。柔らかくて湿った物が左手の甲に触れ、クラリスの顔が真っ赤になった。
『どうか僕に、君の一時の婚約者となる名誉をくださりませんか?』
『ひゃ、ひゃい……』
頷いた瞬間、光が眩く散った。
『今の光は……?』
『気にしなくて大丈夫だよ』
クラリスは赤くなった頬を押さえながら、美しく変化した自分の姿にもう一度顔を綻ばせた。
その時の事を思い出したクラリスは、とても嬉しくなると同時に、今の姿を見て胸がキュゥと痛くなった。
「……でも私が地味なのは変わらないです、ね」
胸の前で手を握りしめ俯くクラリスの頬を、ノアがなぞった。そのこそばゆさにクラリスが顔をあげると、口元がゆるく弧を描いたノアと目が合う。頬をぷにぷにと触ったまま、ノアは話し始めた。
「それは違う、あれもまたクラリスの姿だよ」
「……? 私はこんなにも地味です。あんな姿になれる筈ありません」
うっとりとクラリスを見つめたまま、ノアは首を横に振る。
「人間には、いくつもの分かれ道が用意されている。『自信に満ち溢れていて、万人が美しいと言うクラリス』もその分かれ道の中にあった。僕はそれを引き出しただけだよ」
「じゃあ、私も努力すれば……」
「なれるよ、絶対」
瞳をキラキラと輝かせたクラリスは、「私、頑張りますっ」と宣言した。うんうんと頷くノアを一瞥したクラリスは、何か決意を固めたようにノアを見る。
クラリスは緊張の為か、顔だけではなく耳まで真っ赤になっている。だがそれには気を留めず、口を開いたり閉じたりした後、自身の頬に添えてあったノアの手を取り言葉を紡ぎ始めた。
「もし、もし私があんな女性になれたら、今度は仮初めの婚約者じゃなく、てぇ……ほ、本物の、」
「ん?」
「……っ、やっぱり何でもないですぅ!」
頭から火が出そうな程全身を真っ赤にして、ぴえっ、と泣きそうな声を上げながらクラリスはガゼボから慌てて去っていく。慌てながらも美しいその所作は、すでに大輪の薔薇のようだとノアは紅茶を飲みながら思った。
そして、自身の左手を見た。薬指の部分に魔力を集中させると、真っ赤な紋様が指をぐるりと囲うようにして浮かび上がる。それはさながら指輪のようであった。
指輪のような紋様にキスを落としながら、ノアはくつりと笑った。
「本当に、いじらしくて可愛いなぁ」
クラリスは、仮初めの婚約者だと思っているが、既に二人を結ぶ契約は交わされている。ノアがクラリスの左手にキスを落とし、クラリスが騙し討ちのような形ではあるが「はい」と返事をしてしまった瞬間に二人の魂は繋がれた。
「クラリスは、これでずっと僕のものだ」
緊急会議の時、初めてクラリスを見た。その時のクラリスの唇を噛み締めながらも強くあろうと前を向いている姿に、ノアはどうしようもない程惹かれた。
だからもう邪魔が入らないように、本来はもっと軽い罰になる筈だったライオスとミーディアの罪を魔法の精神操作で重くし、そしてそれに違和感を抱かせないように、端的に言えばあの二人に同情しない魔法を王やクラリスにかけた。心優しく、気弱なクラリスがあの二人の事で憂えるのがノアにとっては我慢ならなかったからだ。
クラリスを唆したのも、魂を繋ぐ契約を結ばせる為だけに行った。クラリスはまんまと騙され、自分を導いてくれたとノアに対して恋情を抱いている。
ノアは薬指の部分に浮き出た紋様をツイとなぞった。
「あぁ、いつ告白してくれるのかなぁ」
――クラリスが魔法で変えられた姿と同じ姿になるまで、蝶が蜘蛛に絡め取られるまで、あと1年。
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