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15-06 恐怖魔術

ニールは両拳を顔の前に置くようにして構えた。エイドリアンはフィスビの肩を優しく押すようにして、下がらせた。フィスビはいまだにエイドリアンがこの喧嘩に乗ったことが信じられずに、口を半開きにしていた。二人の間で勝手に勝負が始まっていていた。

周りにいた客は、二人が喧嘩を始めることに対して、ざわめき始めた。ちょうどグレイスの演劇が終わったことところで、新たな余興が始まるのかと、喧嘩を煽る声があちこちと上がった。

エイドリアンはフィスビが安全なところまで下がるのを確認すると、ニールのように構えを取った。

「言っておくが、魔法は使うんじゃねえぞ」とニールが忠告すると、エイドリアンは頷いた。

エイドリアンは魔術師であるが、ある程度体術にも心得があった。拳で殴るようなボクシングみたいなものではなく、相手を取り押さえる護身術は学校で身に着けていた。ひと昔前は、訓練の一環として、困った酔っ払い相手に魔法に頼ることなく、体一つで取り押さえる仕事をしてきたことなどもあった。しばらくは魔法に頼りきりであったが、いまだに動かし方の勘は残っていた。今回も昔と同じ要領で、相手を取り押さえるつもりで喧嘩を終わらせようと考えていた。

並の者ならば、エイドリアンは易々と、体格差を有利に活かせて、抑えることができただろう。しかし、相手は村一番の剣士にして喧嘩屋のニール・ギセルだった。数々の魔物と野盗などを相手してきて、多くの修羅場をくぐり抜けてきた経験があった。この間も狼退治も、彼にとっては朝飯前のようなものだった。並の人相手では、とても彼には敵わないだろう。


ニールは先手を打つつもりはなかった。相手から出てきたところを返り討ちにしてやろうと、エイドリアンの様子を窺いながら、出方を待った。エイドリアンの護身術は、基本的に相手が攻撃してくることから始まる、受け身的な技を主体としていた。最初は二人は攻撃することなく、一定の距離を開けたまま、睨み合いがしばらく続いた。

フィスビはいい加減、この酔っ払いの男に絡みにはうんざりしていた。さっさとこんな下らない喧嘩は終わらせようと彼女は考え、恐怖魔術を再度かけようとした。男は魔法を使うなと警告してきたが、正直こんなやつの言うことなんて聞かなくてもいいと思っていた。

「メファリア、やるわよ」

メファリアは恐怖魔術をやたらと人に使うところを嫌う節があるようだったが、知人の助太刀とならばと思い、承諾する。


「「恐怖は膨らんでいく」」


ニールに根付いていた、萎えかけていた恐怖の芽にまた力を注いでいく。このような、人の掛け声で盛り上がっている状況ならば、恐怖の効果は限りなく薄いかもしれないが、相手の集中の邪魔にはなってはくれる。それにより、この喧嘩はエイドリアンの方を有利へと導いてくれるとフィスビは信じた。

恐怖の波がニールに押し寄せてきて、彼はその異変にまた気づく。彼は舌打ちをして、エイドリアンの方へ睨む。

「…魔法は使うな、っつってんだろうが!」

ニールはそう怒号を上げると、深く踏み込み、右拳を振るう。腰は捻り、勢いをつけた重い一撃なのだが、その動作がすさまじく早かった。エイドリアンも、その急な攻撃に対して、咄嗟に反応することができなかった。彼はせいぜい、両拳を顔の前に盾のようにして構え、来るべき衝撃に備えた。よけることなんて、とてもできなかった。

ニールのパンチは、エイドリアンの両腕に少し接触することによって勢いが鈍ったが、それでも十分だった。拳はエイドリアンの左頬に着地するようにして吹っ飛ばし、腕は勢いのまま振りぬかれた。エイドリアンは殴られた衝撃によって、後ろの方にあったテーブルの方へと、背中から倒れこんだ。相当なダメージだったのか、テーブルと床には少しの血が飛び散っていた。衝撃の際、横にいたフィスビは小さい悲鳴を上げて、巻き込まれないようと少し後退ってしまう。

勝負は一瞬で決してしまった。周りの客は歓声を上げていた。またエイドリアンに、まだ戦えるだろう、立て、と焚きつける者もいた。いつの間にか賭けをしていた連中もいたらしく、簡易的な金の受け渡しが見られた。ニールは肩で息をしていて、苦い顔をしていた。

「くそ!なんだこれは!」

依然と、変な感覚はぬぐい切れていなかった。不自然に感じる不安が、彼を飲み込むようにして包まれているのを感じていた。魔術師は痛手をとって倒れているのだが、いまだに呪いは解けていなかった。ふと、魔術師の横に立っていた少女の方へと振り向く。彼女は苦虫を嚙み潰したような表情で、ニールを睨んでいて、目が妖しく光っているように見えた。瞬時にこの嫌な気持ちは、魔術師の男の方ではなく、この少女が原因であることを悟った。

「ガキの方か!」ニールは威嚇するようにして、フィスビを睨む。

フィスビは吠えてくる男に対して怯み、魔法を思わず解いてしまう。ニールから不安が離れ、いつも通りの平常心を取り戻していくのを感じた。

「ニール様!!」

ニールはこの後どうするか、鼻でうるさく息をしながら考えていたところ、一人の修道女が声を上げてこの場に入ってきた。その修道女はマーサだった。

マーサが倒れている魔術師のところに駆け寄り、大丈夫ですかと、語りかけた。魔術師は小さく、問題ないと答えると、跪いていたマーサが、非難してくるような顔でニールを睨んだ。

「ニール様!何故でございますか?あの時、もうこんな暴力は振るわないと、約束して下さったじゃないですか!」

マーサがニールの方ではなく、魔術師の方を心配するような素振りに、彼は渋面した。もちろん、傷ついている方に駆け寄るのが当たり前なのだが、彼女が魔術師側に付いているのが、どうも気に入らなかった。

「同意の上の決闘だ。しかも、きっかけは奴の方から作ったものだ」

色々のことがありすぎて、魔術師は特に何も悪いことはしていなく、精神攻撃は彼の隣にいた少女のものによるものだと、ニールは一旦忘れていた。

マーサは回復魔術を、魔術師の男にかけている。以前、馬車の上に一緒に同乗していた際、同じものをかけてもらっていたのを覚えている。マーサは続けてニールを非難してくる。

「決闘だなんて!そんなことをして何の意味があるというのですか!どんなことがあっても、人に対して暴力を振るっていい訳がありません!」

回復魔術のおかげで、失神しかけていた魔術師の顔に生気が取り戻してくる。マーサの隣に、一緒に跪いていた少女はまだ、ニールのことを睨んでいた。気づけば、場は周りの客が野次のように囲っていて、喧嘩の後始末をまじまじと眺めていた。人の束の中に、ダグラスとギルドの受付嬢のアリカもいた。そんなことはなかったのだが、ニールは全員一人一人が、彼のことを指弾しているように見えた。

ニールは、全てが馬鹿らしく思えてきた。母親との邂逅、突然課せられた八百屋の借金に、彼に対する理不尽な非議。例え自分の過失が多少含まれていようとも、この結末には納得はいくことができなかった。

「そうかよ」ニールはマーサに対して苛立ちを覚えていた。彼女は魔術師への手当が終わり、ニールの方へ悲痛そうな表情で見つめ返した。

「じゃあ、あんたが誰かに襲われたとしても、俺はそれに対して止めることはもうできないってことだな」

ニールはそう言い捨てると、踵を返し、喧嘩の場を去っていった。捨て台詞にマーサがどう反応するのか、見たくはなかった。人の囲いを通り抜ける際、アリカのつぶやきが聞こえた。

「うわっ、サイッテー」と、とても侮蔑の込めた物言いだった。

ニールは構わなかった。なぜなら、彼自身も、そう感じていたからだ。


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