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プロローグ ②

開かれた扉口には、背の高い中年の男がそびえ立っていた。彼は中々特徴的な髪型をしていた。ライオンのように顔の輪郭に白い髪を縁取っており、顎の方も白髭で覆われていた。当初会ったときは、まるで花が咲いているような顔をしているとのことでクスリと笑えたことがあったが、今となっては、奴の顔は恐怖の対象でしかなかった。眉毛がとても濃くて、表情を変える度に、まるで別の生き物かのように動き回る。そんな愉快そうな相好を持つ男性だが、怯える彼女を見つけるなり、口元を歪めるようにして不気味に笑った。


「ここにいたのですか、ボルドウィン夫人。探し出すのに苦労しましたよ」

「ジョゼ・プレムタック!」


忌むべき男の名前を非難するように声を上げる。しかし、怯えている暇などあるはずもなく、ボルドウィンと呼ばれた女性は、再び念じるのを再開する。ジョゼは、ボルドウィン夫人が何をしているのかを察知し、阻止するべき急ぎ足で駆け寄る。ボルドウィンは逃げようとするも、足がすくんでいて立ち上がることができない。彼女はその場でうずくまり、丸まった状態で伝言を成し遂げようとする。ジョゼは、亀のように籠った女の頭を狙うようにして蹴り上げた。ボルドウィンはたまらず集中をやめてしまう。ひるんでいる隙にジョゼはボルドウィンの握っていた紙を取り上げ、それをビリビリと破いてしまう。

「油断も隙も無い女だ」散り散りになった紙を無造作に宙に捨てる。紙吹雪が舞う中、ボルドウィンは口から血を垂らしながら、ジョゼを睨んだ。

「…ジョゼ。こんなことをしても、無駄です…。今すぐやめなさい…」恐怖に打ちひしがれていても、気丈に振る舞ってみせた。

「私達だって、貴公らと上手くやっていこう努力はした。それを拒んだから、強硬手段に出るよう余儀なくされたのだ」

「子供に禁術を教え込むだなんて…」

ボルドウィンは壁に背を預けるようにして、座ったままジョゼ・プレムタックを睨んだ。

「禁術とて国が勝手に定めたこと。こんな面白いもの、放っておけるはずもなかろう。『恐怖魔術』は必ずや、プレムタック家がものにしてみせようぞ」

まるで観客を楽しませるマジシャンかのように、ジョゼは両腕を開いた佇まいを取ってそう宣言した。

そんな余裕のポーズを取っていると、彼は少し表情を曇らせた。

「…おや?」少し頭を上に傾げたまま、彼はそう呟く。何か異変を感じ取ったようだ。

ボルドウィンは何が起きたのか察した。

「気づいたようね、ジョゼ」ボルドウィンは倒れたまま不敵に笑う。とても笑っていられる状況ではないが、弱いところを見せたくないがために、虚勢を張る。

「結界魔術師であるあなたなら、分かるのでしょ?」

ジョゼは両腕を下し、ボルドウィンの方へ向き直る。

「外にいるブラウンが結界を貼ったのよ。あなたが私達をこの屋敷の中に閉じ込めたと思ったら、大間違いよ。逆に、あなたをこの中に封じ込めることにしたのだから」

彼女は口から血を垂らしながら、そう微笑んで言った。

しかし、ジョゼは悪態をつかなかった。悲しむこともなく、残念そうにしていない。

「ああ…、そのようだな」

随分とあっさりとした返事で、ボルドウィン夫人は眉をしかめる。

「…これであなた達は外に出ることができないのよ…」

「重々承知している」

彼女はジョゼの落ち着きようが解せなかった。他者の結界は簡単に破ることはできないはずだ。彼はそれを破る術を持っているとでもいうのか。ここで、相手が絶望していない様子が、どうも不気味で仕方なかった。

「貴公らが、私達プレムタック家をこの屋敷の中に封印しようと企んでいたのはマクファデンから聞いている」とジョゼは続けて話す。彼は応接間の中央に位置しているアームチェアの一つの前までくると、おもむろに座った。

それならば、何故易々とその運命を受け入れたのか。まるで、この屋敷に封印されることを喜んで受容したかのようだ。ジョゼは膝を組み、肘をアームレストにかけて顎をつまんだ。

「…考え直してくれないのだろうか、ボルドウィン夫人。私達に協力してくれないか」

「世迷い事を…。するわけないでしょう」

ジョゼの落ち着きように薄気味悪く感じながらも、彼のお誘いはまた断ってやった。

「実に残念だよ、ボルドウィン夫人。一応チャンスを与えてやった。ユリーカは貴公のことを気に入っていたから、ひどい目に遭わせたくはなかった。…が、こっちに味方してくれないのであれば、仕方あるまい」

ジョゼは腰をかけたまま、顔を横に振った。ユリーカの名前にボルドウィン夫人は顔をしかめた。


ユリーカ。ジョゼの息子にして、プレムタック家の長男。ボルドウィンはその子と何回か言葉を交わしたことがあるのを覚えている。落ち着いた雰囲気を持つ、プライドの高い男の子だ。満足に魔術が使えないからといって、他の者が彼のことを揶揄していた。そんなユリーカのことをかばう等して、彼女は気にかけていた。そんなことから、彼がボルドウィンに対して好意を持ってくれているのだろうか。

しかし…。そんなユリーカがあんな恐ろしい化け物になってしまうなんて。

ボルドウィンは下唇を噛んだ。


彼女はそのまま何も言わずに意気消沈していると、部屋の外から別の男の人の呼びかける声が聞こえてきた。


「…こっちだ!」


ジョゼは声を張り上げ、外にいる人をこちらに呼び寄せた。

まもなくすると、背が低めな赤髪をした中年の男性が入ってきた。口髭を生やしていて、若干、体に比較して頭が大きく感じられる。プレムタック家側についてしまったマクファデン男爵だった。彼は部屋に入りボルドウィンを見つけると、脱力したようにため息をついた。


「こ、ここにいたのか。ふう…まったく…、さ、捜し回ったわい」

マクファデンは少し息を切らしながら部屋の中へ入ってきた。

「…マクファデン。何故この人達に付くような真似を…」

「プレムタックの恐怖魔術と…、私の死霊術ネクロマンシーは相性がよくて、な。組むことによって、得られるシナジーは計り知れない。はあ…、そこから得られる成果は、この目で見届けたい…」

マクファデンも運動を強いられていたせいか、息がまだ整えられていなかった。彼は少し疲れた様子を見せながら、ジョゼの反対側にあるアームチェアの方へと座る。彼もまた、ボルドウィンが戦意喪失しているところを見て、緊張を解いていた。

二人の男が向かい合いながら座っている。暗くはあるが、若干の青白い光が部屋を包んでいた。結界のおかげで、この青い明かりがあるのだろう。二人の男が蒼白に照らされているのが何とも薄気味悪く見える。マクファデンは背もたれに体を預けながら、小さくふうふうと呼吸を整えようと努めていた。ジョゼはデカンターに手を伸ばし、マクファデンに飲み物を勧めた。すぐ近くに自分がいるというのに、舐められている態度を取られていることに、ボルドウィン夫人は少し憤りを感じた。しかし、実際に抵抗する力はもうなくなっていて、横目で彼らのやり取りを睨むことしかできなくなっていた。


「もう終わりだよ。プレムタックに楯突く者はもういない。この屋敷で意識ある者は、貴公しか残っておらぬ」

ジョゼは水を呷り、コップをテーブルの上に置いた。「マクファデン。お代わりはいるか?」

マクファデンは首を横に振り、憂えている表情をジョゼに見せた。彼の様子が少し可笑しいと気づいた。

「マクファデン?何かあるのか」

「ジョゼ。…このままでは、ネクロマンシーが完成しないかもしれん」

マクファデンはようやく息を整えられることができた。彼の返答にジョゼは瞠目する。

「…ど、どういうことだ?全員を恐怖にかければ、うまくいくと言ってたではないか」

ジョゼの言葉に少しの動揺が含まれているのが分かる。先ほど、あんなに余裕を見せていたのに、ここで揺らいでいるのはどういうことなのだろうか。

「それで生きていることが条件にな。…ほとんどの者がショック死している」

と、マクファデンは説明をする。

「お前の息子の…ユリーカ。調子に乗って、次々と全員を恐怖魔術で死に追いやっている」

ジョゼは信じられないという顔で椅子から立ち上がる。

「…そ、それでは。計画は…」

「恐らく失敗になるかもしれない」

ジョゼはバタリと椅子にまた崩れるようにして座った。顔には失望で塗りつぶされていて、先ほどあった余裕が見られない。

ボルドウィンの存在お構いなしに計画だのと話している。彼女は最早脅威と見なされていないのか。

「計画」とはなんのか。一体この人達は何を目論んでいるのか。ボルドウィンには見当がつかなかった。しかし、よからぬことを企んでいるのは確かと言える。


「…ユリーカ。あれほど図に乗るなというのに…」ジョゼは眉間を指でつまみ、唸るようにして呟いた。マクファデンは肩をすくめる。彼はそこまで落胆していなようだ。

「元々悪い賭けではあったのは確か。まあ、ダメ元で挑んでみたことだ」

とあっさりとした口調で応える。

ジョゼはぐったりしたまま、頭だけを傾けるようにして、いまだに座りこんでいたボルドウィン夫人の方を見る。

「彼女の精神から搾取することはできないか?」

ジョゼの言葉にボルドウィンはぎょっとする。搾取、という穏やかならない言葉に思わず体が震える。

「難しいかもしれないが、もうそれしかないだろう」とマクファデンは頷きながら応じる。

「他の来客はもう既に死んでしまっている。彼女の精神に頼る他あるまい」


ボルドウィンは二人の会話を聞いていると、命の危険を感じた。目的はなんだか分からないが、彼女を更なる「恐怖魔術」をかけようとするのが推測できる。それによって何が得られるか分からないが、先ほど呟いていた「計画」と関係していそうだ。

「そう…それしかない」とジョゼは自分の組んでいる両手を見つめながら、うんうんと頷いている。今の二人とはボルドウィンの方に注目していない。彼女はその隙に、悟られないようにして右手を懐の中に忍び込ませる。このまま自分が生きていたら、もっと恐ろしい目に遭うことは確かだ。


「では、早速ユリーカを呼び寄せよう。そして、今度こそ…」とジョゼはまた立ち上がり、人差し指を立てて厳格そうに宣言する。

「…あの子にはやりすぎないよう、私の方から強く言っておこう」

「…そうはさせないわよ」とボルドウィンは苦しそうにうめく。男性の二人が彼女の方へ振り向く。

「ボルドウィン夫人。申し訳ないが、あなたには糧になってもらおう。これも必要なことでね」とジョゼが話す。

「なんだかよくは分からないが、私が死んでいる方が、あなた達にとって都合が悪そうね…」

声は震えていたが、威勢は手放していない。よく見ると、彼女はナイフを握っていることにジョゼは気づく。随分と強気な女性だと、彼は少し感心する。

「無駄な抵抗は…」とそこまで言って、ジョゼは彼女の真意に気づく。「…待て!早まるな!」

彼は急いで駆け寄ろうとするが、もう既に遅かった。


ボルドウィンは自分の胸の間めがけて深くナイフを刺した。中々思い切りのある行為であり、並の婦人にはできない真似だ。彼女が男勝りな性格であるが故にできたかもしれない。

(…あなた達の思い通りにはならない…)

彼女は口から血を吐きながら、崩れ落ちた。近くまで駆け寄ってきたジョゼは走るのを止め、身を翻して天を仰いだ。

「…ああ、まったく!…マクファデン!後どれくらいの命が必要だというのだ?」

「最低でも後三人分の命が必要となる。それでようやく第一段階がクリアされるのだが…」

意識が薄れていく中、二人の会話が微かに頭に入ってくる。彼らが一体何の話をしているのかまったく見当がつかない。しかし、彼らは困っていると見え受ける。この自決で一矢報いたと思うと、この判断は間違っていないと見える。

「三人…!後三人分、どこで賄えばいいというのだ!」

ジョゼの悲鳴が頭の中で響いた。彼女が命を落とす寸前まで、その言葉が頭の中に残った。


…後三人。


……後三人。


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