02-04 馬車の中
すると、今までの彼女とは思えないほどの饒舌さで、グレイスは『谷底の悪鬼』の劇について話し始めた。
歌が多いミュージカルであること。
谷の下に悪鬼が住み着いていて、年に一回その姿を現せて、上にある町の人々を怖がらせに行くお話だということ。
そこで、主人公である一人の男の子が勇気を振り絞って、その悪鬼を追い返すという展開があること。
その中にあるキャラクター達の魅力と、彼らのやりとりの面白さ。それから、時折入る独特な歌が素晴らしいであることを、グレイスは楽しそうに、早口交じりに説明した。
その変わりように、ニールは驚きを隠せなかった。彼女は無口であるから、そこまで話が長くはならないと思っていたが、グレイスはとても食いつきがよくて、話せば話すごとに元気が出てくるようで、彼女の説明に終わりが見えてこなかった。
ついに、ジャコビンは見かねたのか、大きく咳払いする。
「そこまででよろしいのでは、シスターグレイス」
途端に遮られて、グレイスの顔が百から一へと元気がなくなった。笑顔だった彼女の表情が一気に悲しいものへと変わった。
「…すみません」と怒られた子犬のようにグレイスは小さくなる。そんないじらしい様子をケルシーは可愛く感じて、抱きしめてあげたいという感情に揺さぶられたが、人の目がある手前、彼女はぐっとこらえた。
「いやあ、ありがとう。おかげで面白いもの聞けたわ」ニールはとりあえず感謝を告げた。途中から話が頭に入って来なかったのが正直なところではあるが。
「ふふ。グレイスちゃんは本当に演劇が好きで、私にいっぱい話してくれたことなんかありましたっけ」とマーサはにこやかに笑う。
二人からの思いやりのある言葉に、グレイスは愛想よく小さく頷くようにして感謝を示したが、咎められるのが怖いので、それ以上の言葉は出さなかった。
「…俺も一つちょっとしたお話があるんだけどな。演劇ではないが、今向かっているジェスタイデル町に関してのだ。お返しというわけではないが、聞いてみたいか」とニールが切り出した。
そこで彼は一旦止めて、他の同乗者の様子を見まわした。誰も催促していなかったが、馬車に乗り合わせていたグレイス、ケルシー、ジャコビンとマーサは彼の方へと見る。彼がどう続けるのかを待っていたのだ。
みんなの注目を取れたことを確認したニールは微笑み、そして語り始めた。
「実はこの町から北の方に少し離れた場所にプレムタック屋敷というものがあってな。なんとも不気味な館であるんだ、これが」
グレイスは少し体をこわばらせた。ひょっとしたら怖い話になるのではないかと彼女は予測して、抱えていた本をまたぎゅっと抱き寄せた。
「六十年前…」と彼は続けた。「プレムタックの名をする貴族たちがそこに住んでいてな。どうも領民に対しては容赦のない連中でね。悪名が轟いていた。
それに妙な研究をしていたという噂もあった。禁術を開発していたという話があったんだ。『恐怖魔術』…というものを、プレムタックの人が会得しようとしていたのだ」
ニールはまた話を止め、みんなの様子を窺った。森の中のどこかで、フクロウがホウ、ホウと鳴いた。前の馬車でどっとシスター達の笑い声が聞こえた。ダグラスが何か面白いものでも言ったのだろうか。向こうはあんなに明るそうだというのに、まるでこっちだけ別世界のように、暗幕をかぶっているかのような感じだった。向こうの馬車と違って、こっちにはランプがないことも、それに寄与しているかもしれない。
「禁術に手をつけているからといって、他の貴族が目をつぶっているわけにはいかなかった。どうにかして止めさせようと考えた。プレムタック家の人はそれを煩わしく思い、気にかけないようにして、研究を続けた。しかし、貴族達はこれを王国に報告してね。家の者を取り押さえる準備を始めていた。
そんな思惑が暗躍していたところ、プレムタック家の人が他の貴族達を食事会に誘ったのだ。仮にも伯爵家のお誘いだからね。逮捕が決定していない間、その好意を無下にすることはできなかった。半分罠であることを疑いしも、貴族達はプレムタック屋敷で開かれた食事会に参加したのだ。…そして事件が起きた」
穏やかならない言葉に、グレイスは息を思わず止めてしまう。今のところ、そこまで怖い展開はなかったが、ニールに語り方が妙に様になっていて、彼女の心を少し揺さぶらしていた。




