恋は甘いか酸っぱいか
その実はラズリというらしい。もともとは薄い苺のような味がする、どの民家にも植えられていたようなありふれた木なのだという。
それをドガが接ぎ木や受粉方法、日当たりや土壌などの生育環境を変えてみたところ、昨年あたりから驚くほどおいしい実をつけるようになったとのことだった。
ロルにとっては、願ってもない出会いであった。
濃厚な甘みと程よい酸味、それだけではなく少し大人っぽいクセのある味が加わって、今までにない果物である。そのままでももちろんおいしいが、スイーツに使用したらどう変化するのかとても興味がある。
「頼む!この果物を多めに分けてくれ。どうしてもこれで新しいスイーツを作ってみたいんだ。絶対にいいものができる、絶対に」
興奮気味に掛け合うロルに、コルンは驚き、ドガは嬉しそうに顔をくしゃっと崩して快く了承してくれた。
厨房には、そのラズリの実が山と積まれている。それを丁寧にひとつずつ加熱用と飾り用に分けて、処理していく。薄い皮と果肉の間にうま味が集中しているらしく、果肉だけでも十分おいしいが今回は丸ごと使用することに決めた。
初めての果物に、少し緊張するロルである。なにせ失敗したら代わりに新しいラズリを買ってくる、というわけにはいかないのだ。一つも無駄にしないよう、慎重に扱っていく。
完成したらその試作品を持って、コルンとドガにも食べてもらうつもりだ。
「これがそのラズリってのを使った新作?なんか見た目は色の薄いベリーみたいだね。でもすっごいいい匂いがする」
ジーニーはできたばかりの新作スイーツを前に、興奮していた。身を乗り出して覗き込んで、くんくんその香りをかいでいる。
ロルは苦笑しながら「つまみ食いすんなよ」と釘をさす。
「わかってるって。コルン姉ちゃんが先だろ?なんてったって彼女だもんなぁ。最初に食べさせたいよなぁ」
冷やかすようににやにやしてそう言うと、ロルに脳天をぐりぐりされる。慌てて逃げ出すジーニーである。
「……彼女なわけないだろ。知り合ったばっかりだってのに」
――それに、俺は人間じゃないし。なんてったってヴァンパイアだからな。しかも生粋の。怖がられるにきまってるだろう。
心の中でつぶやくロル。
目の前にはつややかに瑞々しく輝くラズリのケーキ、そしてレモネンとラズリを合わせたクリームを挟みこんだマカロンがある。
今日はこれからこれをもってドガの家へ行くのだ。コルンとは王都の門の前で待ち合わせている。
ラズリを使った商品は、農場で入手して以来店にはまだ並べていない。この豊かな味と香りを生かすため、時間をかけてさまざまな試作を何度も繰り返して、ようやく満足のいくものが完成したのだ。
これを食べて二人がどんな反応をするか、いつになく緊張するロルである。
店の戸締りをジーニーに任せて、ロルは店を出た。
まだ夕方とはいえ外は明るい。ここのところの悪天候もすっかり落ち着いて、ここ数日は汗ばむくらいの陽気だ。
今日はコルンが休みということで、普段着でくるといっていた。あのメイド服姿も悪くなかったんだけどな、と内心思いつつも、久しぶりに会える喜びに足取りは軽い。
すでに待ち合わせ場所にきていたコルンとともに、ドガのもとへと向かう。
「大変だった?試作。随分時間をかけて何度も試作してるって、ジーニーがこの間王都にきて教えてくれたの」
いつのまにかひとりでコルンに会いに行くようになっていたジーニーの行動力に、驚かされるロルである。余計なことは言っていないだろうな、と嫌な汗が流れる。
「まぁ、ドガが丹精込めて作った実だからな。無駄にはできないし、いいものに仕上げたかったからさ。あとは気に入ってもらえるかどうかなんだけど」
「心配?あんなにおいしいスイーツを作れるのに」
一応ほめてもらえているようである。ロルは顔をゆるませつつ、手の中の箱を見つめる。
「食べてくれる人の顔を想像しながら作るってのは楽しい反面、喜んでもらえるかどうか不安でもあるからな。ドガを紹介してくれたコルン、お前にも気に入ってもらえたらいいなと思ってる」
ロルが真剣な表情でそう言うと、コルンは嬉しそうにはにかんでいる。
「うん、楽しみにしてる」
二人の間に流れる空気は、まだぎこちない。どんな会話をしてもなんだか気恥ずかしく、うまく話せないのだ。体も顔もぎくしゃくして、いつもの調子がでないのだ。
――こんなになるんだな、誰かを特別に感じるっていうのは。
ラルベルがダンベルトと接するのを見ていてなんとももどかしく、はっきりしろよ!とよく焦れたものだが、今となってはその気持ちがよく分かる。特にダンベルトの気持ちが。
ちらりと隣のコルンを覗き見る。ロルより頭一つ分小さい茶色い髪をした普通の少女だ。普通の、というと語弊があるかもしれないが、誰の目から見てもきっと感じが良くてかわいい。造作がどうこうというより、仕草とか表情とか。とにかく全部がロルにとっては好ましく映るのだ。
ロルの初恋は、果たしてたっぷりの蜜がかかったように甘いのか。それとも未熟な果物のように酸っぱくて食べられたもんじゃないのか。どちらだろうか。
少なくとも自分からこの気持ちを告げる時がもしきたら、それはきっと自分が何者であるかも同時に打ち明ける時だろうと、ロルは陰る気持ちに心の内でため息をついた。
結論から言うと、ドガはラズリを使ったロルの試作品を目にして男泣きした。そしてそれを口に運んでまた、男泣きした。
果たしてあれほど泣いて味がわかるのか微妙だが、いたく気に入ったようでこれからもロルのためにラズリを作り続けると約束してくれた。どうやら長年かけて改良したものの、誰にも必要とされないままひっそりと枯れていくのではないかと思っていたらしい。ロルがこれほどほれ込んでくれたことが、情熱を持って作ってくれたことが、何よりうれしかったようだ。
そしてコルンは声もなく震えていた。まさにツボの味だったらしく、もし販売されたら絶対に買いにいきます!と興奮気味に熱く手を握られ、思わず赤面したロルである。
二人の反応にほっとするロル。実のところ心配で胃がキリキリしていたのだ。ラルベルは基本的に何を食べても嬉しそうにするからあまり気にならないのだが、やはり今回はもし気に入ってもらえなかったらどうしようと思っていたのだ。
できることなら、このラズリを使った商品をゆくゆくは店の看板商品にしたいと思っているロルである。もっと他にも活用できると思うし、他のものと組み合わせることでおもしろい相乗効果が生まれそうな気がする。
俄然気合の入ったロルは、さっそく翌日からラズリ商品を販売し始めた。
そしてその評判を聞きつけた客たちの間で、ラズリは『幻の赤い宝石』として一気に広く知れ渡ることになるのであった。
その噂を聞きつけてやってきたものが、もう一人。
そしてたまたまその日にロルに会いにやってきたコルンが、それを見るのは販売を始めてから一月後のことであった。