レモネンは恋の味?
ロルの店は、今日も変わらず長い行列ができていた。
すでにショーケースの中が寂しくなってきていた頃、一人の少女が町をさ迷っていた。
昨日仲の良いメイド仲間のミリーに、人気のスイーツショップがあるという話を聞いたばかりのコルン。
ようやく仕事にも慣れて、家への仕送りを差し引いても、ちょっとしたものを自分のために買うくらいの余裕が出てきたところだ。とはいえ、実は先週からメイド仲間の一人が体調を崩してしまい、目が回るほど忙しかったのだ。でも、困った時はお互い様である。
ようやく忙しさも落ち着いて、今日は久しぶりのお休み。
――お休みも返上で頑張ったんだもの。たまには自分にご褒美をあげないとね。
コルンは、王都から遠く離れた小さな町の出身である。割のいい仕事を探しに王都へきて、先々月からある貴族家のメイドとして働き始めたのだ。幸い雇い主はとてもいい方で、旦那様も奥様もとても良くしてくださる。仕事には厳しいけれど、きちんとやればお給金にも反映してくださるのだ。
つくづくいい仕事に巡り合えたと感謝するコルンである。
王都の隣に位置するこの町にきたのは、今日が初めてである。きょろきょろと地図を片手に町を歩くコルン。
普段は紺色のお仕着せにエプロンドレスというザ・メイドといった服装のコルンも、今日は一張羅のワンピースを着ていた。
――ミリーの話では、確かこの辺りにあるはずなんだけど……。
ミリーが書いてくれた地図を見直すコルン。ミリーはとても気のいい同い年のメイド仲間だ。細かいことにはこだわらない、こざっぱりとした性格というか。それは、ミリーが書いてくれた地図にも表れていた。
ざっくりと書かれた大通りにいくつかの分かれ道。他には特に目印となる店や方角などは書いておらず、大分おおまかに『このへんだよ』と印を付けてある。
途方に暮れて、辺りを見渡すコルン。
確かに大きな通りはここで間違いない。分岐する道も多分合っている。でも――。
「いくらなんでもざっくりすぎるよ……。ミリー」
王都も当然のことながら、大変に広く賑わいのある町が広がっている。だがここも、想像していた以上に大きい。大通りに店が集中しているから細道などに迷い込むことはなさそうだが、長く続く大通りの両脇にはたくさんの店が立ち並んでいる。
さすが港からの輸入品が一手に集まる商売の町だけあって、見たこともない果物や珍しい雑貨などが店先に積まれている。王都とはまた違う、活気のある賑わいだ。すれ違う人たちも、他の国からの行商人や旅行者とおぼしき珍しい衣服に身を包んだ人も多い。
物珍しさに、思わずあちらこちらで足を止めてしまうコルン。
だが、そんなゆっくりと散策していては人気のスイーツが売り切れてしまう。慌ててきょろきょろと目当ての店を探し始める。
――その店の名前は確か……。
「いらっしゃいませー!お姉さん、初めてのお客さんだよね。ゆっくり見て行ってね」
店番の子だろうか。背の小さい男の子が元気な声でコルンに声をかける。くりくりとしたくせっ毛と大きな瞳がかわいい。そのあどけない笑顔につられて、にっこりと微笑み返すコルン。
ショーケースにはもうあまり品物は残っていない。開店してから二時間くらいしかたっていないはずだが、予想以上に人気があるようだ。ミリーには黒苺のタルトとメローのケーキが定番だと聞いていたのだが、そのどちらも空っぽである。
がっくりと肩を落とすコルン。せめてどちらか一方でも残っていれば、と思ったのだが。残っているのはクッキーなどの焼き菓子と、木の実などがぎっしり入ったパウンドケーキ、マカロン……それと。
「うわぁ、これきれい……」
コルンは、ショーケースの一番左にひとつだけ残っていた商品に目を奪われた。
爽やかなグリーンとイエローと淡いピンクが層になったそのスイーツは、まるで光を集めたようにきらきらと輝いている。ゼリーとかムースだろうか。淡いピンクのムースのような下地の上には、グリーンとイエローが入り混じったクラッシュゼリーのようなものが重ねられていて、その上には柑橘系の果実が彩り鮮やかに飾られている。
まるで色ガラスや宝石を集めたようなその美しさに、見とれてまじまじとショーケースを覗き込むコルン。
その姿に気が付いて、店の奥から誰かが出てくる。
「いらっしゃい。それはレモネンとメローを使ったムースゼリーだよ。爽やかな甘みが好きなら、特におすすめ」
突然の声かけに驚いて、弾かれたようにそちらを向くコルン。
自分と変わらない年頃の、爽やかな青年がそこに立っていた。先ほどの男の子と印象が似た青年だが、それよりは少し飄々とした大物感を漂わせている。見た目はちょっとかわいい感じだが、口元がいたずらっ子のようでなんというか……。
思わずもじもじとうつむいてしまうコルンである。
「えっと、ごめんね。突然話しかけてしまって。良かったら今試作中のケーキがあるんだけど、味見してみる?」
そう言って裏に入ると、小さなスプーンにスポンジの上に薄茶のクリームが乗ったものを乗せて、コルンに差し出す。少し戸惑いつつも、うながされるままそれを口にパクリと入れる。
「……っ、おいっしいーっ!」
思わず大きな声で感嘆するコルンである。
薄茶のクリームはちょっぴりビターなキャラメル味のクリーム。そしてその下のスポンジには栗が混ぜ込まれているらしく、ほくほくと口の中で味わい深い。渋皮付きのマロングラッセが小さく切られてクリームの上に添えられていて、その組み合わせもばっちりだ。キャラメルと栗の組み合わせはちょっと濃厚すぎてしつこく感じられることもあるが、時折鼻を抜けていく爽やかな風味がさっぱりとさせてくれる。
とにかくひとつだけ言えることは。
「これすっごくおいしいです!キャラメルと栗の濃厚な甘みと渋皮が大人のスイーツって感じで、とてもおいしいです。なのにしつこくなくて爽やかで。隠し味に何か使ってらっしゃるんですね、きっと」
大きく丸く見開かれた目をきらきらと輝かせて話す姿に、店主であるロルは一瞬動きを止める。
目の前の少女に魅入られたように、その瞳から目が離せない。
「……それは、どうもありがとう。よく分かったね。実はちょっとだけキナの実を生地に混ぜてあるんだよ」
「キナの実って、あのものすごくすっぱい果実ですよね?スイーツにこんなに合うなんて、驚きです。さすが王都でも人気のスイーツ店ですね」
嬉しそうににっこりと目を細めて笑うその姿に、ロルはじわじわと顔に熱が上っていくのを感じていた。
感情の揺れ幅の少ない淡々とした性格のロルにとって、この状態は明らかにおかしい。目の前のこの少女から目が離せないし、でも体が言うことを聞かない感じで、何か話そうと思うのにうまく言葉が出てこない。
こんな状態になるのは、生まれて初めてだ。
――それに、何かとてもいい匂いがする。一体どうしたんだ、俺は。
うまく制御できない自分の身体と心に、激しく動揺するロルであった。