⑥追うもの、追われるもの
⑥追うもの、追われるもの
その日も、朝から天気が不安定だった。最近の中では珍しく、今にも雨が降りそうな程だった。結局、昨夜はあれから二人は別れた。
亜蘭は誰も座っていない目の前の席をボーッと見つめながらラーメンをすすっていた。すると、視界にふと由梨亜の顔が飛び込んできた。
「目の前の席、座ってもいい?」
しばらく、二人の間には気まずい空気が流れていた。まるで見えない壁があり、お互い、姿が見えていないような感じだった。少なくとも一緒に食べているという雰囲気ではなかった。
「もっちーは?」
沈黙を最初に破ったのは由梨亜だった。しかし、亜蘭は机を見ながら短く即答した。
「全休。」
会話がすぐに途絶えてしまった。その息苦しさに耐えきれなくなったのか、由梨亜は全く関係の無い話を亜蘭に振った。
「このテーブルの間合いって近すぎると思わない?」
亜蘭は、謎の質問に少し戸惑った顔をしながら答えた。
「剣道かなんかのこと?まぁ、確かにね。」
由梨亜は、亜蘭の顔色を確認してから言葉を続けた。
「この距離だと危ないよね。正面の人とか簡単に触れることができるしさ。」
「え、由梨亜ちゃん、もしかして僕を殺そうとでもしてるの?」
由梨亜は、何も答えない。
「ごめん。今のは自分で自分の言葉に寒気がした。忘れて。」
二人の間の空気は、ほんの少しいつものようになっていた。その流れで亜蘭は、今1番気になることを直球に由梨亜に投げかけた。
「・・・・・・由梨亜ちゃん、昨日のこと驚いてる?」
由梨亜は、視線を亜蘭から外しながら答えた。
「亜蘭くんが異世界の使者だったってこと?うーん、まぁ少しはね・・・・・・。」
「異世界の使者って・・・。まぁいいや。僕は、由梨亜ちゃんとか関係の無い人を巻き込みたくないから今まで隠してきたんだ・・・・・・・・・ごめん。」
亜蘭は、申し訳なさそうな様子で続けた。
「本当は・・・・・・・・・ここに存在してはいけないんだってことは分かってる。だから、自分の使命を果たしたら、ここからもいなくなる。」
すると、由梨亜は少し声を荒げながら言った。
「亜蘭くんは・・・・・・・・・ここにいちゃいけない存在なんかじゃないよ。」
「ありがとう。でも、いいんだ。もう、僕には深く関わらない方がいいと思う・・・・・・・・・ごめんね。」
亜蘭は、それだけ言うと席を立った。由梨亜は亜蘭が座っていた席を悲しそうにしばらく見つめていた。
街灯の横に付いている、大学の旗が風になびいていた。今日の夜の風は、少し冷たかった。
大学の中庭に人影が一つ。長い羽織に身を包んでいるが、髪型からしてその人影は由梨亜で間違いなかった。由梨亜は昨夜の亜蘭との件と今日の昼の出来事が頭から離れなかった。亜蘭は自分のことで精いっぱいだったようで一度も目を合わせてくれなかった。どんなことを考えているのかも分からず、距離を置かれたように感じた。由梨亜は全てを忘れたいという気持ちと、今日ここに来た理由を忘れてはいけないという矛盾と葛藤しながら真っ暗な闇夜をまっすぐ見つめていた。
大学キャンパス内の同時刻、少し離れた棟にある2号館へ行く道に人影が一つ。足音は聞こえない。頭からマントを被っているがそれは正真正銘、亜蘭だった。初めて夜の大学に侵入し、おかしなことが起こったあの日。目を覚ました時は、なぜか自分の寝室の天井が見えて、その後兄貴にデコピンされた。
「馬鹿かよ。」
何があったのかさっぱり分からなかった。それ以外、兄貴はあの夜のことを話してくれなかった。
亜蘭も昨夜の由梨亜との件と今日の昼の出来事が頭から離れなかった。もう、自分のことで精いっぱいだったので由梨亜がどんな顔をしていたのかすらも分からなかった。
(でも、これでよかったんだ。きっと・・・・・・・・。)
亜蘭は、猛スピードで走り始めた。真っ暗だったので、はたから見たら忍者のようだった。
ザワザワザワザワ
亜蘭の周りが騒がしくなった。そして、それは目に見えないはずの風になって亜蘭を追いかけていた。
(今日こそ、決着をつけてやる)
亜蘭は、建物の角を曲がった。風も亜蘭に続くように角を曲がった。しかし、そこに亜蘭の姿は無く、代わりに亜蘭がよく身につけていた尖ったペンダントが地面に落ちていた。その後、すぐに空の上からイナズマのようなものが、その目に見えない風の上に落ちた。亜蘭は、それを街灯の上から見ていた。しかし、その見えない何かは真っ黒い塊になって渦を巻き始めた。亜蘭は、屋根から一回転して地上へ降りた。そして素早く建物に沿って走った。
トンネルを潜り、真っ直ぐ抜けようとした時、中庭に続く曲がり角で一瞬素通りしてはいけない何かが視界に映った。亜蘭は、足を止めその曲がり角のところまでゆっくり戻った。
(この感じ、前にも感じたことがある・・・)
亜蘭の予想通り、そこには由梨亜が立っていた。
「由梨亜・・・・・・ちゃん?」
名前を呼ばれた由梨亜は、真っ直ぐと亜蘭の方を見つめながら立っていた。いつもとは少し違う雰囲気を醸し出している由梨亜を見て亜蘭は内心、驚いていた。
「中二病?」
「占い師?」
お互いの声が重なった。途端に笑いがこみ上げてきた。亜蘭は、こんな非常事態だというのに笑っていることが不思議に感じた。しかし、それもつかの間、すぐに亜蘭の後ろから黒い影が姿を現した。
「とりあえず、こっち!」
亜蘭は由梨亜の手を引き、中庭を抜けて3号館へ続く坂をひたすら走った。由梨亜は亜蘭以上に自分の手を、まるで願いを込めるようにして握っていた。強風が2人の間を吹き抜けた。数本、木の枝が落ちてきたり、道のレンガが剥がれたりした。左に曲がり、 ラウンジを右に図書館へ続くガラスのドアを開けた途端、後ろからブーメランのような風に身体を押され、中に入ると同時にガラスが割れた。亜蘭は、自分のマントを盾に、由梨亜の身体を守った。由梨亜は、異常なほど疲れていた。それと対照に亜蘭は、息一つ切らしていなかった。由梨亜はゆっくり、呼吸を整えて割れたドアのガラスを青ざめた顔で見つめていた。
「これ、大丈夫なの?」
「アイツを倒せば元通りになるから・・・・・・・・・大丈夫。」
「じゃあ、アイツを逃がすとそのままなの?」
「・・・まぁ。」
亜蘭は、お茶を濁すように言った。
「え、もしかして、図書館に続くドアのガラスが毎回、割れてるのって亜蘭くんが―――。」
亜蘭は、由梨亜の口に人差し指を立てて、暗い顔で言った。
「それ以上、言うな。」
「・・・・・・・・・分かった。」
外は、相変わらず風が吹き荒れていた。
ゴゴゴゴォォォォ
亜蘭は、何か考えるような仕草をした後、その場で立ち上がり、指笛を鳴らした。すると、不思議なことが起きた。よく身につけている尖ったペンダントが亜蘭の右手に飛んできた。上手くキャッチすると、右手でそれを少し弄んでから由梨亜の方を見た。由梨亜は、少し不思議そうにその様子を眺めていた。亜蘭は、それを由梨亜の方に投げた。
「これって、なに?」
「お守りみたいなもん。由梨亜ちゃんが持ってていいよ。僕は決着をつけてくる。」
亜蘭は、由梨亜に背中を向けて、外へ出ていこうとした。
「亜蘭くんっ!」
由梨亜は最後の力を振り絞るように叫んだ。
「・・・・・・・・・大したこと出来なくてごめんね。」
亜蘭は、深く頷くと強風の中へ飛び出していった。
由梨亜は、亜蘭を送り出すと全ての体力を使い切ったようにその場で倒れこんだ。そして声にならない声で
「良かった、やっと力を返すことが・・・でき・・た。どうか、ご無事で・・・。」
と、呟きながら目をつむった。その口は確かに笑っていた。
亜蘭は、マントを頭から深くかぶり直した。
(今日は、いけそう気がする。)
体力は、完全に回復していた。むしろ、最初より力がみなぎってくるようだった。亜蘭は、腰にある小さなバックから青いペンダント取り出し、それを首から提げた。
「今日は、絶対倒せる。」
ペンダントを強く握りしめながら独り言呟いた。