⑤追うもの、追われるもの
⑤追うもの、追われるもの
「ねぇ、亜蘭!こっち、こっち。」
「なんだよ、由梨亜ちゃん。」
1号館2階から4号館へ続く通路を亜蘭は由梨亜に腕を引っ張られながら小走りしていた。前を走っていた由梨亜は、突き当たりを曲がり、階段を数段上がったところにある、非常口の前で足を止めた。由梨亜は、亜蘭の腕を放して、くるりと振り返り言った。
「大学の七不思議と言われている、非常口は知ってる?」
この非常口はとても不思議な場所にある。もちろん鍵がかかっているが、南京錠もかかっていて二重ロックになっている。建物の中から見ると普通の非常口だが、外から見るとその非常口はどこにも繋がっていない。というのも普通、非常口といえば階段に繋がっているはずだ。しかし、この非常口は本当にその言葉通り何も無い。このドアから外に出るには、飛び降りるしかない。非常用滑り台も無いし、真下も普通のコンクリートになっている。だから、この非常口は全く意味がない。場所的にも見つかりにくいところにあるため、知る人ぞ知る謎の扉というわけだ。
「う、うん。僕は先輩から聞いたことあるから知ってるけど、これがどうかしたの?」
「あのね、この扉ね・・・・・・・・・」
由梨亜はいきなり、自分のポケットから取り出した鍵でその南京錠と非常口にかかったロックを解除し始めた。
「ちょ、ちょ、ちょ。何やってるの?ってかなんで由梨亜ちゃんがそれを持っているの?」
亜蘭は突然の由梨亜の行動に戸惑った。それを無視しながら由梨亜は振り返ってから言葉を続けた。
「実はねこの扉、異次元に繋がってるの!ほら、中を覗いてみて!」
「・・・・・・・・・はい?」
亜蘭は、戸惑いながらその扉の向こうを恐る恐る覗いて見た。
確かに、あるはずの外の景色が無かった。そこにはもやみたいな白いものがかかっていて、遠くまではよく見えなかったが、まるでこの世のものではないような世界が広がっていた。
「ほら、ボーッとしてないで行くよっ!」
亜蘭は由梨亜に背中を押されて、そのままドアの向こう側に吸い込まれた。
「ハッ!」
ちょうどその時、目が覚めた。そこは、いつもの寝室の天井だった。
(夢か・・・・・・・・・それも、そうだよな。まず、呼び捨てで呼ばれてないしね・・・・・・・・・。)
亜蘭は、どこかすっきりしないような顔で苦笑いをした。
その朝は珍しく天気が不安定だった。湿気が多くジメジメしていて、とてもじゃないが気持ちの良い朝だとは言えなかった。
教室に入ると座席指定をされた紙が黒板に貼られていた。指定された場所につくと、その隣には由梨亜が座っていた。
「亜蘭くん、おはよう。」
「お、おう。」
今朝の夢のせいで素っ気ない挨拶になってしまった。いつも通りのおはようが言えずモヤモヤしていたが、ふとの由梨亜の持っていた絵本が目に付いた。
「それって、授業で使うの・・・・・・・・・?」
「そうだよ。この絵本、知ってる?」
由梨亜は、持っていた『人魚姫』の絵本の表紙を見せた。
「もちろん、それくらいは知ってるよ。」
亜蘭は、自慢げに答えた。
『人魚姫』
諸説あるが、種族違いの恋の物語。ある日、人魚姫がいつも通り海を泳いでいると、人間の王子が乗った船に遭遇する。その船に乗っていた王子に人魚姫は恋をする。人魚姫は、自分の声を代償に、人間になって王子に会いに行く。しかし、人間になって王子に会えたものの、彼にはもう別の婚約者がいることを知ってしまう。人魚姫のことを心配したお姉様たちが人魚姫のところに来て言った。
「このナイフであの王子を殺せば、あなたは人魚に戻ることができる。そうしなければ、あなたは泡になっしまうわ。」
人魚姫は色々考えて悩んだ。しかし、彼女は愛する人を殺める(あやめる)ことはできなかった。結局、最後はその身を海に沈め、泡になって消えてしまう。
由梨亜は、持っていた本を数ページ、パラパラとめくってから言った。
「人魚姫ってかわいそうじゃない?声が出ないから想いを伝えられないじゃん。しかも、終いには失恋して泡になって死んでしまうなんて・・・・・・。」
亜蘭は、由梨亜の言葉に同意しつつも違う視点での意見を展開した。
「かわいそうなのは、泡になったことじゃなくて人魚姫が人魚としてこの世に生まれてしまったことだと思うなぁ。」
「・・・・・・・・・なにそれ。深いね。」
由梨亜は興味深そうな目をしていた。亜蘭は続けた。
「いや、だって由梨亜ちゃんも人間に生まれたくて生まれたわけじゃないでしょ?」
「まぁ、そうだけどさ・・・・・・・・・。」
「生まれる前からもう色々と決まっていること自体、ひどいことだと思うけど。徳川第3代将軍、徳川家光のように生まれた時から将軍って決まっていたようにさ。」
「亜蘭くんは、自分の使命に納得してないの?」
由梨亜は、亜蘭の顔をのぞき込んだ。
「僕は・・・・・・・・・最初から決められた自分の使命が嫌だよ。その使命を全うするような才能とか力も一緒に最初から備わって生まれればいいんだけどね。」
亜蘭の目はまるで、ここにないものを見ているようだった。
「と言うより、なんで人魚姫は人魚のまま会いに行かなかったんだろう。人魚であることを隠さないといけない理由って何?」
「それは、敵がいるからじゃない?なんていうか・・・その、草食動物が立ったまま寝るのと同じでさ。常に警戒していたんじゃないかな?基本的に、そういう事は隠すことが普通でしょ?バレたら、最悪、命の危険もあるだろうし・・・・・・・・・?」
由梨亜は、その意見を取り繕おうと焦っている亜蘭の様子があまりに面白くてクスクスと笑った。すると、亜蘭はまた慌てた様子で
「え、そんなに僕、変なこと言ったかな・・・・・・・・・?」
と、不安そうな顔をした。
「本当に、亜蘭くんは面白い人だね。」
由梨亜は、しばらく笑い続けていた。
「もっちー、先帰ってて!」
亜蘭は、ドタバタしながら部室の鍵を占めた。
「了解!じゃあね、亜蘭。お疲れ様!」
もっちーがバス停に向かうのを見送るとポケットから懐中時計を取り出して時間を確認し、顔を曇らせた。
急いで食堂に向かうと待ち合わせをしていた相手がすでに座っていた。
「ごめん。待ったよね?」
亜蘭が申し訳なさそうに言った。
「いや、大丈夫だよ。私、さっきまでずっと、図書館で自習してたし。」
いつもは生徒や先生で賑わっているのだが、今の食堂はさすがに、閉店してから6時間以上経っているので2人以外誰もいなかった。
「遅れてきて悪いんだけど、それ以上にコンビニでごめんね・・・・・・・・・。奢りでいいから許してね。」
亜蘭は、左手に持っていたコンビニの袋に入っているもの
を由梨亜の目の前のテーブルに広げた。本当は、二人で夕食を食べようと約束をしていた。しかし、時間もかなり遅くなってしまい、コンビニでいいかという話になったのだ。
(もちろん、この時間に食堂を利用していていいのかは不明である。)
亜蘭は、荷物を椅子に下ろしながら由梨亜の向かい側の席に座った。
「いいよ。パンでもおにぎりでも、好きなもの食べて。種類少ないけど・・・」
「じゃあ、遠慮なく、頂きます。」
由梨亜は、笑顔のまま、鮭おにぎりを手に取った。
食堂には、おにぎりの包装紙を取る音だけが響いていた。お互い、しばらく食べることに集中していた。
「たまには、こういうのもいいね。」
由梨亜が、二つ目のおにぎりをほおばりながらつぶやいた。
「今日、首からかけてる青いペンダント、変わった形してるね。なんか、かっこいい。」
「あぁ、これ?ありがとう。自分的には、気に入っているんだ。」
亜蘭は、少し照れくさそうだった。
「そういえば、由梨亜ちゃんは、なんでこの大学に来たの?もっと、上の有名大学とか進学できる学力持っていそうだけど?」
「うーん、なんて答えればいいんだろう。使命みたいな?」
由梨亜は、からかうような顔で言った。
「なにそれ。親の希望みたいな?」
「まぁ、そんな感じ。でも、私がこの大学を選んで来たってのもある。」
「そうなんだ・・・・・・。僕も、使命みたいなもんでここに来たけどね。」
「へぇー!どんな使命?」
「うーん、まぁ、強制的な役目みたいなもん。」
亜蘭は頬ずえをつきながら答えた。
「亜蘭くんは、その使命に納得してないんだったよね?」
「まぁ、言葉の通り使命だからね。でも、僕は僕のやりたいようにやるつもり。あ、えっと、好きなように勉強するっていう意味ね。」
「へぇー。その使命ってさ・・・・・・絶対果たさないといけないものだと思ってるの?」
亜蘭は、しばらく考え込む仕草をした。そして、ゆっくりと口を開いた。
「うーん、基本的にはね。まぁ、絶対とは思わないけどね。ある程度自由に生きるべきだと思う。その使命を裏切るに等しい理由があれば、僕は別に果たさなくてもいいとさえ思ってる。」
「そっか。うんうん、なるほどね。元気出たわ。」
由梨亜は相づちを打ちながら、どこかすっきりしたような顔をしていた。
「え、どういうこと?何か悩んでたの?何でも相談に乗るけど?」
「ううん。今ので十分。」
由梨亜は気にしないでとばかりに顔の前で手を振った。
「まぁ、由梨亜ちゃんに元気になってもらえたならそれでいいや。」
2人は、しばらく他愛もない話をしてから食堂をあとにした。
「今日は、お兄さん、来ないの?」
「いやー、さすがに今日は来ないと思うよ。」
食堂前の街頭に照らされた二つの影は、バス停に向かっていた。いや、正確にはバス停に向かっているはずだった。ふと由梨亜の顔から突如、笑顔が消えた。
「亜蘭くん、何か気がつかない?何かおかしくない?」
亜蘭は会話に夢中になっていたのでその一言があるまで周りの異常に気が付かなかった。風向き、天気、気温、周りのすべてに神経を研ぎ澄ました。
「・・・・・・・・・アイツだ。」
亜蘭は、つぶやいた。由梨亜が何か言葉を発しようとした瞬間、亜蘭は由梨亜の腕を引っ張った。
「話はあとで。とりあえず、来て。」
まっすぐ続く坂を駆け下りた。この坂はレンガ造りで走りにくい。加えて今日は追い風で、2人は何度も転びそうになった。なんとかバス停とは反対にある3号館の入口前に着き、亜蘭は掴んでいた腕を放して由梨亜をじっと見つめた。
「僕は君に聞きたいことと、言わないといけないことがあるんだ。」
「・・・・・・・・・。」
由梨亜は、不安そうな顔をしながら身体の前で手を握りしめていた。
「由梨亜ちゃん、君はふざけてたわけじゃなくて、本当は――――――――本当は全て知っているんじゃないの?」
亜蘭は、真っ直ぐ由梨亜の目を見つめた。それは、ふざけているわけではなく、何かを疑っているような目だった。
「今は何も・・・・・・・・・何も言わないで。」
由梨亜は、視線を下に向けながらゆっくりと口を開いた。近くにいるはずなのに、街頭の逆光でお互いがどんな表情をしているのか分からなかった。
「僕はね、僕は・・・・・・・・・君の察しの通り――――。」
「お願い、今は何も聞きたくない・・・・・・・・・。」
由梨亜は涙目で懇願するように言った。しかし亜蘭はゆっくり息を吸い込むと、何かを決意したように言い放った。
「異世界があればいいなって前に由梨亜ちゃんに言ったの覚えてる?実は・・・・・・・・・僕はこの世界自体が異世界なんだよ。」
亜蘭が言葉を言い切った直後、二人の間を強風が吹き抜けた。由梨亜の髪がその風になびいた。また、亜蘭の緩く縛っていた後ろ髪も同時にほどけた。空模様は怪しく、今にも雨が降りそうだった。亜蘭の言葉が、二人の間にこだましていた。お互いは真っ直ぐ見つめ合っていたが最初に口を開いたのは亜蘭だった。
「驚かせてごめん。でも、これはもう隠しておけないなって思って。」
「・・・。」
由梨亜は、依然として黙ったままだった。
「僕がここにいる理由は、目に見えないアイツをこの大学から消すため。だからここにきた。いや、ここに送られてきたって言い方のほうが正しいかな・・・・・・。それこそが、僕の使命だよ。」
亜蘭は、くるりと由梨亜に背中を向けた。
「亜蘭くんっ!」
由梨亜は、亜蘭の背中に向かって叫んだ。しかし、亜蘭は振り返らなかった。
「由梨亜ちゃん、危ないから帰りな。今日はありがとう。」
亜蘭はそれだけ言うと、由梨亜の呼びかけを無視して走って行ってしまった。街頭に照らされた由梨亜だけが寂しそうに残されていた。