033 処置は完了しました
2018. 10. 2
女性の方はこれでなんとか一安心だということで、今度は泉一郎へ顔を向けた。
「では、救急車が来るまでに泉一郎さんも治療しておきましょう。何かと戦われましたね?」
「っ……ああ……黒い帯のような……おぞましい何かだった……」
「おそらく、秘伝を……奥義を会得していなければ、一番危なかったのは泉一郎さんだったでしょう」
「!? そ、そうか……」
対峙した泉一郎が一番よくわかっているのだろう。死に近い場所まできていたはずだ。
高耶は泉一郎の前に膝をつき、術を施す。
「私達は、その黒いものを『深淵の風』と呼びます。精神を喰らい、生きながらにして死をもたらすものです。対抗する力を持たない者が対峙するには、強い精神力が必要です」
人が生きるために必要なものが命と精神力だ。これは魂に直結する力。これが磨り減れば、生きる気力を失くし、人形のようにただ息をするだけの者となる。
「秘伝や奥義といった武術のたどり着く先にあるのは、強い精神力です。一般の人ならばひとたまりもありませんよ」
奥義を会得したことで泉一郎の肉体は活性化された。それは精神力が強くなったことを示している。
「はぁ……君に助けられたようなものだな……もう数日前だったらと思うと……眠れなくなりそうだ」
「本来、相手にできるのは陰陽師の中でも力ある者ぐらいです。これだけで済んで、運が良かった」
本来ならば、いくら強い精神を持っていても、数日は意識のない状態になる。『深淵の風』によって、精神を削られたのは間違いないのだから。
恐らく、夢の中で指導した高耶の力がまだ泉一郎の中にあったことが良かったのだろう。その力の残滓が、残る精神を保護し補填したのだ。
高耶が術を施すと、泉一郎も動けるようになった。
「この後、ちゃんと休んでください。術によって削られた精神を元に戻すことはできません。削られた部分の代わりになるだけです。完全に治すには、時間が必要です」
精神は削られたとしても、時間をかければいずれ戻るものだ。これは、年齢に関係ない。回復する方法も人それぞれだ。
「一番良いのは、温泉に浸かったり、ストレスを感じずにリラックスすることです。私などは、数日何も考えずに体を動かすのが回復方法ではありますけれどね」
「ははっ、なるほど。どうすべきか何となくわかったよ」
悩みなど感じることなくいられる時が、一番、精神を回復させるのだ。
しかし、そこで泉一郎は、はっとしたように周りを見回す。
「麻衣子! 麻衣子はどこだ!?」
慌てて家の中まで見に行く泉一郎。一方、立ち上がった高耶は、山の方へ鋭い視線を投げかけた。
「高耶君っ。麻衣子が連れて行かれたかもしれん! あの子は……友達だと言って連れて来た子が、あの黒い影をっ……それと花代に襲いかかって……」
要領を得ないが、高耶にはこの場で起きたことを予想できていた。
「分かっています。連れ帰ってきますので、心配なさらず。既に私の手のものが追っているはずです」
「っ、そ、そうか。その……厚かましいとは重々承知している。それでも、麻衣子を……孫娘を頼んでもよろしいか?」
高耶がしていることを麻衣子が邪魔をしたのは知っている。けれど、それでも頼れるのは高耶しかいないのだ。
「ええ。そのつもりです。泉一郎さんはここをお願いします。救急車も来ますしね」
音が聞こえてきた。この辺りは道が細い。運び出すのも一苦労だろう。
「少し時間がかかるかもしれませんが、なるべく早く戻ってきます。家にいなくても、泉一郎さんが居る場所は分かりますから、そこに届けますね」
何気なく凄いことを言ったなと、泉一郎は顔を引きつらせたが、頭を下げるのに留めた。
「ああ……お願いいたします」
「はい」
高耶はこの場を泉一郎に任せ、充雪と天柳がいる場所へ駆け出したのだった。
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