311 気安い買い物感覚です
2023. 2. 16
食事が終わり、伊調達も連れて旅館に戻ることになった。
武雄が嬉しそうに伊調達へ話す。
「是非泊まって行ってください! 部屋はまだ余ってますからっ」
「ご迷惑でなければ良いのですが」
「いえっ、祖母が会いたがっていました。さっきメールしたら是非と」
「そうですか? では、お言葉に甘えて、お邪魔いたします」
「はい!」
埋まっているのは、ほとんど大部屋で、二人部屋、一人部屋などは空いているらしい。一学年まとめてだが、修学旅行と一般客を泊めるのと変わらない。まだまだ容量的には問題ないとのこと。
「一時期より、人員も減っているんですけど、仕事好きのベテランばかりでやっているので、安心してください! あっ、料理長とかも会いたがってるみたいですっ」
「それは嬉しいですね」
伊調がこんなに機嫌良く話すのを焔泉などが見れば、人違いかと思うだろう。それほど、懐かしい場所のようだ。
女性の方も、嬉しそうだ。
「こんなことなら、他のメンバーも連れてくるんでしたねえ」
「うわあっ、それだったら、祖母も祖父ももっと喜びますよっ。最近はお客もめっきり減ってしまって、年齢的な問題で、懐かしい顔にもどんどん会えなくなると落ち込んでいましたから」
世代も代わり、彼の祖父母が若い頃から来てくれていた常連達は、旅行にと行って中々来られなくなった。年に一度だけでも顔を合わせる常連が来なくなるというのは、とても寂しいものだ。
「そうでしたか……それは、不義理をしてしまいましたね……」
「あ、いえ。お仕事で日本中を飛び回っているって聞いていましたから、お忙しいんだろうと……次に来られたら、目一杯おもてなしをしようと話していました。なので、お会いできてとても嬉しいです!」
「ありがとうございます」
伊調達が日本中を飛び回っているのも本当だし、忙しいのも本当だ。神楽部隊は、ただでさえその場に何日も留まる必要もある。
彼らは仕事という考えではなく、常に勉強というもので、苦に思ってはないない。彼らにとっては、それが日常。見方によれば、高耶よりも仕事人間が集まっている。
だからこそ、こうしてお気に入りの旅館を作るというのも珍しいことだった。よほど気に入ったのだろう。
常に神のための音を聞き分けようとする彼らだ。どこにいてもそれは勉強で仕事になる。それを考えると、この地が合ったということかもしれない。
次に伊調は高耶へ目を向ける。
「御当主。旅館のことについての話し合いはまだですよね」
「ええ。この後にでも、彼に話そうとかと思っていました」
「え? 何?」
彼と示された武雄が、不思議そうにする。どう切り出そうか迷っていた所だ。丁度良いと話を進める。
「旅館を続けてもらいたいんだ。うちの傘下に入ってもらうことになるんだが、専用の保養所として」
「えっ!? それって、高耶の家が、買い上げるってこと!? そんな金持ちだったの!?」
武雄には、旅館を買い上げることに驚くよりも、そんなお金があるのかという方が衝撃だったらしい。
「ああ……まあ、最初はほら、あの……」
見えてきた旅館の後ろにある山の上の方に見える滝を指さす。
「あそこの滝が欲しくて、山を買おうと思ったんだが……」
「「「はあ!?」」」
俊哉と満、嶺も、たまらず声を上げていた。知っていた時島は苦笑を浮かべて目を逸らす。
武雄は口をあんぐりと開けた後、しばらくして正気に戻り、高耶の言葉を反芻する。
「滝!? 山!? 冗談だよね!?」
「いや。修行に良さそうってことらしくてな。で、それなら、知り合いも気に入っていたあの旅館ごとどうにかしようという話になった」
「……どうなったらそんな話が出るのかよく分からないよ……」
「まあ、珍しい買い物になるよな」
「……高耶……それ、お金持ってる人にしか言えない言葉……」
普通に、スーパーでこれ良いなとカゴに入れる気やすさがあった。
実際、ついでだしこれも買っとくかと旅館まで買おうと考えたのだから、武雄の感じる思いも正しい。
困惑する一同をよそに、事情を知っている伊調は和やかに笑う。
「御当主にしては、こうして買うという選択も珍しいのでは?」
「そうですね……秘伝家は特に、封印場所や守護する場所もありませんし、土地を買うという選択を取ることがほぼありません」
他の家では、その土地に封じたものを管理する意味でも、土地を購入することが多々ある。
しかし、秘伝家は封じるよりも倒してしまうことを推奨しているし、管理というのが苦手だ。よって、そういう目的で土地を買い上げるということがほぼなかった。
「今回はたまたま、上のが珍しく欲しがったので。確かに、本家のある山にも、滝は無いですから、欲しくなるのも分かります」
「おやおや。御当主も滝は欲しかったのですか」
「そうですね。中々、理想的な場所の滝はなくて。やっぱり観光客も来ますしね。それ専用の所もありますが、勝手はできませんし」
「なるほど」
そうなると、やはり家で一つは自由に使える滝は欲しいと思ってはいたのだ。
「今、本家の者も鍛え直している所なので、是非手に入れておこうかと」
「そうした所は、なるほど秘伝の方だと思いますね」
伊調には、武術系の仕事はあまり見せたことがない。協力するのは、楽譜を起こしたりすること。よって武で売る『秘伝家』という印象が薄れていたようだ。
「結局、連盟で買い取りたいという話になったので、占有は出来そうにないですが」
「心配されずとも、滝行をやりたがる者はあまりおりませんよ。清掃部隊の者が混ざりたがる可能性は高いですが」
「……なるほど。なら、問題ないです」
充雪が、密かにそれならヨシと頷いていたので、問題はない。
そして、武雄に再び目を向ける。
「だから武雄。女将に繋ぎを頼む」
「私達もご一緒にお願いします」
どうやら、伊調も交渉役として手伝ってくれるらしい。
「……よく分かんないけど……わかりました」
高耶には心強い味方ができ、安心して交渉に臨めそうだった。
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