268 父親というもの
2022. 4. 21
将也は嬉しそうに高耶へと歩み寄って行った。
結界も抜け、同じ庭に立つ。ただ、彼は素足のままだった。それを忘れていたらしい。
《っ、痛っ》
「あっ、素足はダメだろ」
呆れたように高耶が言えば、将也は後ろ頭を掻きながら笑った。
《いやあ、地面に足がつくというのがなあ……感覚を忘れていた》
「……成仏してなかったのか……?」
怨霊や地縛霊として残っていたら、高耶も気付いたはずだ。不安そうに、訝しむ表情を見て、将也は首を横に一つ振った。
《いや。ちょっと霊界では彷徨かせてもらったがな。どうせ転生待ちだし》
ここに充雪が割り込んだ。
《それで、俺もコイツの存在を知ってたってわけよ。因みに、この前の霊界での大会での準優勝がコイツだ》
そう言って、楽しそうに将也と肩を組んだように見せる充雪。将也自身も楽しそうだ。
《いやあ、生前は陰陽術もからっきしだったのに、死んだら馬鹿みたいに霊力を持ったらしくて。転生したかったら少し消費して来いと言われたんだよ》
「……それ、めちゃくちゃだろ……」
どんな管理してんだと高耶は頭を抱えた。だがと思い直して将也を見た。
「……霊界で遊ぶのを許されたんなら……恨みもなかったんだな……」
霊界では、周りに存在する妖などから影響を直接受けることになる。よって、ほんの少しの恨みなどの負の感情も増幅され、悪霊となってしまうのだ。元々、成仏できず彷徨う霊のための場所でもある。そこで消滅する場合もあるし、妖と同化してしまう者もいる。
だから、生身で入るのも危険だし、弱い霊は妖達の餌になる。しかし、霊力の高いものは自分を結界の膜で守っているようなもの。その霊力が尽きるまで、周りからの影響は受けなくなる。
恨みの念は、そんな保護膜となる霊力を変質させてしまう。長くは耐えられない。自我も持ち続けることはできなくなるだろう。
そこで平気だったということは、将也は恨みの念を持っていないということ。そんなことは、本来あり得ない。だが、強い精神力を持つ者は、それを成してしまう。どんな理不尽なことでも、結果は結果として受け入れられるのだ。自分の感情をも、律することを知っている。
将也は生前も気持ちの良いほどあっけらかんとした人だった。
《ないない。俺が死ぬのも、高耶への試練なんだろうなって思ったからな》
「……親父……っ、そういうとこある……っ」
《あははははっ。そんな褒めんなよ》
「……」
良く言えば、切り替えの早い人。悪く言えば深く考えない人だ。もちろん、高耶はそれが悪いとは思っていない。
「はあ……まあいいよ。母さんに会って行くだろ? あと、再婚相手にも」
《あっ、再婚したのか……ああ、会いたい》
「……なら、この後一緒に行こう。瑶迦さんもいるんだ。叔父貴も……連れてくる」
《裕也も……いや、逃げないぞ。よし、覚悟はしておく》
「それがいいな。けど、その前に……」
屋敷の中へと目を向ける。秀一達が目を覚まし、こちらを見ていた。目が合った途端、ビクリと体を震わせる彼らに、どうすべきか迷う。
だが、高耶が決断するより早く、勇一が将也へ向かって頭を下げていた。
「将也さん。ありがとうございました。あなたを死に追いやった父達を……本当に、申し訳ありませんでしたっ」
「っ、なっ、勇一!?」
勇一は深く頭を下げ、そのまま座り込んで土下座の形まで持っていった。それを見て秀一が焦る。
「なんっ、なにをしてっ」
「父上もお礼と、謝罪をしてください。今日しかないんです。こうして直接謝れるのはっ」
「っ、わ、私はっ、何もっ、何も知らっ……ッ」
この、必死に言い訳しようとする秀一を見て、勇一は顔を真っ赤にして立ち上がる。そして、布団から上体を起こしただけの秀一を、思いっきり殴った。
「黙れ!!」
「っ!! んぐっ」
布団から飛び出し、畳の上を転がった秀一を、勇一は肩を怒らせながら見下ろす。
「ふざけるなっ! あの人は死んだんだぞ! ただの嫉妬で、あんたは人を見殺しにした! その罪から、いつまで目を逸らしているつもりだ!!」
「っ、ゆ、ゆうい……っ」
「情けないっ、俺はっ、情けないっ、こんなっ、こんなやつの口車に乗せられてっ、生きてきたなんてっ……っ、お前なんかが俺の父親なんてっ……っ」
グッと拳を握りしめて、肩を震わせる勇一。
「勇っ……」
そこに高耶が口を挟もうとしたが、それは焔泉と蓮次郎に止められた。
「これは必要なことや……もう少し待ちなはれ」
「これはね。親子としても必要なものだよ」
「……はあ……」
だが、このままでは親子の関係が完全におかしくなってしまうのではないかと心配になる。だが、高耶の肩を将也も押さえた。
《言葉にするのは、生者にとって重要なことだ。まだ届くんだ。届く内に……言いたいことは言うべきさ。例え壊すことになっても……生きていれば、修復もできるからな……》
「……」
少しだけ、寂しそうに見える将也の横顔を見て、高耶は何も言えなくなった。
そして、統二もまた、秀一へと歩み寄っていた。
「本当に……情けない。あんたには、血しか誇れるものがなかったんでしょ。努力しても努力しても、届かない所を知って、諦めた負け犬」
「っ、と、統二っ……」
きっと、今の統二は、心底冷めた目をしているだろう。けれど、怒りも隠せていない。キラキラと統二の周りには霊力が溢れていた。いつ爆発してもおかしくない状態だ。だが、不意に出てきた統二の式である籐輝が、大丈夫だと頷いて見せた。
「『自分で限界を決めることなかれ』」
「っ!」
「家の家訓の一つだよね。それを、堂々と破ってるのが本家直系って笑える」
「っ、そ、そんなことはっ……っ」
「あんたが言うのは、全部言い訳だよ。だから情けないって言ってるんだ。少し前に気付いた。『父親の背中を見たことがないな』って」
「っ……」
「あんたは、いつだって目の前に立って、上から押さえ付けるだけ。まともに、稽古してる姿も、僕は見たことがない」
「っ!」
「っ……」
勇一もはっとしていた。それは、秀一が師範として立っていたからというわけではない。いくら師範でも、自主トレはするはずだ。しかし、二人の息子は、それをまともに見たことがなかった。
それに気付いたのは、高耶が毎朝早くや、夜に、一人体を動かす所を見たことがあったから。その背中を見たからだ。そして先程見た戦いを見たから。アレを見たら、秀一達が自分達に見せていたものは、ただのお遊戯でしかない。
「あんたは、お手本にできるような父親じゃない。ましてや、秘伝家の当主を名乗れる器でもない。それをもう、認めるべきだ」
「っ……」
真っ直ぐに見つめる統二の目には、はっきりとした失望が浮かんでいた。それを見た秀一は、何かが抜けるように小さくなり、肩を落としたのだ。
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