265 練習相手
2022. 3. 31
庭に出た高耶は、屋敷の結界から外に出ないように気を付けて立ち止まる。そして、勇一を振り返った。
「俺が出ると、奴が逃げる。確実にここに下ろすために……」
「囮になればいいですか」
勇一はこの時、高耶が何を望んでいるのかが分かったらしい。以前の勇一ならば、例え察したとしても、なぜ自分がとか色々と追及してきたはずだ。変わったなと改めて感じる。
「ああ。頼む。接触してくるギリギリを見極めて、こっちに戻ってくれ。くれぐれも、奴に触れないように。降りてきた所で奴に術をかける」
「分かりました」
ふうと大きく息を吐き、気合いを入れて勇一は結界から飛び出した。
「来い!」
空から黒い帯状になった風が降りてくる。それは、真っ直ぐ勇一に向かってきた。
あと一メートルという所で、高耶が叫ぶ。
「今だ!」
「っ、はい!」
勇一が結界内に飛び込む。それと同時に高耶は、『深淵の風』の鼻先に札を飛ばした。
接触すると、札が黒い帯状のそれを吸収していく。
「っ……」
間一髪を避けられた勇一は、結界の中で座り込み、それを見つめる。
これで終わるかに見えた。しかし、違うのだ。中に吸い込み終わった札は、黒く染まり、次第に膨れていく。
それを不思議そうに、不安そうに見つめる勇一に、高耶は忠告しておく。
「勇一、出るなよ。ここからは、悪いが俺がやる」
「っ、はい……っ」
何が起きているのか勇一も分からないのだろう。少しずつ後退る。札が、なぜか風船のように膨れ上がっていくのを見て、恐怖したのだ。
統二も家の中で顔を歪めていた。感じたのは嫌悪。とても嫌なものに見えるし、感じるのだ。
高耶はゆっくりと結界の外に出る。ソレと十分に距離を取り、ぷくぷくと膨れていく様を真っ直ぐに見つめる。それはまるで黒い粘土のように伸びて、歪に形を変え、やがて人の形を作った。
「え、お、俺……いや、父上……?」
それは、明るい日の下に居るにも関わらず、暗い夜の森の中で立つように影の落ちた人の姿。一見勇一に見えるが、秀一にも似ているように見えた。まだそれが確定せず、顔も体もボコボコと小さく蠢いている。
「直近の奪った精神から読み込んだ姿をいくつか混ぜて取ってるんだ。こいつは秘伝の精神を喰らった。だからまあ、本家の奴の顔には近くなる。それなりに見られる顔になりそうで良かったよ」
「それって……ここの人たちの姿を混ぜて平均した感じってこと?」
統二が確認する。これを聞いて、蓮次郎と焔泉は、寝ている者たちと出来上がっていく人の姿を見比べて、なるほどと頷き合っていた。未だそれは身体を整えている途中だ。
「ああ。血族でまとめてってことは珍しい。霊界に居るのだと、なんか気持ち悪い顔になったりするんだよ。目の大きさとか、鼻の大きさとかバランスがおかしくて、化け物にしか見えんのが出来る」
「へえ……え? 霊界に居るのって……兄さん? 霊界でもやったの?」
「ん? ああ。それこそ、大昔の武人の精神とか喰らってるのが居るから、練習相手にも良くてな」
「……れんしゅうあいて……」
統二は言葉の変換さえ頭が拒否したらしい。勇一も同じような顔をしている。これに充雪が世間話感覚で続ける。
《良い技持ってたりすんだよな〜。忍系の術はほとんどこいつからもらったか?》
こんな会話に、高耶はニヤリと笑いながらも付き合っていく。もちろん、形を整えていく相手を警戒することは怠っていない。
「たまに西洋の剣術とかあっていいよなっ」
《あっちのもな〜。剣の形も違う上に、流派も多いからなっ。まだまだ知らんのが多いわい》
「ガチャみたいで楽しかったんだが、最近は寄って来ないんだよな。昔は、それこそハエのように集ってきたのによ……」
《こいつら、神気に敏感だからな〜》
「「「「……」」」」
呑気な会話を耳にし、出会ったら最後とまで言われたものを、寧ろ探していたのではないかと、蓮次郎と焔泉さえ顔色を変える。
形が整うのももうすぐだ。そこで、統二が恐る恐る確認する。
「あの、兄さん……これ、実体を持った感じになってませんか……?」
わざわざ体を用意してやる必要性が、統二には分からなかったのだ。だが、きちんと理由はある。
「こいつは、風って言うくらいだからな。ほんの少しの隙間も通り抜ける。だから、形を作ってやる必要があるんだ。まあ、そのままでも、神気とか当たれば消滅していくんだが、やっぱ、綺麗に全部とはいかなくて、これが一番なんだよ」
《それな〜、気功術とか、覇気を遠慮なく使える相手ってことで教えたのによ。もったいねえとか言って、依代を用意すんだもんよ〜。子どもってのは発想が怖いよな》
「……」
高耶が用意したのは、紙の依代だ。陰陽師によっては、式神として小さな精霊に依代として体を与え、契約する者もいる。降霊術でも使う場合がある。
中には依代に怨霊や怨念を取り憑かせ、閉じ込めた上で浄化するという方法もあった。
実体となるなら、霊薬と同じではないかと思われるだろう。使い手によっては、依代に入ったものはそれ自身が持つ能力も使える。霊薬よりもいいと思える。だが、もちろん術者の力による顕現な上、無理やり呼び出したもののため、反動もあり、どれだけ優秀な術者でも一時間も保たなかった。
「いいだろ別に。どうせ倒すんだし、そもそも、人に試せねえ技が多すぎなんだよ」
《まあな……ちょい殺人術を仕入れすぎたか……》
「一時期、マジで暗殺者にでもされるんかと思ったぞ……反射で技出さないようにする方に神経使ったわっ」
《あっはっはっ。いやあ、アレだ。気を付けろよ?》
「当たり前だろ!」
高耶の数代前の時代、殺すための剣術を持った者や、大陸のほうからやって来た暗殺術に特化した者達が秘伝にたどり着いた。彼らは望んで殺人術としたわけではないし、それしか生きる術を知らなかった。そんな人たちだった。
彼らは死に場所を探していた。平和な時代になれば、彼らは必要ないもの。けれど、罪の意識もあり、そのまま寿命が来るのを待つことに迷いを抱いていた。そうして彷徨い歩いて、辿り着いたのが秘伝家。
充雪とその時の当主は、彼らを受け入れた。そして、彼らの技を殺人術ではなく、武術として昇華させたのだ。当然、威力はあるものになった。とはいえ、武術は使い方によってはどんなものでも危険なものだ。だから、秘伝家はそれを厭わなかった。
これにより、殺人級の技が多く秘伝に継承されてしまったのだ。
「……兄さんの言った練習相手ってそういうことなんだ……」
「そういうことだ。よしっ、確定したなっ。やるぞっ」
《……》
感情があるようには見えない、あるのは、勝って弱らせて依代から抜け、喰らうことのみ。
呼吸をするものでもないため、動きの予想がし難い。それは唐突に勢いよく駆けてくる。そして、いつの間にか手には黒い槍があった。それが一気に距離を詰め、高耶に迫っていた。
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