020 報告義務は忘れずに
2018. 9. 6
風呂を出た後、高耶は家族に断りを入れた。
「今夜、ちょっと仕事をすることになるから、部屋には入らないでくれ」
自宅ならば、部屋に鍵をかけて眠るし、母が入ってくることもない。だが、ここは旅先。それも旅館だ。襖一つで仕切られている。結界を張ったとしても、不審に思うのは分かりきっていた。つくづく、ここで話せて良かったと思う。
「つるのおんがえしだっ」
「優希……いや、間違いじゃない……といっても、結界を張って襖は開かないけどな」
もし、話せなかったとしたら、人払いの術も掛けた上で結界を張ることになっていたのだが、充雪の方に今は力を割いている部分がある。この状態では結界だけで限界だった。
「へぇ、結界かぁ。本当に開かないの?」
「……開かない。壊したりも出来ないから、というか、試さないでくださいね?」
「え~……ちょっとやってみたかったのに……」
なんだか楽しもうとしているのは気のせいではないかもしれない。
「それで? そこまでして何をするの?」
母は早速、報告義務を要請してきた。
「えっと……今日、道場に行っただろう? そこの師範に、失伝した奥義を教えに行くんだ」
「出かけるの? なら、どうして部屋に?」
「夢渡りの術で、眠った相手の夢の中に入るんだ。そこで技を伝授する。夢の中なら、今の肉体が弱ってても問題ないからな」
秘伝家が、陰陽術に手を出したきっかけの一つがこれだ。弱った者、歳を理由に体が思うように動かなくなった者からでも奥義を受け継ぐ事ができ、教える事ができる。
「途中で起きたりすると術者も相手も危ないから、結界で外部からの干渉を遮断するんだ」
相手が起こされるのはどうにか対処できるが、術を行使しているこちらに何かあれば、大変な事になる。不安定な術になれば、夢が混ざり合い、最悪どちらも目覚めないという事があり得るのだ。
「夢とはいえ、精神に働きかける術だから、注意が必要なんだよ」
通常、充雪でさえ近付けないようにする。そこまで気を使うべき術だ。
「分かったわ……気をつけなさいね」
「ああ。それと優希、セツじぃの代わりに……【珀豪】《ハクゴウ》」
呼びかけに応え、部屋の中央に現れたのは、白銀に輝く大きな狼のような獣だった。その体高は椅子に座った大人の座高ほどもある。七歳の優希など、立っていてもその背中が見えない。
「おっきいワンちゃん……」
《我は珀豪だ。名はなんという?》
「わ、わたし、ユウキ!」
《ではユウキ。主が仕事の間、我が傍にいよう》
高耶の使い魔の一体だ。陰陽師が使役する式神。多くが四獣の朱雀、玄武、白虎、青龍といった形を取る中、高耶は少々異質だった。
風を司る白虎の代わりが、このフェンリルだ。
「わぁいっ。ハクちゃんっ、ハクちゃんっ、いっしょにねよー」
《む、ハクちゃん……我はこれでもフェンリルなのだが……まぁ良い……主、ここは任されよ》
「ああ。旅館の人に見られないようにな。後は任せる」
《承知》
家族はもう珀豪に夢中だった。
「そ、それじゃぁ、お休み……」
若干除け者感があるが、ここは目論見通りだとして部屋に引きこもるのだった。
◆◆◆◆◆
充雪は暗い空間の中、目を覚ました。
《ここは……》
現世ではないと瞬間気付く。一体何が起きたのかと腕を組んで考え込む。思い出すということが充雪は苦手だ。高耶が脳筋だと良く言うが、その通りだと思う。
時々思うのだ。武を極めようとした父、夜鷹ではなく、自分が神の位を得たのは間違いではないのかと。
確かに、陰陽武道として極めたのは充雪だが、陰陽術に初めて手を出したのは夜鷹だ。充雪と違い、高耶のように周りを見て考える事を諦めない人だった。自分のようなすぐ面倒臭くなって武力行使に頼ろうとする脳筋が、崇められてどうするのかと。
高耶の才能は、夜鷹を思い出させる。だから、こんな事を思うのだ。
《……まぁ、キレずに考えてみっか……》
自分の忍耐力を試すのに良い機会かもしれないと思うことにする。何より、高耶の力は感じているのだ。ちょっとやそっとでは消滅したりもしない。あっても霊界に飛ばされるだけだ。
《さてと……他に気配は……》
広い空間ではないことは察することができた。そして、その空間の中に、確かに自分以外の存在がある。
《……これは……山神か?》
《そなたも神か》
《っ……そうだ。若輩者だけどな。どうしてオレをここに?》
引き込まれたという記憶がある。姿の見えない山の神がここへ連れてきた張本人だった。
《あのまま近付けば、アレが気付く。お主と繋がる者も暴かれただろう》
《……そこまで力を回復していたと?》
《うむ。アレに力を貸す者がいる。餌場を知られぬよう、我が撹乱していたのだが、知られたらしい》
《どこから供給を?》
鬼の力とは、負の感情。ドロドロとしたものならば尚良いを言われている。影食いなんかも餌として食べるとも聞いていた。
《ここから探るが良い。今しばらく匿ってやろう。できれば、餌を絶ってくれ》
《わかった》
そう。この場所は都合が良さそうだ。鬼の力も感じるが、手を出されるような場所ではない。少々窮屈ではあるが、そこは目を瞑ろう。
《山神よ。この場を借りる礼だ。オレから力を取っていってくれ》
《いいのか?》
《ああ。オレと繋がってる奴はタフだしな。問題ない。それより、鬼の封印を今しばらく保たせてほしい》
《良かろう。少々借りるぞ》
《おう》
充雪はこれまであえて口にしてはいないが、高耶の力と才能は、今までの秘伝家の歴史上、最高のものだと確信している。それは、現代の陰陽師の中でも最強という意味だ。
高耶になら、鬼もどうにかできるだろう。もしできなければ、誰にもどうすることもできないということになる。
少しでも情報を集め、高耶に託す。それが、充雪に唯一できることだ。そのためには、鬼の事だけではいけない。
《その、鬼と接触した奴の情報なんかないだろうか?》
《……あれは、人でも鬼でもない者だ》
それは充雪が感じたものと同じだった。
《そんな者が存在するのか?》
《人の血と、鬼の血を引く者。居ないとは言い切れぬ》
《っ、まさか、交わっていると? ただの噂だろう……》
《確かなことは言えぬ》
かつて、噂された事はある。人と鬼が子を成したと。存在の仕方の違う人と鬼。それが、子を成すなど本来はありえない。けれど、それがあり得たとしたならばあの不確かな気配も頷けた。
《……もう一度、接触するのを待つか》
確率的には低いだろう。けれど、この場ならば確証が得られる。神の作った空間だ。距離などあってないようなもの。
《うむ。我が鬼を抑え付けていれば、いずれまた接触してくるだろう》
《そいつが短気なのを祈るぞ》
充雪から得た力によって、山の神は再び鬼の封印を強固なものにしていく。これで、鬼がいつまで経っても動けないとなれば、業を煮やして接触してくるだろう。早いところ気付いてくれればいいのだがと思案しながら、今しばらくこの場で待つことを選ぶ充雪。
高耶に連絡くらいするんだったと思い至ったのは、高耶の傍を離れて丸一日半経った後だった。当然、高耶にこっ酷く叱られる事になるのだが、そんなことを予想もしないのは脳筋故だろうか。
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